【四】日本人と絶望——滅びを愛でる作法
日本には終末論がなかった——と、ここまで述べてきた。
しかし、それは正確ではない。
日本には、終末論があった。ただし、それは輸入品だった。そして日本人は、その輸入品に独自の「翻訳」を施した。
*
末法思想である。
仏教の歴史観によれば、釈迦の入滅後、世界は三つの時代を経る。
最初の1000年は「正法」の時代。仏の教えが正しく伝わり、修行すれば悟りを得られる。
次の1000年は「像法」の時代。教えは残るが、形骸化し始める。修行しても悟りは難しくなる。
そして、その後に来るのが「末法」の時代。教えは完全に衰え、いくら修行しても悟りを得ることはできない。この時代は永遠に続く。
日本では、永承七年(1052年)が末法の第一年とされた。
平安時代の末期である。摂関政治は衰退し、武士が台頭し始めていた。治安は乱れ、仏教界も堕落していた。僧兵が武器を取り、強訴が横行した。天変地異も相次いだ。
まさに「末法」にふさわしい時代だった。仏の予言と現実が一致している——人々はそう感じた。
*
しかし、ここで注意が必要である。
末法思想は、厳密には「終末論」ではない。
アブラハム系の終末——最後の審判——では、世界そのものが終わる。天使のラッパが鳴り、死者が蘇り、善悪が選別され、古い世界は滅び、新しい世界が始まる。
しかし末法思想では、世界は終わらない。
終わるのは「教え」である。仏法が衰退し、悟りへの道が閉ざされる。しかし世界そのものは存続する。太陽は昇り、季節は巡り、人々は生まれ、老い、死んでいく。日常は続く。
「世界の破壊」ではなく「教えの衰退」。
これが末法思想の本質である。
日本人は、この微妙な違いを正確に理解していた。
いや、理解していたからこそ、末法思想を受け入れることができたのかもしれない。
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日本人は末法思想をどう受け止めたか。
世界の破壊を叫んだのではない。「では、どうすれば救われるか」を考えた。
源信は『往生要集』で地獄の恐ろしさと極楽の素晴らしさを詳細に描いた。法然は専修念仏を説いた。親鸞は絶対他力を説いた。日蓮は題目を唱えよと言った。道元や栄西は、末法を言い訳にするなと修行を促した。
様々な応答があった。しかし、共通しているのは、誰も「世界を破壊せよ」とは言わなかったことである。
世界は続く。その中で、どう救いを得るか。
日本人の関心は、常にそこにあった。
*
では、日本人は絶望しなかったのか。
そんなはずはない。日本の歴史にも、戦乱があり、飢饉があり、疫病があり、圧政があった。民衆は苦しみ、嘆き、怒った。
しかし、その絶望は「終末予言」という形をとらなかった。
日本人には、絶望との向き合い方に独自の作法があったからである。
怪談。能。浄土信仰。
次にこの「絶望との向き合い方」を見ていく。日本人は終末を語らなかった。しかし、絶望を消し去ったわけではない。別の形で、別の場所で、絶望は受け止められていた。
そしてその作法は、仏教伝来よりもはるか以前から存在していた。
記紀神話の中に、すでにその原型がある。
*
日本神話には、奇妙な特徴がある。
敗者がヒーローなのだ。
オオクニヌシを思い出そう。葦原中国を開拓し、国を豊かにした偉大な神。しかし彼は、高天原からの使者に国譲りを迫られ、最終的に国を明け渡す。建国神話の主役でありながら、敗北する。
スサノオはどうか。高天原で乱暴を働き、追放された問題児。しかし出雲に降りた後、ヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメを救う英雄となる。中央から追放された者が、地方で英雄になる。
ヤマトタケルの物語は、さらに痛切である。父・景行天皇の命で西へ東へと遠征し、数々の敵を討った。しかし最後は伊吹山の神に祟られ、病に倒れ、故郷に帰ることなく死ぬ。「倭は国のまほろば」と詠みながら。
注目すべきは、倒される側への敬意である。
クマソタケルは、自分を討った少年に「タケル」の名を贈る。「お前ほど強い者は見たことがない。これからはヤマトタケルと名乗れ」と。敵が、殺される間際に、殺した者を讃えるのだ。
イズモタケルは、ヤマトタケルの策略で殺される。偽の剣を渡され、無防備なところを斬られる。卑怯な手だ。しかし記紀は、イズモタケルの正々堂々とした姿を描くことで、敗者への敬意を示している。
これは、世界の建国神話の中でも異例である。
多くの神話では、建国の英雄は勝者である。ローマを建てたロムルス、イスラエルを率いたモーセ、ペルシアを築いたキュロス。勝った者が英雄となり、敗者は悪役か、せいぜい脇役である。
しかし日本神話では、敗者が主役を張る。オオクニヌシは国を奪われ、スサノオは追放され、ヤマトタケルは帰郷できずに死ぬ。そして彼らの物語は、勝者の物語よりも長く、詳しく、情感豊かに語られる。
日本神話は、最初から「敗者の声を聴く」構造を持っていた。
絶望は、裁かれるのではなく、聴かれることで受け止められる。
これが、日本人の絶望との向き合い方の原型である。
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この態度は、後の時代に美学として結晶化していく。
「もののあはれ」である。
江戸時代の国学者・本居宣長は、『源氏物語』の本質を「もののあはれ」に見出した。
宣長の主張は、当時としては革命的だった。
儒学者たちは、源氏物語を道徳の書として読もうとした。光源氏の行いは善か悪か、紫の上への仕打ちは正しいか間違いか。勧善懲悪の枠組みで物語を裁こうとした。
しかし宣長は、それを退けた。
物語の本質は、人間の自然な情感をありのままに書き表すところにある。儒教や仏教のいう教戒とは無縁である——と。
「もののあはれ」とは何か。
「あはれ」は感嘆詞「ああ」と「はれ」が結びついた言葉とされる。心が深く動かされたときに発する声。悲しみだけでなく、喜びも、驚きも、切なさも含む。「もの」に触れて「あはれ」と感じる心——それが「もののあはれ」である。
重要なのは、宣長がこれを道徳から切り離したことだ。
善悪の判断ではない。教訓でもない。ただ、人間の心が動くこと。それ自体に価値がある。
桜が散るのを見て「あはれ」と感じる。月が雲に隠れるのを見て「あはれ」と感じる。滅びゆくものを見て「あはれ」と感じる。
そこに教訓はない。ただ、美がある。
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ここで、重要な区別を確認しておきたい。
「無常観」と「無常感」の違いである。
評論家の小林秀雄は、この違いを鋭く指摘した。
インドの仏教が説く「無常観」は、苦から脱却するための認識である。すべては移ろう、だから執着するな、執着を断て、そうすれば苦しみから解放される——これが無常観である。乗り越えるべき真理。修行の道標。
しかし『平家物語』や『方丈記』に現れる日本的な「無常感」は、これとは異なる。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」「ゆく河の流れは絶えずして」——これらは、人間や世間のはかなさを情緒的に、詠嘆的に表現した美意識である。無常を乗り越えようとするのではなく、無常を味わっている。
教戒ではなく、美学。
克服すべきものではなく、愛でるべきもの。
日本人は「無常」を、苦しみからの解脱の道としてではなく、美の源泉として受け止めたのである。
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この美学は、能において一つの完成を見る。
夢幻能と呼ばれる形式がある。旅の僧が、ある土地を訪れる。謎めいた人物と出会い、その土地にまつわる話を聞く。やがて、その人物の正体が明かされる——かつてこの地で非業の死を遂げた者の霊だったのだ。
幽霊は、生前の苦しみを語る。戦で死んだ武将、恋に破れた女、志半ばで倒れた者たち。彼らは無念を語り、僧はそれを聴き、弔いの言葉を捧げる。そして幽霊は成仏していく。
世阿弥が確立したこの形式は、「死者の声を聴く装置」である。
平家物語を思い出そう。壇ノ浦で滅んだ平家一門。安徳天皇。知盛、教経、維盛。彼らの無念は、能の舞台で繰り返し語られる。
能は、敗者の声を聴く場なのである。
勝者の歴史ではなく、敗者の嘆きを。征服者の栄光ではなく、滅ぼされた者の無念を。
終末予言が「神による審判」を求めるのに対し、能は「人による傾聴」を行う。
絶望は、裁かれるのではなく、聴かれることで昇華される。
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浄土信仰も、この文脈で理解できる。
「厭離穢土、欣求浄土」——穢れたこの世を厭い離れ、清らかな浄土を願い求める。
この思想は、終末論と似ているようで、決定的に異なる。
終末論は「この世界を終わらせる」。浄土信仰は「この世界から出ていく」。
世界を変革するのではなく、世界を離脱する。集合的な救済ではなく、個人的な救済。
「こんな世界なら滅びてしまえ」ではなく、「この世界は穢土だが、浄土がある」。
絶望は、破壊への衝動ではなく、離脱への願望として受け止められたのである。
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さて、この系譜は近世に入り、さらに洗練された形をとる。
「粋(いき)」である。
哲学者・九鬼周造は、『「いき」の構造』(1930年)で、江戸の美意識を分析した。
九鬼によれば、「いき」は三つの要素から成る。
「媚態」——異性への色気、艶っぽさ。
「意気地」——武士道に由来する矜持、やせ我慢。
「諦め」——仏教に由来する、運命の受容。
注目すべきは、この三つ目の要素である。
九鬼はこう書いている。
「運命によって『諦め』を得た『媚態』が『意気地』の自由に生きるのが『いき』である」
「諦め」とは、断念ではない。
運命を受け入れた上での自由である。
どうにもならないことがある。叶わない恋がある。届かない願いがある。それを知った上で、なお軽やかに生きる。それが「いき」である。
遊郭という場所を思い浮かべてほしい。
そこでは、恋は成就しない。客と遊女の関係は、金銭で結ばれた仮初めのものである。「本気」になってはいけない。
しかし、だからこそ、洗練が生まれる。
叶わないと知りながら、なお惹かれ合う。手に入らないからこそ、美しい。
執着を断つのではない。執着を知りながら、なお執着に溺れない。その緊張の中に、美がある。
「諦め」は「垢抜け」に通じる。
世俗の執着から一歩引いた視点。「どうせ叶わない」という諦念。しかしそれは、冷たい諦めではない。諦めた上での、軽やかさ。自由。
ここに、日本人の絶望との向き合い方の一つの完成形がある。
運命を受け入れる。しかし、ただ屈服するのではない。受け入れた上で、美しく生きる。
「諦め」を経た上での「意気地」。
これが「いき」である。
*
この態度は、現代にまで続いている。
「判官贔屓」という言葉がある。
源義経への同情から生まれた言葉だ。兄・頼朝に追われ、奥州で非業の死を遂げた義経。勝者ではなく敗者を、強者ではなく弱者を応援する心性。
日本人は、なぜか負ける側に惹かれる。
平家物語の平家、忠臣蔵の浅野家、新選組、西郷隆盛。歴史の敗者たちが、繰り返し物語られ、愛されてきた。
これは「滅びの美学」とも呼ばれる。
華々しく散ること。潔く負けること。勝利よりも、美しい敗北。
桜が散る姿に美を見出す感性と、これは通底している。
映画監督・深作欣二の『仁義なき戦い』シリーズ(1973年〜)は、この美学の現代的表現である。
広島の暴力団抗争を描いたこの映画で、登場人物たちは次々と死んでいく。しかも、その死は無意味である。裏切られ、騙され、使い捨てにされて死ぬ。「犬死に」である。
しかし深作は、この犬死にを、美しく撮った。
報われない死。意味のない死。それでもなお、彼らは生きた。戦った。死んだ。
その姿に、観客は心を動かされる。
「役に立つ死」ではなく、「報われない死」を見つめる。
犬死にすら、愛でる。
これもまた、日本人の絶望との向き合い方の一つである。
*
ここまでの系譜を整理しよう。
記紀神話——敗者を讃える。オオクニヌシ、ヤマトタケル、クマソタケル。
もののあはれ——無常を美として味わう。教戒ではなく、美学として。
能——死者の声を聴く。破壊ではなく、対話によって。
浄土信仰——世界を壊すのではなく、世界から出ていく。
粋——運命を受け入れた上での自由。諦めを経た軽やかさ。
滅びの美学——犬死にすら愛でる。報われない死を見つめる。
これらに共通するのは、絶望を「処理」するのではなく、絶望と「共にある」態度である。
終末予言が「世界を壊して絶望を終わらせる」のに対し、日本人は「絶望の中に美を見出す」道を選んだ。
滅びゆくものを、滅びゆくままに、愛でる。
これが、日本人の絶望との向き合い方の作法である。
*
そして重要なのは、この作法が神話時代から現代まで一貫していることだ。
記紀神話の敗者への傾聴。平安時代のもののあはれ。中世の能。江戸の粋。近現代の滅びの美学。
千数百年にわたる、一本の糸。
比較神話学は、過去の遺物を扱う学問ではない。
神話は今も生きている。現代の物語の中に、現代人の心性の中に、神話は息づいている。
記紀で敗者を讃えた態度は、『仁義なき戦い』で犬死にを見つめる態度と、構造的に同じなのである。
*
さて、ここまで日本の終末の「不在」について論じてきた。
創世神話の構造、末法思想の翻訳、そして絶望との向き合い方の作法。これらが相まって、日本には終末予言が根づかなかった。
しかし、話はここで終わらない。
終末論の物語は、現代においても続いている。
宗教から政治へ。神話からイデオロギーへ。予言から陰謀論へ。
終末は形を変えて、今も私たちのそばにある。
次章では、世俗化した終末について見ていく。
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