第十七話:消された名前

 氷室の扉の前は、祈りの場所じゃない。


 ここは、仕込みの場所だ。


 氷を削り、塩を混ぜ、冷気を当てる。使った道具は、溶けるまで待てば消える。だから犯人は、ここを選んだ。


 なら、決着もここでつける。


 逃げ道がない。寒さで息が白くなる。嘘も同じだ。冷えるほど、隠したものが浮く。


 王太子殿下は私の推理を採用し、主導権を預けた。私はその権限で関係者を集める。


 公の裁判にはしない。貴族社会は恥を見世物にしない。体面を守りつつ、真実だけを抜く。


 だから、半公開。


 見ていい者だけが見る。

 聞いていい者だけが聞く。

 逃げられない者だけが立つ。



 夜明け前。氷室前の廊下に灯りが並び、蝋燭の炎が冷気で小さく揺れた。扉の鉄金具が青白く光る。息は白い。


 集まったのは必要最低限だった。


 王太子殿下。

 近衛騎士ガウェインと部下数名。

 医務官セレーネ。

 会計係ベネディクト。

 氷室の管理担当たち。

 数名の文官。

 図書館関係者――司書長と、助手のノア。


 そして最後に、拘束される寸前のリリアが護衛に挟まれて連れてこられた。肩は縮んでいる。けれど足は止まらない。怯えているのに、逃げない足だ。


 私は彼女の隣に立った。守るため。ここに立たせるため。


 殿下が一歩前に出る。


「ここは公の裁きの場ではない。しかし真実を確かめる場である。余計な口外は許さん」


 それだけで空気が締まった。逃げ道のない場になる。


 私は一礼し、前へ出た。


「皆様、お集まりいただきありがとうございます」


 丁寧に言う。丁寧さは、この場では武器になる。


「これより、マリア様殺害事件について、私が集めた物証を示します」


 氷室の扉の横、布を敷いた長机を指した。


 鍵の貸出台帳。借り手欄が削られた行がある。

 氷室の管理記録。紙質と印章の癖が違うページがある。

 角の擦れた運搬箱。備品札は図書館の番号。

 セレーネの簡易所見の紙。


 魔法という言葉を先に出すと、話が霧になる。だから私は、最初に物を出す。


 文官の一人が鼻で笑った。


「並べて何になる。魔法の証明はどこだ」


 私は視線を外さず答える。


「魔法を証明するのではありません。魔法ではない、と証明します」


 ざわめきが走った。冷気の中で、人の声だけが熱い。


 私は机の端に指を置く。


「確認します。刺し傷は刺突。凶器は見つからない。遺体は氷室級に冷えていた。霜は不自然。運搬箱には図書館の備品札。そして台帳には、削られた行がある」


 既に出ている事実を、ここで一本にする。


「これらは、氷魔法でなくても説明できます。凶器は氷。刺した後に溶けて消える。霜は冷気を当てれば出る」


 ガウェインの目が細くなる。司書長の顔が固い。ベネディクトは袖で汗を拭った。


 背後から刺すような声。


「面白い筋書きだな、公爵令嬢」


 文官だ。口角が上がっている。


「だが、その物は誰が用意した? お前が潔白を示すために並べたのではないか。箱も台帳も、全部“作れる”だろう」


 ざわめきが一段増した。リリアが怯えたように私の袖を掴む。


 私は引きはがさない。握らせたまま、文官を見た。


「作れますわ」


 わざと、そこで止める。反応が膨らむのを待つ。


 そして、次の一言を落とした。


「ただし――同じ痕は作れません」


 文官の眉が動く。


 殿下が静かに言った。


「ロザリア。手順を示せ」


「承知しました」


 私は鍵の貸出台帳を開き、削られた行を皆に見せた。灯りを近づけると、紙の表面がわずかに毛羽立っている。


「ここです。氷室の鍵が貸し出された記録の中に、名がない行がある。偶然ではありません。削った痕が残っている。つまり、書かれていた名を消した人間がいる」


 氷室の管理担当が震える声を漏らした。


「わ、私は……そんな……!」


「あなたがやったと言っていません」


 私は即座に切る。


「私が言っているのは一つだけ。“消した者がいる”という事実です。そして、その者はこの場にいます」


 空気が固まった。互いを見る目が変わる。疑いの視線が交差する。


 その時、目の端に入った。


 人垣の端。司書長の少し後ろ。灯りの陰に、影の薄い青年。


 ノア。


 関係者として来ているのに、存在感が薄すぎる。補助。記録係。使い走り。背景。


 背景であることが、逆に気持ち悪い。


 私は視線だけで捉えた。彼もこちらを見る。ほんの一瞬、目が合う。


 ノアはにこりと笑った。


 礼儀正しい。無害そうだ。整いすぎている。


 寒気が背中を走る。


(この場を、落ち着いて見ていられる人間は誰だ)


 私は息を吸い、冷気を肺に入れた。


 明朝まで、もう時間はない。



 私は一歩前へ出た。


「皆様。まず断言します」


 場が静まる。蝋燭の芯が小さく鳴った。


「この事件は、氷魔法による犯行ではありません」


 ざわり、と空気が揺れた。


「凍り方が魔法だ!」

「霜が出ていた!」

「魔法以外にどうして――!」


 声が重なる。


 殿下が手を上げる。ぴたり、と止まる。


「遮るな。続けろ」


 私は頷いた。


「魔法だと決めつければ楽です。でも、楽な答えは犯人を逃がします。――真実は、物が持っている」


 セレーネが一歩前に出る。


「傷は刺突でした。通常の刃物で切り裂いた形ではありません。そして遺体の冷え方は異常でした」


 専門家の言葉で、場の熱が少し落ちる。


 私は運搬箱を叩いた。鈍い音が響く。


「凶器は氷です。氷室の氷。井戸水を魔道具の冷気で凍らせ、氷室で保管する普通の氷。刺した後に溶ける。だから凶器が残らない。魔力残滓も薄い」


 文官が歯噛みする。


「そんな都合のいい――」


「都合がいいから、犯人は選びました」


 私は言い切る。


「そして霜と冷えすぎは偽装です。冷気を当てれば霜は出る。氷室の冷気は“道具”として使える」


 最後に、もう一度だけ台帳を示す。


「ただ一つ、魔法では誤魔化せないものがあります。削られた名前。ここに人の手が入っている」


 “人の手”。


 その言葉が、冷気より冷たく響いた。


 私は視線を人垣の端へ滑らせる。


 ノア。


 彼はまだ穏やかだ。けれど、肩がほんのわずかに動いた。呼吸のタイミングが、乱れた。


 小さすぎて、誰も気づかない。


 でも私は見た。


(今のは、反応)


 私は表情を変えずに続けた。


「次に問うべきはただ一つです。誰が氷室に入り、誰が名を消し、誰が箱を使い、誰が霜を作ったのか」


 殿下が静かに言う。


「ロザリア。名を挙げる準備はできているのか」


 天秤が、こちらに重みを求める。


 私は一礼した。


「はい、殿下」


 胸の中でだけ確認する。


 小さな反応。

 整いすぎた笑み。

 背景にいるべきではない位置。


 答えは、この場にいる。

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