第十三話:仮説の差し替え
昼。
私は部屋に戻ると、机に紙を広げた。頭の中の情報を並べ直す。棚卸しじゃない。仮説を差し替える。
・刺し傷は「裂け」ではなく「刺突」
・凶器が現場にない
・遺体が不自然に冷えていた(夜気だけでは説明しづらい)
・霜の付き方が不自然
最後に、太い線で書いた。
「氷魔法使いが犯人?」
そして、×。
氷が出れば氷魔法。皆がそこへ戻りたがる。分かりやすいからだ。
でも、分かりやすい結論ほど、犯人の逃げ道になる。
(氷は、魔法がなくても手に入る)
学院の氷は、井戸水を氷の魔道具で冷やして凍らせたものだ。魔法で“氷そのもの”を生み出しているわけじゃない。魔道具は冷気として働き、水を凍らせる。作った氷を氷室に保管する。
氷魔法で直接氷を作れば、魔力が元素になる。強固にすることもできる。だから「氷魔法で殺した」と言えば、話としては強い。
でも、逆に言えば――犯人はそれを利用できる。氷室の氷を使っても、周囲は勝手に「氷魔法」と結論づけてくれる。
私が欲しいのは、結論じゃない。証拠だ。
ペンを走らせる。
「凶器が消える手段」
氷は溶ける。凶器が残らない。
問題は、どうやって刺すか。
氷は脆い。形を作っても欠けやすい。けれど、刺突は「一点」と「勢い」があれば成立する。刃の美しさは要らない。
「推進力」
私はそこで、別の言葉を置いた。
「風」
風は地味だ。だから見落とされる。
でも風は、色々できる。
物を飛ばせる。
音を散らせる。
扉の軋みを小さくできる。
冷気の流れを変えられる。
遺体が冷えすぎていたことも、霜の不自然さも、「冷気を当てられた」なら説明がつく。氷室級の冷えを別の場所で作る必要はない。氷室の冷気は、氷室にあるのだから。
私は紙に書いた。
「氷(物)+風(制御)」
この線が正しいなら、犯人は氷室に関わっている。
そして、風を扱う知識を持っている。
(知識は、どこで手に入る?)
私は外套を掴み、近衛詰所へ向かった。
◇
近衛詰所の空気は、いつ来ても固い。
ガウェインは机に肘をつき、報告書を睨んでいた。私を見ると顔をしかめる。
「また来たのか。今のお前は容疑者だ。動けば動くほど首が締まる」
「締まる前にほどくのですわ」
私は机の前に立った。
「風魔法を扱える者を洗い出したい。近衛の名簿を見せて」
ガウェインの眉が跳ねる。
「風?」
「ええ。地味だからこそ、証拠が残りにくい」
ガウェインは舌打ちし、引き出しから薄い綴りを出して机に置いた。
「近衛にも風の術者はいる。伝令役に多い。俺も簡単な術は使うが、細工は得意じゃない」
「細工?」
「音を散らす、狙いを付けて物を飛ばす、空気の流れを小さく制御する。そういう器用なやつは限られる」
私は頷いた。欲しいのはそこだ。
「図書館に行きます。風に関する本の貸出記録を確認したい」
ガウェインが立ち上がる。
「勝手に動くな」
「単独では行きません。あなたに立会いを求めます。私が何を見て何を取ったか、あなたの目で確認して」
ガウェインは嫌そうに頷いた。
「……いいだろう。少しでも怪しい動きをしたら縛る」
「望むところですわ」
◇
図書館の空気は静かで、声を出すのが少し気になる。
司書室に通され、年配の司書長が出てきた。顔は疲れているが、目だけは鋭い。
「……公爵令嬢。今日は何の用件で」
「貸出記録を。風の制御、風除け結界、室内の空気の扱い。そういう本です」
司書長の眉が上がる。
「風、ですか」
横でガウェインが腕を組み、黙って圧をかけた。司書長は観念したように帳面を出す。
私はページをめくり、題名と借り手を追った。
あった。
返却期限が過ぎているのに、返却印がない本が一冊。
『風除けの結界と室内流体』
借り手欄の文字は薄い。急いだような線。
司書長の顔色が変わった。
「これは……」
「誰が借りたの?」
司書長は一度口を噤み、ガウェインを見る。ガウェインが低く言った。
「言え」
「……助手ノアです。『調べものだ』と」
胸の奥が冷えた。
図書館の備品札。
氷室で見つかった図書館の運搬箱。
そして、風の本。
ガウェインがすぐに動く。
「拘束する」
「待って」
私は止めた。
ガウェインが振り返る。苛立ちが顔に出ている。
「時間がない」
「だから、逃げられない線を太くする」
私は帳面の一行を指で押さえた。
「この本は貸出中。返却遅れは記録に残る。ここは揺れない証拠です。今、無理に捕まえれば、彼は口を閉ざす。隠している場所も潰れる」
ガウェインは歯を鳴らした。
「じゃあ、何をする」
「氷室の台帳をもう一度確認します」
私は言った。
「氷を使うなら、必ず氷室の記録に触れる。触れないなら、触れないための“穴”がある。どちらでも、台帳が鍵になる」
司書長が不安そうに言う。
「ノアは今日は当直ではありません。寮に戻っているはずですが……」
「十分です」
私は短く答えた。
「司書長、この貸出の写しを取らせて。後で『聞いてない』と言われたくない」
司書長が頷き、紙を用意し始める。ガウェインは黙って見ている。
私は司書室を出ながら、ガウェインに言った。
「図書館の線は太くなりました。でも、氷室の線も太くしないと、明朝までに届かない」
「氷室に戻るぞ」
「戻る前に、会計です。台帳は会計側の管轄が絡む」
ガウェインの顔が少し険しくなる。
「またベネディクトか」
「ええ。彼は“穴”を知っている。穴を作ったのが彼でも、穴を使ったのが別でも、どちらでも必要です」
◇
氷室の隣の事務室は、相変わらず乾いた匂いがした。窓は小さく、机は硬い。
ガウェインの立会いで、私は氷室の台帳を机に置かせた。ページを開く。
用途欄の空白。
署名の欠け。
数字だけが整っている行。
私は前回見た“穴”を確かめ、それから、わざと別の日のページも何枚かめくった。
印の押され方。
インクの濃淡。
紙の色。
(……癖がある)
人は同じ動作を繰り返すと、癖が残る。印章も同じだ。押し方の偏りが出る。
私はあるページで手を止めた。
印の輪郭が、妙にくっきりしている。
いつもの“癖”が見えない。
指先で紙を撫でる。繊維の感じが、ほんのわずかに違う。
私は顔を上げ、ガウェインを見た。
「……台帳、触られています」
「改ざんか」
「可能性が高い。少なくとも、このページだけ違う」
ガウェインの目が鋭くなる。
「誰がやれる」
「台帳に触れる者。印章に触れる者。紙を差し替えられる者」
私は台帳を閉じた。
「ガウェイン。ベネディクトを呼んで。今すぐ。ここで、本人の口から確認します」
ガウェインは短く頷いた。
「呼ぶ」
扉の外へ歩き出す背中を見ながら、私はもう一度台帳に視線を落とした。
“空白”は、やっぱりただのミスじゃない。
誰かが作った穴だ。
そして、その穴は――今この瞬間も、広がろうとしている。
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