第5話 締め付ける茨

 金属疲労の悲鳴とともに、巨大な南京錠が弾け飛んだ。それは、ダムの決壊を告げる号砲だった。 


 ガコンッ、ドプッ……ドバァァァァァァッ!!


「――ぶッ!?」


 目を見開いた瞬間、鋼鉄の扉――『城門』が重力に従って開いた。途端に、内部に圧縮されていた高圧の液体が、ガレアの顔面めがけて噴出したのだ。


「ぐ、ぅおぉぉッ!?」


 熱い。そして、ヌルヌルしている。

 それは数週間、あるいは数ヶ月分の排泄物と愛液、汗、そして強制発情によって分泌され続けた粘液が、体温という釡で煮込まれた「熟成汚泥バルクト・スラッジ」だった。

 視界が濁った黄色に染まり、鼻をつまんでいても防ぎきれない暴力的な悪臭が皮膚を焼く。


「いやぁぁぁぁッ! 見ないでぇ! ママの、ママの恥ずかしいのがぁぁッ!!」


 ビッグ・ママが、この世の終わりかのような絶叫を上げた。彼女は武器であるハンマーを放り出し、慌てて両手で股間を隠そうとする。

 だが、巨体ゆえに手だけでは隠しきれない。露わになった秘部は、長期間の密閉と不潔な環境によって爛れ、赤く腫れ上がり、そこから未だにドロドロとした汚物を垂れ流していた。


「嫌だ、嫌だぁ! ママは綺麗なはずなの! ママは聖母なのよぉぉッ!」


 戦闘力の源泉であった羞恥心とストレスが、飽和点を超えて逆流した。誰にも見せたくなかった醜悪な真実を、数千の観客と、何より背中の「息子たち」に晒してしまった絶望。

 彼女の精神は、物理的な攻撃を受けるよりも深く崩壊していた。


「……ッ、ぷはッ!」


 ガレアは顔についた粘液を手で拭い去り、大きく息を吐いた。

 最悪だ。全身が腐った卵のような匂いでコーティングされている。

 だが、勝機は今しかない。


「おい、ババア」


 彼女は斧を構え直し、羞恥に悶える肉の山を見上げた。


「風通しの悪い要塞はな、中から腐って落ちるもんだ」


「ひっ、来な――」


 刃物はいらない。今のこいつは、豆腐のように脆い。ガレアの全力の頭突きが、ビッグ・ママの鼻梁に炸裂した。鼻骨が砕ける音と共に巨体が揺らぎ、スローモーションのように後ろへと倒れていく。地響きとともに、要塞は陥落した。

 背中の籠が衝撃で壊れ、中から少年たちが転がり出る。彼らは呆然と、白目を剥いて倒れた「ママ」と、その股間から広がる汚物の水たまりを見つめていた。


「勝者! 鉄錆の枷、ガレア!!」


 審判の声も、どこか鼻声だった。観客席からは歓声よりも、「うわぁ……」というドン引きの声と、ハンカチで鼻を覆う仕草が波のように広がっていく。


「……終わったか」


 ガレアは斧を杖にして立ち尽くす。全身がベトベトで、気持ち悪いことこの上ない。


「ガレア」


 ルシアンが近づいてくる。彼は眉をひそめ、ハンカチを二枚重ねにして口元を覆っていた。そして、ガレアに触れるのを露骨に避けて、距離を取って立った。


「……近づくな。臭い」


「ひどいぞマスター! お前の命令で突っ込んだんだぞ!」


「わかっている。だが、生物としての防衛本能が拒否しているんだ」


 ルシアンは懐から予備のタオルを取り出し、トングのような棒でつまんでガレアに渡した。


「まずは水浴びだ。業務用洗剤をボトルごと使え。……その匂いが消えるまで、半径5メートル以内立ち入り禁止だ」


「うぅ……ご褒美のキスは?」


「消毒が終わってからだ」


 ガレアは肩を落とし、とぼとぼと退場ゲートへと向かう。背後では、清掃員たちが防毒マスクをつけてリングに上がっていくのが見えた。


 ◇


 シャワーを浴びること一時間。ようやく人心地ついた二人が次に相対したのは、ある意味でビッグ・ママ以上に厄介な相手だった。


「準決勝進出をかけた第二試合! 『鉄錆の枷』ガレア対……『聖悦の処刑人』シスター・テレサ!!」


 リングに現れた女は、ボンテージ風に改造された修道服から白い肢体を晒し、背中には棘付きの巨大な車輪ホイール・オブ・ペインを背負っていた。


 そして何より異様なのは、彼女の股間を覆う貞操帯だった。

 それは、無数の銀色のワイヤーと鋭利な棘で編み上げられた『聖なる茨(シルバー・ソーン)』。動くたびに、あるいは興奮するたびに、ワイヤーが自動的に巻き取られ、棘が柔肌に食い込む仕組みになっている、自傷型の拘束具だ。


「ああ、神よ……。今日も私に、素晴らしい痛みをお与えください……」


 テレサは恍惚とした表情で、自らの太腿に血を滲ませている。その背後には、制御者であるパートナーが立っていた。

 まだ十代半ばと思われる、盲目の少年司祭だ。


「……主は言われた。汝、肉の欲を捨て、血の贖いをもって昇天せよ」


 少年が鈴を転がすような声で聖典の一節を読み上げると、テレサの腰にある機械仕掛けがカチリと作動し、ギリギリと茨が締め上げられた。


「あァッ! んんんッ! よい、よい締め付けです……ッ!」


 テレサがビクンと背中を反らす。苦痛ではない。彼女の顔にあるのは、ドロドロに溶けた快楽の色だ。


「ガレア、警戒しろ」


 ルシアンが低い声で告げる。


「あの女のフェロモン濃度、異常だぞ。痛みを感じるたびに脳内麻薬が分泌され、身体能力が跳ね上がっている」


「マゾヒストのバーサーカーかよ。一番相手にしたくないタイプだ」


 ガレアは斧を構えるが、嫌な予感が拭えない。

 ビッグ・ママは物理的に汚かったが、こいつは精神的に「濁って」いる。


「さあ、いらっしゃい! 貴女のその大きな斧で、私を断罪して! ぐちゃぐちゃになるまで愛してぇッ!!」


 テレサが車輪を振り回し、踊るように突っ込んでくる。その瞳は、ガレアを敵としてではなく、最高の「責め道具」として見ていた。

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