第4話 母の愛、という名の地獄

 ズゥン……ズゥン……。地鳴りだ。物理的な質量が、石畳を踏み砕く振動が、ブーツの底を通して伝わってくる。


「準々決勝! 鉄錆の枷、対するは……重装の要塞母艦!!」


 対面の巨大なゲートが、観音開きに開かれる。

 そこから現れたのは、人間というよりは、肉と鉄でできた小山だった。

 分厚い脂肪の鎧をまとった巨体。だが、それは弛んだ贅肉ではない。砲弾すら弾き返すゴムのような弾力を持った、天然の装甲だ。


「あらぁ……可愛い子猫ちゃんねぇ。ママが抱っこしてあげましょうか?」


 その巨女――ビッグ・ママが、赤く塗られた分厚い唇を歪めて笑う。彼女の背中には、巨大な鉄籠が背負われていた。その中には、あろうことか5、6人の美少年たちが詰め込まれている。全員が首輪をつけられ、怯えた瞳をしたオメガの少年たち。


「ママ、ママ……怖いよ……」


「お腹すいたよぉ……」


 彼らは互いに身を寄せ合い、震えている。ビッグ・ママは、籠から伸びたパイプのようなチューブを口に咥え、彼らが発散する恐怖とオメガフェロモンを、酸素ボンベのように深々と吸い込んだ。


「スー……ハァ……。いい匂いだよ、私のかわいい息子たち」


 吸入と同時に、ママの全身の血管がミミズのように浮き上がり、肌が赤黒く変色する。

 自家発電のようなフェロモン循環システム。パートナーとの信頼関係などない。そこにあるのは一方的な搾取と、歪んだ母性だけだ。


「……吐き気がするな」


 ガレアは断頭斧を構え、唾を吐き捨てた。

 ルシアンとの清廉な──と自分では思っている──主従関係とは対極にある、醜悪な依存。 


 だが、何よりも目を引いたのは、彼女の股間だった。ガレアのような下穿き型の貞操帯ではない。彼女の強大な下腹部を覆っているのは、分厚い鋼鉄の扉――まさに『城門ゲート』だった。

 リベットで打ち付けられた鉄板の中央には、拳ほどもある巨大な南京錠がぶら下がっている。


「あれは……排泄すらできないんじゃないか?」


「ああ。完全に密閉されているな」


 ルシアンが冷ややかに分析する。


「あれは外部からの侵入を防ぐ類のものではない。愛液はおろか、汗も、尿も、すべてを鉄扉の内側に溜め込み、その不快指数をストレス源として戦闘力に変えているんだ」


「うげぇ……汚ねえ」


 ガレアは心底顔をしかめた。彼女の鉄枷も蒸れるし不潔だが、定期的にルシアンが洗ってくれる。だが奴のは、腐敗した汚泥のタンクを股間にぶら下げているようなものだ。


「行くぞ、ガレア。風下に立つなよ。匂いで鼻が曲がるぞ」


「了解だ、マスター!」


 ガレアは地面を蹴った。巨体ゆえに動きは鈍いはず。懐に入り込み、足元を崩す!

 だが、ママは動かなかった。彼女は丸太のような腕で、手にした武器――巨大な大砲カノンがついたハンマーを、軽々と持ち上げた。


「チョロチョロと……目障りだよぉッ!!」


 ハンマーの先端から、実弾が発射された。

 ガレアは咄嗟に斧を盾にして防ぐが、爆風と衝撃で数メートル後ろに吹き飛ばされる。


「くっ、重い……ッ!」


「オホホホ! ママの愛ミルクはたっぷりあるからねぇ! 次弾装填リロード!」


 ママがパイプを強く吸う。

 籠の中の少年たちが悲鳴を上げる。彼らの精気が吸い取られ、ママの筋肉がさらに膨張する。


「動く城塞か……厄介だな」


 ガレアは痺れる手で斧を握り直した。

 あの不潔極まりない『城門』を、どうやって突破するか。

 腐臭と火薬の匂いが充満するリングで、肉弾戦の幕が上がった。


「オホホホ! どうしたのぉ、子猫ちゃん! ママの抱擁だっこが怖いのぉ!?」


 ビッグ・ママが振るう巨大な大砲搭載破城槌ビッグカノン・ハンマーが、空気を引き裂く音を立てて迫る。

 直撃すれば、筋肉の鎧ごと骨粉にされるほどの質量攻撃だ。


「ちょこまかと……うざったいねぇ!」


 ママがイラつき、背中の籠に繋がるパイプを噛み砕かんばかりに強く吸い込んだ。


「イヤだ、やめてママ! 吸わないで!」


「変なの出ちゃうよぉ……ッ!」


 籠の中の少年たちが痙攣し、白目を剥く。彼らの若いオメガフェロモンが強制的に搾り取られ、ママの巨体に充填される。

 ドーピングされた彼女の肌は紫色に変色し、体温の上昇によって周囲の空気が陽炎のように揺らめいていた。


「ガレア、距離を取れ! 奴の内部圧力が上がっているぞ!」


 ルシアンの警告が飛ぶ。

 だが、遅かった。


「熱い……熱いねぇ。ムラムラしてきたよぉ。……少し、ガス抜きが必要だねぇ」


 ママがニタリと笑い、城門の横にある、バルブのようなレバーに手をかけた。

 プシュゥゥゥ……。蒸気の抜ける音がしたかと思うと、次の瞬間、凄まじい音と風が噴出した。


「――ぐッ!?」


 斧で顔を覆った瞬間、鼻腔を突き抜けたのは、この世のものとは思えない悪臭だった。腐った卵と発酵したチーズを煮詰めて、手入れされていない家畜の尻尾の生え際に塗りたくったような刺激臭。


「ガハッ、ごホッ!? な、んだ……これ……目が、痛い……!」


 ガレアはたまらず膝をついた。涙が止まらない。喉が焼け付くようだ。

 それは、ビッグ・ママが試合期間中――あるいはそれ以上の期間、あの鉄の扉の内側に溜め込み続けてきた汎ゆる老廃物が混ざり合い、体温で熟成された、地獄の瘴気だった。


「オホホホ! 良い香りでしょう? ママの熟れたフェロモン、たっぷり堪能なさいな!」


 ママは排気口ベントを開放したまま、黄色いガスを撒き散らしながら迫ってくる。

 嗅覚の鋭いアルファにとって、これは毒ガス以上の兵器だ。

 平衡感覚が狂い、力が入らない。


「くそっ、臭ぇ……! 俺の股間だって蒸れるが、ここまで腐っちゃいねえぞ!」


「ガレア! 呼吸を止めろ!」


 ルシアンがハンカチで鼻を押さえながら叫ぶ。


「奴の強さの源は、その『溜め込み』によるストレスだ! 逆に言えば、タンクを破壊しさえすれば、奴の精神的優位は崩壊する!」


「破壊って……あの汚物タンクをか!?」


「そうだ! 鼻をつまんででも突っ込め! 『城門』をこじ開けて、中身をぶちまけろ!」


 ルシアンの無慈悲な命令。

 奴の最大の武器は、あの不快な悪臭と、それを閉じ込める鉄壁の防御だ。理屈は分かる。だが……。


「……了解だ、マスター。帰ったら、業務用洗剤で3時間は洗ってくれよな……!」


 ガレアは大きく息を吸い込み――そして、止めた。

 肺の中の酸素が尽きる前に、決着をつける。


「あらァ? 諦めてひれ伏すのかしら?」


 ママがハンマーを振り上げる。

 その隙だらけの脇腹へ、ガレアは地を這うような低空ダッシュで潜り込んだ。目指すは、あの悪臭を放つ黄色いガスが噴き出す発生源。巨大な南京錠で閉ざされた、鋼鉄の扉だ。


「開門の時間だ、ババアッ!!」


 ガレアは断頭斧の──刃の反対側にある──鋭利なピック)部分を前に突き出し、渾身の力で突き上げた。南京錠の太いU字金具に噛み込み、金属と金属が悲鳴を上げる。


「なっ、何をする気だい!? そこはママの秘密の花園だよぉッ!?」


「花園? 笑わせるな、ただの肥溜めだろッ!!」


 ガレアは全身の筋肉を膨張させ、テコの原理で斧の柄を押し込んだ。

 ママの南京錠が、ミシミシと歪んでいく。


「や、やめろぉ! 開けるなぁ! ママの恥ずかしいのが漏れちゃうぅぅッ!!」


 ママが慌ててハンマーを取り落とし、ガレアの頭を素手で殴りつけてくる。だが、もう遅い。ガレアの破壊衝動の方が、鉄の強度を上回った。太い金属音が響き、南京錠が弾け飛んだ。今、封印が解かれる。

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