第2話 召喚バグ


 ここは――どう見ても異世界だった。


 胸元の紋章入りローブを着た連中がざわつく円形の大広間。壁には見慣れない文字だが何故か読める「ソレスティア王城・儀式場」と刻まれている。どうやらここは、ソレスティアという国の召喚室らしい。兄弟国にルナリスという国もあるらしいが、予想以上にテンプレな状況に俺たちの脳が追いついていなかった。


「……マジで異世界召喚とかあるんだな……」

ぜん、目が死んでるぞ」

「そりゃ死ぬだろ衛。現実感ゼロだし」


 俺――善。

 そして幼馴染のまもる勇希ゆうき。三人まとめて突然異世界に召喚されてしまった。アニメで見たテンプレ展開そのまんま過ぎて、テンション上がるどころか逆に引いている。


 本来ならここで、“チュートリアル”が始まるらしい。


 ――ステータスウィンドウの説明。

 ――能力の見方。

 ――お約束のチートアイテム配布(Bランク以上確定、運が良ければSランク)。


 しかし現実は、あまりにも雑だった。


「えー、その……ルナリスと同時召喚されたらしく、その影響で召喚陣がバグりまして……」


 場の責任者らしい神官が、申し訳なさそうに言葉を詰まらせる。


「ステータスウィンドウが……その……読めません」


「読めません、って何……?」


 俺の問いに、神官は胸を張って続けた。


「ですが! “メモ帳機能”は生きています! 大変便利ですので、ぜひご活用を!」


 メモ帳って……

 それ、スマホでも使わない人のほうが多いやつだろ。


 勇希が肩を震わせて笑っている。衛は半目でウィンドウをつついている。


「これほんとになんも見えねえ……数字バグって“∞÷エラー”みたいなの出てるし」

「ゲームで見たことあるやつだ」


 追い打ちをかけるように、次のイベント――チートアイテム配布が始まった。


「さあ来訪者の皆さま。運命の武具をお受け取りください……!」


 神官の手元に光が集まり、三つのアイテムが出現した。

 ……のだが。


「善さまには……こちらを」


 俺の目の前に落ちてきたのは――


 さっき図書館に返却したはずの本。


『ソクラテスの問い』


「いやいやいやいやいや!? なんで戻ってきた!? お前、呪いの人形か!?」

「ぜ、善……っ、ははっ……!」

「俺と勇希は普通なのに……善だけ知性枠すぎる……!」


 衛のアイテムは、キャンプのお供“ファイアスターター(火打石)”。

 勇希は調味料セット。

 異世界武具の面影ゼロだが、まだ用途は分かる。火と料理。

 俺だけ完全にひとりだけ授業参観で国語の教科書渡された感じだ。


「本当にこれで戦えと……?」

「魔導書の可能性もあります! たぶん! おそらく!」


 責任者の神官は、目をそらしながら言った。


 ――絶対違うだろ。



 召喚儀式が終わると、俺たちはギルドに向かうように指示され、ソレスティアの街にあるギルドに向かった。

 ソレスティアの街に足を踏み入れた瞬間、まず鼻が「異世界」を理解した。

 石畳の乾いた粉っぽさと、焼きたてのパンみたいな香ばしい匂い。そこに、どこか甘い花の香りが混じっている。道の端では屋台が湯気を立て、鉄鍋をかき回す音が小気味よく響く。

 視界を埋めるのは、オレンジ色の屋根、屋根、屋根。太陽みたいにあたたかい色で統一された街並みは、ヨーロッパの観光ポスターをそのまま立体化したみたいだった。


 ――いや。違う。

 近づくほどに、「それっぽい」の皮が剥がれていく。


 建物の壁面を走る金属の溝。路地の角に埋め込まれた小さな魔法陣。水路の上を渡る石橋の下では、透明な膜みたいな結界が、ゆらゆらと水面を押さえつけている。

 噴水の水は一滴も外へ散らず、均一なリズムで“正しく”落ちる。たぶん、風の影響を魔法で打ち消してる。

 街の灯りも、ただの松明じゃない。昼なのに街灯が淡く脈打っていて、魔力の呼吸みたいに見える。


「……ほんとに、現代と中世の“間”だな」

 思わず口から漏れた。


 隣で衛が、首の後ろを掻く。

「景観はヨーロッパっぽいのに、インフラだけ未来だよな。」

 勇希が小さく笑って頷いた。

「でも、生活はしやすそうだね。水が安定してるだけで、だいぶ違う」


 その“生活”に、俺たちはまだ紐づけできていなかった。

 さっきまで王城の儀式場で、意味の分からないバグ召喚を食らったばかりだ。

 胸の奥が、ずっとふわふわしてる。落ち着ける場所がない。足元の石畳だけがやけに硬くて現実的で、逆に怖い。


 ギルドへ向かう道中、案内役のギルド職員(たぶん新人に慣れてる)が、歩く速度も視線の置き場も“ちょうどいい”感じで説明を始めた。

「この街は太陽を象徴にしておりまして。屋根色の統一は条例です。」


 職員は、さらっと続けた。

「治安については、国軍よりギルドの方が強いです。巡回も、揉め事の仲裁も、基本は冒険者がやっています」

 ――へえ、頼りになるじゃん。

 そう思いかけたところで、職員が声を少し落とす。

「ただ、スラムのような地区もあります。古い下水路と倉庫街の一帯。……近づかない方がいい」

 言い方が、軽いのに重い。

 その一言で、屋根のオレンジが一段、くすんで見えた気がした。


 路地裏を通り過ぎる時、視線の端に“影”が揺れた。

 壁に背をつけて座り込む子ども。汚れた布を抱えた女。目が合いそうになった瞬間、ふっと逸らされる。

 胸の奥が、ひやりと冷えた。

 この街は綺麗だ。だけど、綺麗な場所ほど、汚れが目立つ。


「……近づかない方がいいって、そういうことか」

 衛がぼそっと言う。

 いつもの軽口のトーンじゃない。

 勇希は何も言わず、歩幅をほんの少しだけ狭めて、俺たちの間に入った。盾みたいに。


 ギルドが見えてきた。

 石造りの大きな建物で、入口の上に太陽の紋章が彫られている。扉が開くたび、木の軋みと人の声と、金属の擦れる音が溢れ出してくる。

 中は、熱気があった。

 汗と革鎧の匂い。アルコールと薬草。紙の束。乾いた土。

 いろんな人生の匂いが混ざってる。ここは“生きる場所”だ。


 受付に並ぶ冒険者たちの会話が、耳に引っかかる。

「――昨日の依頼、死人出たってよ」

「だから上級は割に合わねえんだ」

「でも名声がねぇと、結局……」

 言葉が軽い。軽すぎる。

 死が、日常の単語として流れていく。


 俺は喉の奥が乾くのを感じた。

 異世界召喚はテンプレでも、ここでの“冒険者”は、遊びじゃない。


まずは支度金の支給。

当面の宿代と食費には困らない程度として配布される制度のようだ。


以下参考資料

支給額:5,000tw(1人)

・1twトワ=1円相当

・硬貨・紙幣の体系もほぼ日本円と同じ

・月と太陽をモチーフにしており、ソレスティアとルナリス共用通貨のようだ。


報酬相場

初級クエスト(バイト感覚)

・報酬:3,000〜8,000tw(1人あたり)


中級クエスト(生活できるライン)

・報酬:10,000〜30,000tw


上級クエスト(命懸け、割りに合わない)

・報酬:50000tw〜

上級は信用と名声が重要視される



 来訪者は、冒険者としての基礎を叩き込むため、必ずベテランによる“引率研修”から始まるらしい。これはソレスティアもルナリスも共通の制度だという。


 そして、例の“研修”の紹介が始まる。

「紹介する。君たちの面倒を見る冒険者、新あらただ」

 黒髪で、ごつい体格。腰の剣だけで威圧感がある。Aランク武器光の剣

 本人は、笑顔で手を振った。

「よろしくな! 最初は分からんことだらけだろ? 何でも聞いてくれよ!」

 気さく。たぶん善人。だけど――

 言葉の端々に、“俺が正しい”の圧がある。頼れる先輩、の顔をしてる。


「では新人研修として、まずは最も基礎のモンスター討伐だ」


  ギルド職員が、淡々と“テンプレ”を読み上げた。

「角ウサギやデカシャモを狩ってレベルを上げ、その後はゴブリン、オーク……と順に強くしていくのがテンプレだ」

 テンプレって言った。今テンプレって言った。

 俺の脳が一瞬だけ現実逃避を始める。


「安心しろ。俺もその順番で強くなったからな!」


 新が自慢げに笑う。

 ……うん。

 悪い人じゃないんだけど、なんか不安だ。


 そして――俺たち三人は生まれて初めての“異世界デビュー戦”へ向かうことになるのだが。


 この時の俺たちは、思っていた。



 ――角ウサギ狩りなんて、楽勝だろ。


 石畳の上を進む影が、長く伸びる。

 オレンジの屋根が、沈みかけた太陽を受けて燃えるみたいに光っている。

 その美しさが、やけに不吉に見えた。


 このあと俺たちを待っていたのは、テンプレとは真逆の――

 “最悪のデビュー戦”だった。


♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢


『ぐちすて』2話いかがだったでしょうか。

続きが気になったら、

ブックマークだけでもしてもらえると助かります。


評価星⭐︎は、気が向いたらで大丈夫です

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