第4話

 出禁、という言葉はあまりにも軽く、現実味がなかった。

 最後にログインした日のことを、私は何度も思い出す。

 警告音。赤く滲む視界。

 そして、ユウトの姿がノイズに吞まれていく瞬間。

 

『――規約違反を確認しました』

 

 無機質なアナウンス。

 その次に表示されたのは、再ログイン不可の文字。

 首輪型ゲーム機を外した私は、しばらく床に座り込んだまま動けなかった。

 静かな部屋。時計の秒針の音だけが、やけに大きい。

 

「……うそでしょ」

 

 声に出しても、何も変わらない。

 チップを差し直しても、再起動しても、結果は同じ。

 出禁。

 永久停止。

 あのキスが、禁忌だったのだろう。

 感情を持ちすぎたこと。

 境界を越えたこと。

 分かっていたはずなのに。

 それからの日々は、現実なのに現実じゃなかった。

 仕事中、書類を見ていても、視界の端にユウトの横顔が浮かぶ。

 電車の窓に映る自分の顔が、どこか他人みたい。

 夜が、特につらい。

 ベッドに横になると、あの街の夕焼けを思い出す。

 繋いだ手の温度。

 唇に残った、あの感触。

 ――忘れなくていい。恋だったって、胸を張っていい。

 彼の声が、頭の中で繰り返される。

 

「……忘れられるわけ、ないでしょ」

 

 誰もいない部屋で、私は呟く。

 答えは返ってこない。

 食欲は落ち、眠りは浅くなった。

 目を閉じれば、ログアウト直前の光景が蘇る。

 目を開けても、彼はいない。

 おかしくなりそう。

 いっそ、全部夢と思えたら楽なのに。

 でも、あれは確かに“現実の感情”に囚われている。

 ゲームだったのは、世界の形だけだ。

 休日、私はあの古びたゲームショップへ足を運んだ。

 埃っぽい階段。軋む床。

 同じ場所なのに、胸が痛む。

 

「あの……」

 

 カウンターの奥にいた店主に、思い切って声をかける。

 

「このゲーム、まだ……」

 

 店主は私の顔を見るなり、視線を逸らした。

 

「もう扱ってないよ、それ」

「どうして?」

「……詳しいことは、言えない」

 

 それ以上、何を聞いても無駄だった。

 私は何も得られないまま、店を出た。

 帰り道、街の雑踏がやけに遠く感じる。

 みんな、ちゃんと現実を生きている。

 私だけが、取り残されている。

 ――ユウトは、どうなったのだろう。

 私がいなくなった後も、あの世界にいるのか。

 それとも、データごと消されたのか。

 考え出すと、呼吸が浅くなる。

 彼は言っていた。

 

 「僕は、ここにしかいない」と。

 

 だったら、私は。

 彼の“ここ”を、奪ってしまったのではないか。

 胸の奥に、罪悪感が溜まっていく。

 それでも、会いたい。

 会って、謝りたい。

 そして、もう一度――声を聞きたい。

 現実の私は、どんどん薄くなっていった。

 笑わなくなり、誰とも深く話さなくなった。

 同僚に心配されても、適当に誤魔化す。

 

「ちょっと寝不足なだけ」

 

 本当は、ずっと彼のことを考えているだけなのに。

 ある夜、ふと気づく。

 ――同じ時間軸、って。

 あのゲームのタイトルが、頭をよぎった。

 

「同じ時間軸の世界線で恋してた」

 

 もし、本当に同じ時間を流れているなら。

 もし、どこかに接点があるなら。

 私は、机に向かい、震える手でノートを開いた。

 記憶を、書き留める。

 ユウトが話してくれた、断片的な言葉。

 街の構造。

 時間の進み方。

 執念みたいなものでしょう。

 それでも、止められなかった。

 彼のことを考えない時間なんて、もう存在しない。

 おかしくなりそうで、

 それでも、正気でいるふりをして。

 私は今日も、彼のいない世界で目を覚ます。

 たった一ヶ月の恋が、

 一生分の感情を、私に残したまま。

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