第2話

 同じ時間軸の世界線で恋してた……。

 その言葉を胸の中で反芻しながら、私はまた首輪型ゲーム機を手に取った。

 一度外したはずなのに、指先がその形を覚えている。

 現実に戻ったはずの私の時間は、もうあちら側と重なったまま。

 再ログインは、思ったよりも簡単だね。

 チップを差し込むと、意識はすぐに白い靄へと溶けていく。

 ――ここは、彼のいる場所。

 目を開けると、あの街の朝がまぶしい。

 穏やかな陽射し。行き交う人々。現実と寸分違わないはずなのに、ここでは息がしやすい。

 

「おはよう」

 

 背後から声がして、振り返る。

 ユウトがいた。相変わらず、少しだけ距離を保つ立ち方で。

 

「……おはよう」

 

 それだけの挨拶で、胸が軽くなる。

 私たちは、恋人のようで、でもそう名乗ることを避けている関係のように思えた。

 一緒に過ごす時間は増えていった。

 市場を歩き、ベンチに座り、夕焼けを眺める。

 けれど、ふとした瞬間に私は気づく。

 ――彼のことを、私は何も知らない。

 年齢も、過去も、ここに来る前の“生活”も。

 恋愛ゲームのキャラクターとしてなら不要な情報なのだろう。でも、知りたいと思ってしまった時点で、私はもうプレイヤー失格かもね。

 

「ねえ、ユウト」

 

 夕暮れの帰り道、私は足を止めた。

 

「君って……ここに来る前、何してたの?」

 

 一瞬、彼の表情が揺れた。

 驚いたような、困ったような、でも拒絶ではない。

 

「それ、気になる?」

「……うん」

 

 本音で答えて。

 彼が“誰か”である証が、欲しかった。

 ユウトはしばらく黙っていた。

 沈黙が長く感じられて、聞かなきゃよかったかも、と後悔しかけたとき。

 

「君が思ってるような答えじゃないよ」

 

 静かなけれど、くぐもった声。

 

「ここでは、過去を語らない設定なんだ」

「設定……」

「うん。君もそうでしょ?」

 

 言われて、息が詰まる。

 確かに私は、この世界で“竹内真理”である必要がない。年齢も職業も曖昧なままだ。

 

「でもさ」

 

 私は一歩踏み出した。

 

「それでも、私は君のことを知りたい。データでも、設定でもなくて……一緒に時間を過ごしてる“ユウト”を」

 

 自分でも驚くほど、必死な声で食い下がった。

 彼は私を見つめ、ふっと苦笑した。

 

「……ずるいな、真理」

 

 名前を呼ばれるだけで、心臓が跳ねる。

 

「それを言われると、逃げられない」

「逃げるつもりだったの?」

「最初はね」

 

 ユウトは視線を空に向けた。

 

「でも、君といると……ここが“用意された世界”だって、忘れそうになる」

 

 胸が締め付けられた。

 それは、私も同じだったから。

 その日から、彼は少しずつ話すようになった。

 断片的で、曖昧で、はっきりしない過去。

 それでも、笑ったり、言葉に詰まったりする姿は、確かに“人”だけの感情。

 現実の私は、変わっていった。

 鏡を見る時間が増え、服を選び、外に出る理由を探すようになった。

 ――もしかしたら。

 もし、この世界が本当に同じ時間軸なら。

 どこかに、彼も生きているのではないか。

 そんな馬鹿げた期待を抱きながら、私は今日もログインする。

 残り時間が、確実に減っていると知りながら。

 彼の私生活を、もっと知りたい。

 それが、この恋の終わりを早めるとしても。

 だって私はもう、

 “ゲームの登場キャラ”に、恋をしてしまったのだから。

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