第9話 教会が「あの店は呪われている」とデマを流したので、科学捜査で「真犯人」を光らせて公開処刑した



 王都の商業区、ローゼンバーグ公爵家の紋章旗(バラの紋章)が掲げられた「聖女の店」。  権力という最強の盾を得て、我々のビジネスは安泰――のはずだった。


 だが、ここ数日、店には閑古鳥が鳴いていた。


「……ルシアン様、また客足が減りました。これで三日連続です」


 支配人のトーマスが、青ざめた顔で報告してくる。  原因は明白だ。街中に流れる「噂」だ。


『聖女の石鹸を使うと、肌が腐り落ちる』 『あの店には悪魔が棲んでいて、魂を抜かれる』 『公爵夫人は、黒魔術で操られているだけだ』


 実に古典的だが、効果的なネガティブ・キャンペーンだ。  公爵家の威光により、表立って手出しできなくなった教会連中が、地下に潜ってデマを流しているのだ。  民衆とは愚かなもので、どんなに権威ある店でも「呪い」と聞けば恐れをなして近寄らなくなる。


「卑劣な……! 正々堂々と来れないからって、こんな陰湿な真似を!」


 ガルフが悔しそうに拳を叩きつける。  私は、冷めた紅茶を啜りながら、静かに言った。


「落ち着けガルフ。焦ることはない。……むしろ、好都合だ」 「好都合? 店が潰れかけてるんだぞ!」 「敵が『陰湿』で良かったと言っているんだ。もし彼らがもっと賢ければ、黙って私を暗殺していただろうからな」


 その時だった。  表でガシャン! とガラスが割れる音がした。


「な、なんだ!?」


 トーマスが飛び出していく。私も後に続いた。  店のショーウィンドウが割られ、そこに真っ赤な液体がぶちまけられていた。  鉄錆のような、生臭い臭気が鼻を突く。


「血……? 動物の血だ!」


 近くにいた通行人たちが悲鳴を上げ、遠巻きに見ている。  石鹸のサンプルは赤く染まり、その光景はまさに「呪われた店」そのものだった。


「ひどい……」


 アリアが口元を押さえて震えている。  群衆の中からは、「やっぱり悪魔の店だ」「呪いだ」という囁き声が聞こえてくる。


 私は、飛び散った血痕を指先で拭い、匂いを嗅いだ。  豚の血だ。まだ新しい。  犯人は近くにいる。  おそらく、騒ぎに乗じて野次馬に紛れ込み、「ざまあみろ」と高笑いしているはずだ。


(……見つけたぞ、餌(・))


 私は口の端を吊り上げた。  デマを消す最高の方法は、デマを否定することではない。  もっと強烈な「真実(ショック)」で上書きすることだ。


「トーマス、今夜、店の前で集会を開く。街中の人間に声をかけろ」 「えっ? し、しかし……」 「『店を汚した悪魔を見つけ出し、神の裁きを下す』とな。……面白い見世物になるぞ」


          


 夜。  店の前には、松明を手にした数百人の群衆が集まっていた。  不安げな客、好奇心旺盛な野次馬、そして――私の狙い通り、成果を確認しに来た教会の工作員たち。


 私は、血で汚されたショーウィンドウの前に立ち、声を張り上げた。


「集まってくれた皆の衆! 見ての通り、我々の神聖な店は、何者かの手によって汚された!」


 ざわめきが広がる。  私は演技たっぷりに嘆いてみせた。


「これは呪いではない! 人の姿をした『悪魔』の仕業だ! この中に、神を冒涜し、皆を不安に陥れている悪魔が紛れ込んでいる!」


 群衆はお互いの顔を見合わせ、疑心暗鬼に陥る。  人間は、不安な状況に置かれると、その原因となる《スケープゴート(生贄)》を欲する生き物だ。  「誰かのせいにしたい」という欲求。  今夜、私はそれを満たしてやる。


「ですが、安心なさい。聖女アリア様の祈りが込められたこの『聖水』があれば、悪魔を炙り出すことができる」


 私は、霧吹きに入った透明な液体を掲げた。  中身は、ルミノール粉末、過酸化水素水、そして炭酸ナトリウム(アルカリ触媒)を混合した液体。  現代の科学捜査で使われる、鑑識の必須アイテムだ。


「この聖水は、罪なき者にはただの水。だが、悪魔と契約した者の身体に触れると……その罪を暴き出し、青白く輝かせる!」


 嘘だ。  これは《ルミノール反応(Luminol Reaction)》。  ルミノールは、血液中のヘモグロビン(鉄分)や、特定の金属と反応し、酸化することで青白い化学発光(ケミルミネッセンス)を起こす。


 犯人たちは、豚の血を扱った。  いくら手を洗っても、爪の間や服の繊維に入り込んだ微量な血液反応までは消せない。  それに、彼らは教会から報酬として「銅貨」を受け取っているはずだ。銅もまた、ルミノールを激しく発光させる触媒となる。


「さあ、清めの雨を受けるがいい!」


 私はガルフたちに合図し、群衆の頭上から霧吹きで一斉に液体を散布させた。


「つ、冷たい!」 「なんだこれ、ただの水じゃないか?」


 群衆が騒ぐ。  紛れ込んでいる工作員たちも、安堵したような顔をしているのが見えた。「なんだ、ただのハッタリか」と思っているのだろう。


 甘い。  科学の目は、神の目よりも節穴ではない。


「アリア、光を!」


 アリアが合図を送ると、周囲の松明が一斉に消された。  辺りは完全な闇に包まれる。


 その瞬間。  群衆の中から、悲鳴が上がった。


「ヒッ……!?」 「ひ、光ってる! あいつ、光ってるぞ!?」


 闇の中で、数人の男たちの手や、服の袖が、青白く発光していた。  それは、蛍の光のような生易しいものではない。  死人の肌のような、毒々しく、不気味な冷たい光。


「う、うわぁぁぁぁっ!?」


 発光した男の一人が、自分の手を見て絶叫した。  洗っても落ちない「罪の証」が、暗闇でボウッと浮かび上がっているのだ。  本人にとっても、それは未知の恐怖だろう。


「あ、悪魔だ! あいつが悪魔だ!」 「捕まえろ! 殺される前に殺せ!」


 パニックになった民衆が、発光する男たちに襲いかかった。  これが《確証バイアス》の暴走だ。  「光った者が悪魔だ」という情報を事前に与えられた彼らは、光った人間を見た瞬間、問答無用で「敵」と認定し、攻撃行動に移る。


「ち、違う! 俺じゃない!」 「教会に頼まれただけなんだ! 金をもらっただけだ!」


 工作員の一人が叫んだ。  だが、その弁明は逆効果だ。


「聞いたか! 教会が悪魔の手先だってよ!」 「嘘をつくな! 悪魔の戯言だ!」


 興奮した群衆には、もう論理的な言葉は届かない。  彼らは恐怖を打ち消すために、目の前の異物を排除することに熱狂している。  拳が飛び交い、工作員たちは地面に引きずり倒され、蹴り飛ばされる。


 私は、その光景を壇上から冷ややかに見下ろしていた。


 哀れなものだ。  彼らが恐れている「青い光」は、ただの電子のエネルギー遷移に過ぎない。  だが、無知な者たちにとって、それは絶対的な「神の裁き」となる。


「……ルシアン様、これは……」


 隣でアリアが震えている。  目の前で繰り広げられる暴力と、謎の発光現象に怯えているのだ。


「見なさい、アリア。これが人間の本性だ」


 私は彼女の肩を抱き寄せ、優しく囁いた。


「彼らは真実なんてどうでもいい。ただ、安心して叩ける『悪者』が欲しいだけなんだ。……我々は、それを用意してやったに過ぎない」


 騒動は、衛兵が駆けつけるまで続いた。  ボロ雑巾のようになった工作員たちは、「店への営業妨害」と「暴動扇動」の罪で連行されていった。  彼らが最後に吐いた「教会の指示だ」という言葉は、民衆の間に決定的な不信感を植え付けた。


 松明が再び灯される。  私の姿が照らし出されると、群衆は一斉にひれ伏した。


「聖女様万歳! ルシアン様万歳!」 「悪魔を祓ってくれてありがとう!」


 英雄扱いだ。  私は聖人のような微笑みを浮かべて手を振った。


 これで、教会は迂闊に手出しできなくなった。  デマを流せば流すほど、それは「悪魔の仕業」として跳ね返り、我が教団の結束を強めることになる。


(さあ、チェックメイトだ。国教の豚ども)


 私は夜空を見上げた。  青白い月が、まるでルミノールの光のように冷たく輝いていた。  科学という名の灯火が、この国の闇を――そして既存の秩序を、焼き尽くそうとしていた。

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2025年12月30日 06:00

【悲報】魔法世界の住人、俺の「現代組織論」と「洗脳技術」になすすべなく堕ちていく。~インチキ宗教を立ち上げたら、知識が最強すぎて世界征服してしまった件~ @gamakoyarima

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