第7話腐敗司祭が「異端だ!」と騒ぐので、虹色の炎を見せて「お前の信仰心が足りないせいだ」と論破した

商業区の裏路地に、異様な光景が広がっていた。


 看板もない、古びた雑貨店の前。  そこに、上質なドレスを着た貴族の召使いたちや、富裕層の夫人たちが、長い行列を作っているのだ。  彼女たちの目当ては一つ。  『聖女の秘薬』と呼ばれる、純白の石鹸。


「皆様、本日は残りあと五つとなりました! これより先は会員様限定の予約受付となります!」


 支配人であるトーマスが、額に汗を浮かべながら客を捌いている。  かつて首を吊ろうとしていた男とは思えない、生き生きとした商売人の顔だ。


 金貨一枚という法外な価格設定にもかかわらず、商品は飛ぶように売れていた。  「入手困難」という事実が、貴族たちの虚栄心プライドに火をつけたのだ。  今や、この石鹸を持っていない夫人は、社交界で顔を上げられないとまで言われているらしい。


 店の奥、隠し部屋のようなオフィスで、私は帳簿を眺めながらワイン(安物だが)を傾けていた。


「順調ですね、ルシアン様」


 アリアが、私のグラスにボトルを傾ける。  彼女もまた、聖女としての所作が板についてきた。


「ああ。だが、そろそろ来る頃だぞ」 「来るって……誰が?」 「ハイエナだよ。肉の匂いを嗅ぎつけた、一番タチの悪い奴らがな」


 その時だった。  店の表が騒がしくなった。


「道を開けろ! 国教の査察だ!」


 怒号とともに、重厚な足音が響く。  私はグラスを置き、ニヤリと笑った。


(来たな、既得権益)


          


 店先に現れたのは、豪奢な法衣に身を包んだ、豚のように肥え太った男だった。  背後には、教会の紋章が入った鎧を着た兵士を四人も連れている。


 国教の司祭だ。  名前は知らないが、そのギラついた目を見れば目的は明白だ。


「ここか! 『聖女』などと不敬な名を語り、怪しげな薬物を売り捌いている異端の店は!」


 司祭が唾を飛ばして叫んだ。  行列に並んでいた客たちが、怯えて道を空ける。


 トーマスが蒼白な顔で飛び出してきた。  「お、お待ちください司祭様! 我々は正規の商業ギルドに登録を――」


「黙れ下郎!」


 司祭は持っていた杖で、トーマスを殴りつけた。  鈍い音がして、トーマスが地面に転がる。


「許可だと? 笑わせるな。この国において『聖なるもの』を扱って良いのは、我ら国教の教会のみ! 貴様らのやっていることは、神への冒涜であり、異端行為だ!」


 異端。  この世界において、その言葉は死刑宣告に等しい。  客たちがざわめく。「まさか、インチキだったの?」「関わったらまずい」と、潮が引くように離れていく。


 司祭は鼻を鳴らし、店の中を見回した。


「その売上金、および商品はすべて『証拠品』として教会が没収する。そして、そこにいる銀髪の女……そいつが魔女だな? 連行しろ!」


 強欲な豚め。  金だけでなく、アリアという「商品」まで奪う気か。


 私は、店の奥からゆっくりと姿を現した。  子供の姿だが、その足取りに迷いはない。


「お待ちください、司祭様」 「あぁ? なんだその薄汚いガキは」 「私はこの店のオーナー代理です。……随分と手荒な真似をなさる。神に仕える身として、恥ずかしくはありませんか?」


 私の挑発に、司祭の顔が赤く染まった。


「貴様……この私に説教をする気か? 平民風情が!」


 司祭が杖を振り上げた。  その先端に埋め込まれた赤い宝石が、カッと輝く。


 ボッ!!


 杖の先から、バスケットボール大の火球ファイアボールが出現した。  熱気が店内に広がる。  魔法だ。  選ばれた特権階級だけが使える、絶対的な力の象徴。


「ひぃっ! 魔法だ!」 「お助けください!」


 客も、トーマスも、その場に平伏した。  この世界で魔法使いに逆らうことは、戦車に竹槍で挑むようなものだ。


「ハハハ! 見たか! これぞ神より授かりし聖なる炎! この店ごと焼き尽くされたくなければ、さっさと金を出せ!」


 司祭が下卑た笑い声を上げる。  典型的な、力を笠に着た小悪党。  だが、民衆を黙らせるには十分なパフォーマンスだ。


 ――しかし。  私にとっては、それはただの「酸化反応」に過ぎない。


(やれやれ。たかが数百度の低温で、よくそこまでイキれるものだ)


 私は一歩も引かず、むしろ哀れむような目で司祭を見上げた。


「……それが、貴方の神の力ですか?」 「何だと?」 「随分と……汚れた・・・・・をしている」


 私は鼻で笑った。


「赤く、煤けたその炎。それは貴方の『欲望』の色だ。神聖さの欠片もない」 「き、貴様ぁ……!」


 司祭の額に青筋が浮かぶ。  ここで私が使うのは、心理学における《フレーミング効果(Framing Effect)》だ。  物事の「枠組み(フレーム)」を操作し、相手の印象を誘導する技術。  私は今、彼の魔法を「凄い力」ではなく「汚れた欲望の象徴」として再定義リフレームした。


「神聖な炎とは、もっと清らかで、高貴な色をしているものです。……アリア様」


 私が名を呼ぶと、背後に控えていたアリアが、静かに一歩前に出た。  彼女は司祭の火球に向かって、スッと右手をかざした。


「穢れを祓いたまえ……」


 鈴を転がすような声で、彼女が祈る。  もちろん、彼女に魔法など使えない。  だが、その動作に合わせて、私はポケットに隠し持っていた「粉末」を、司祭の炎に向かって指弾いた。


 それは、銅の粉末と、ホウ酸、そしてカリウムを配合した特製の混合粉末だ。


 粉が炎に触れた、その瞬間。


 カッ!!!!


 赤橙色だった火球の色が、劇的に変化した。


 中心は鮮やかなエメラルドグリーン。  外側は妖艶なバイオレット。  そして揺らめく縁は、神秘的なブルー。


 虹色に輝く炎が、店の中を幻想的に照らし出した。


「な、なななっ……!?」


 司祭が絶句し、目を見開く。  民衆からも「おおぉ……!」と感嘆の声が漏れる。


 これは魔法ではない。  《炎色反応(Flame Test)》だ。  金属イオンが熱エネルギーを受け取り、特定の波長の光を放出して元の状態に戻る物理現象。  銅は青緑色、カリウムは紫色、リチウムは赤色を示す。花火と同じ原理だ。


 だが、この世界の人間にとって、火の色が変わる現象は「属性の変化」あるいは「高位の魔法」にしか見えない。


「見なさい。これが『浄化』された、真の神の炎です」


 私は高らかに宣言した。  虹色の炎に照らされたアリアは、まさに女神の化身のように神々しい。  対して、司祭の持つ杖から出ていた赤い火は、今や完全に「格下」の、汚れた火に見えてしまっている。


 これが《権威バイアス》の逆用だ。  「より派手で、より神秘的な現象」を起こした方が、より高位の存在であると、群衆は勝手に錯覚する。


「ば、馬鹿な……! 魔法使いでもない小娘が、私の魔法に干渉しただと!?」


 司祭が狼狽し、杖を取り落としそうになる。  魔法の知識しかない彼には、この現象が理解できない。  未知への恐怖が、彼の信仰心(という名の傲慢さ)を揺るがす。


「貴方の信仰心が足りないから、炎が恥じて色を変えたのですよ」


 私は冷徹にトドメを刺した。


「さあ、去りなさい。これ以上、その薄汚い欲望で、この神聖な場所を汚さないでいただきたい」


 その言葉に呼応するように、周りの民衆たちが騒ぎ出した。


「そうだ! 偽物は帰れ!」 「聖女様の奇跡を見たか!」 「やっぱ国教なんて腐ってんだよ!」


 石が一つ、司祭に向かって投げられた。  それを合図に、罵倒の嵐が巻き起こる。  さっきまで司祭に怯えていた彼らが、今や「聖女」という新しい権威をバックにつけて、強気になっている。


「ひ、ひぃぃっ! お、覚えてろよ! こんなことが許されると思うな! 異端審問官に報告してやるからな!」


 司祭は捨て台詞を吐き、兵士たちに守られながら逃げ出した。  その背中は、実に滑稽で小さかった。


          


 店に歓声が戻る。  トーマスが涙目で駆け寄ってきた。  アリアは、不思議そうに自分の手を見つめている。彼女自身、なぜ火の色が変わったのか分かっていないのだ。それがまた、演技にリアリティを持たせていた。


 私は床に落ちていた司祭の杖(安物の宝石がついた粗悪品)を拾い上げ、ゴミ箱へ放り込んだ。


「……異端審問、か」


 私は小さく呟き、ニヤリと笑った。


 国教との全面戦争は避けられない。  だが、望むところだ。  敵が大きければ大きいほど、それを倒した時のカタルシスと、手に入る「信者」の数は跳ね上がる。


 私の指先には、まだ微かに火薬のような匂いが残っていた。  この匂いこそが、神を殺し、国を崩すための、現代の香水だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る