第5話ヤクザが「みかじめ料」を要求してきたので、小麦粉で爆破して「神の雷」だと教え込んだ

銅貨の山。  それが、私がこの数日で築き上げた成果だった。


 スラムの広場で行った「色の変わる水」のパフォーマンスは、爆発的な成功を収めた。  貧民たちは、自分たちの不幸が「穢れ」のせいだと信じ込み、その穢れを払うために、なけなしの金を喜んで差し出した。


 宗教ビジネスの基本、《不安の解消》の対価だ。  我々の拠点は廃屋から、少しマシな石造りの元倉庫へと移っていた。


「……ルシアン様、また寄付が集まりました」


 アリアが、少し困惑した顔で麻袋を抱えてくる。  彼女は日に日に美しくなっていた。  十分な食事と、清潔な衣服。そして何より、「聖女」として崇められることで生まれる自信(自己効力感)が、彼女を内側から発光させているようだった。


「ご苦労、アリア。……だが、光が強くなれば、寄ってくるのは蛾だけではない」


 私は、入り口の方へ視線を向けた。  そこには、殺気立った男たちが立っていた。


          


「おいおい、景気がいいじゃねぇか。ガキども」


 ドカドカと押し入ってきたのは、十人ほどの男たちだ。  全員が粗末な革鎧をつけ、棍棒やナイフを腰にぶら下げている。  その胸には、赤いサソリの紋章。


 スラムを実効支配する暴力組織『赤サソリ団』だ。  麻薬の売買、人身売買、みかじめ料の徴収。  典型的な、スラムのハイエナたち。


 その中心にいる、禿頭で金歯の男――ボスのドランが、下卑た笑みを浮かべて私を見下ろした。


「挨拶がねぇな。ここで商売するなら、このドラン様に仁義を通すのがスジってもんだろう?」 「……これは失礼しました。私たちはただ、迷える人々を救っているだけでして」


 私は慇懃無礼に頭を下げた。  ドランは鼻で笑い、テーブルの上の銅貨の山を指差した。


「救済だか何だか知らねぇが、俺たちのシマで勝手なマネをしてくれた『落とし前』はつけてもらわねぇとな。……そうだな、売上の九割。それを毎月納めるなら、俺たちが守ってやって(・・・・・)もいいぜ?」


 九割。  もはや交渉ではない。ただの搾取だ。


 私の後ろで、ガルフが低い唸り声を上げた。  彼の手が剣の柄にかかる。


「……ルシアン。コイツら、斬っていいか?」 「やめろ、ガルフ」


 私は手で制した。  ガルフは元騎士の実力者だ。この程度のゴロツキ、剣を抜けば数分で皆殺しにできるだろう。  だが、それでは意味がない。  「暴力」で勝っても、恨みが残る。  必要なのは「恐怖」による完全な服従だ。


「ドランさん。……分かりました。お支払いしましょう」 「お? 話が分かるガキじゃねぇか」 「ですが、ここ(入り口)では人目につきます。奥の礼拝堂へどうぞ。そこで契約を結びましょう」


 私はニコニコと笑い、彼らを建物の奥へと招き入れた。


 そこは、窓のない石造りの部屋だった。  元は食料庫だったのだろう。換気口は小さく、扉を閉めればほぼ密室になる。  部屋の中には、白い粉が入った麻袋が大量に積み上げられていた。


「なんだこりゃ? 白い粉……まさか、麻薬か?」


 ドランが目を輝かせた。  麻薬なら金になると思ったのだろう。浅ましい男だ。


「いいえ。これは神への供物……ただの小麦粉ですよ」 「あぁ? 小麦粉だと?」


 ドランが拍子抜けしたように袋を蹴った。袋が破れ、白い粉が少し舞う。  そう、これは小麦粉だ。  昨夜、私がガルフに命じて、市場で売れ残った質の悪い粉を買い占めさせたものだ。


「ガルフ、扉を閉めろ」 「あ? ……おう」


 ガルフは訳がわからないという顔をしながらも、重い鉄の扉を閉めた。  これで部屋は密室になった。


「おい、何のつもりだ? 金を出せと言ってんだよ!」


 ドランが凄む。  私はアリアの手を引き、部屋の隅にある頑丈な木製机のそばへと移動した。


「金はお渡ししますよ。……ですがその前に、少しだけ『儀式』にお付き合いください」 「儀式だぁ?」 「ええ。神の祝福を皆様に」


 私はガルフに目配せをした。  事前に打ち合わせていた合図だ。


「ガルフ、やれ(・・)!」


 ガルフは、積み上げられた小麦粉の袋を掴むと、力任せに天井に向かって放り投げた。  さらに剣を抜き、空中の袋を斬り裂く。


 バフッ!!!


 部屋中に、白い粉が爆発的に舞い散った。  視界が真っ白に染まる。  数十キロの小麦粉が、狭い室内で高密度に充満していく。


「ゲホッ! な、なんだ!? 煙幕か!?」 「ふざけやがって! ぶっ殺すぞ!」


 男たちが咳き込み、慌てふためく声が聞こえる。  彼らは知らないのだ。  この状況が、ドラゴンと対峙するよりも危険だということを。


 私はアリアを抱き寄せ、机の下に潜り込みながら、心の中で冷静に計算式を組み立てていた。


 これは《粉塵爆発(Dust Explosion)》の準備だ。


 小麦粉のような可燃性の物質は、固体のままで火をつけても表面が焦げるだけで燃えにくい。  だが、粉末状になり、空気中に舞うことで状況は一変する。  表面積が劇的に増大し、酸素との接触面積が最大化されるからだ。


 この状態で火種があればどうなるか?  浮遊する無数の粒子が一斉に燃焼し、連鎖反応を起こす。  その燃焼速度は音速を超え、爆発的な衝撃波を生む。


 炭鉱事故や工場火災の原因となる、物理法則が生み出す悪魔。  魔法防御アンチマジックなど意味がない。  これは純粋な熱と衝撃の暴力だ。


「アリア、耳を塞いで口を開けろ! 絶対に動くなよ!」 「う、うんっ!」


 私はアリアを庇うように覆いかぶさり、ポケットからマッチを取り出した。  現代知識で作った、赤リンと硫黄のマッチだ。


 シュッ。  小さな火花が散り、炎が灯る。


 白い霧の向こうで、ドランがこちらに気づいた。


「あ? 火……? おい、何をする気だ――」


 遅い。


「神のいかずちを味わえ」


 私はマッチを、白い霧の中へと放り投げた。


 ――カッ!!!!


 瞬間。  世界が白熱した。


 ドォォォォォォォォォォンッ!!!!!


 鼓膜をつんざく轟音。  凄まじい衝撃波が室内を駆け巡り、逃げ場を失った熱エネルギーが男たちを襲った。  机がガタガタと激しく揺れ、熱風が頬を焼く。  男たちの絶叫すら、爆音にかき消された。


 魔法?  笑わせるな。化学反応のエネルギー効率は、そんな曖昧なものとは桁が違う。


          


 数秒後。  轟音が去り、静寂が戻ってきた。


 充満していた粉は焼き尽くされ、黒いすすが雪のように舞い落ちている。  焦げ臭い匂いと、肉が焼ける嫌な臭い。


 私は机の下から這い出した。  アリアは無事だ。恐怖で目を白黒させているが、怪我はない。  ガルフも、事前に指示してあった通り、厚手の布を被って部屋の隅にうずくまっていたため、火傷は軽微だ。


 だが、ドランたちは違う。


「あ……あぁ……」


 部屋の中央。  全身が黒焦げになり、髪の毛がチリチリになった男たちが、床を転げ回っていた。  服は焼け焦げ、皮膚は赤く爛れている。  死んではいない。粉塵爆発は衝撃波が主で、炎の持続時間は短いからだ。  だが、彼らの心は完全に折れていた。


「な、なんだ……今のは……」 「魔法……いや、詠唱もなしに……」


 ドランが、焼けただれた顔で私を見上げる。その目にあるのは、純粋な恐怖だ。


 私はゆっくりと彼に近づき、冷徹に見下ろした。  まだ熱の残るすすを足で踏みしめる。


「言ったでしょう? 神への供物だと」


 私は淡々と告げた。


「貴方たちは、神聖な供物を足蹴にし、神を侮辱した。だから、神が怒りの雷を落としたのです」


「ひっ……!」 「今回は警告です。次、我々に逆らえば――」


 私はドランの目の前で、指をパチンと鳴らした。


「貴方たちの魂ごと、この世から消滅させます」


 ドランが激しく痙攣し、失禁した。  これが**《恐怖訴求(Fear Appeal)》**だ。  「死」という圧倒的な恐怖を体験させた直後に、逃げ道を示す。  今の彼らにとって、私は自分たちの生殺与奪を握る「絶対的強者」としてアンカリング(条件付け)された。


「た、助けてくれ……! 何でもする! 金もいらねぇ! だから殺さないでくれぇ!」


 ドランが額を床に擦り付け、土下座をする。  他の手下たちも、呻き声を上げながらそれに倣った。


 スラムの支配者が入れ替わった瞬間だ。


 私はしゃがみ込み、ドランの肩に手を置いた。  彼はビクリと震える。


「殺しはしませんよ。我々は慈悲深い」


 私は優しく、しかし有無を言わせぬ声で囁いた。


「貴方たちの命は、神が拾ってくださった。……ならば、これからは神のために(・・・・・)働くのが道理ですね?」 「は、はいぃぃっ! 一生従いますぅぅ!」


 交渉成立だ。  これで、スラム最大の暴力組織が、我が教団の「警備部門」として吸収された。


 私は立ち上がり、煤だらけの服を払った。  机の下から出てきたアリアが、涙目で私に抱きついてくる。


「ル、ルシアン……凄かった……神様って、本当にいるの?」 「ああ、いるさ。……ここ(頭脳)にな」


 私は彼女の頭を撫でながら、黒焦げの信者たちを見渡した。


 金。  聖女というアイコン。  そして、暴力装置。


 組織に必要な三要素が揃った。  スラムという鳥籠は、もう狭すぎる。


(次は商業区だ。……この街の経済を、食い荒らしに行くぞ)


 爆煙の向こうに、王都の煌びやかな街並みが見える気がした。  私の復讐劇は、まだ始まったばかりだ。

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