最終話 卵に戻りたい

 頭部に鈍い痛みを感じながら、ぼんやりと意識を取り戻して来た俺は、猛烈な喉の渇きを覚えたので水を飲みに立ち上がろうとした。


 所が、腕も足も何かで拘束されていて立ち上がれないし、言葉を発しようにも口には何かが貼られていて呻く事しか出来ない。目はかろうじて見えたが、そこは見覚えのあるさっきまでいたホテルの一室だ。


「あらぁ、有賀P、目が覚めたぁ?」


 そこには服をきちんと来てメイクも髪もばっちりとセットしたひなちがいた。


「うううっ……‼ ううっ……!」


 声を出そうにも出せないもどかしさよ。俺にこんな事をしたのはひなち、この女しかいない。今すぐこいつを罵倒したい。警察に通報もしたい!


「有賀P~、お楽しみはこれからなんだから、あんまり騒がないでね♡ ほら、みんなぁ、有賀Pお目覚めだよ~!」


 みんな……? みんなって誰だ? 誰か他にいるのか……?


 困惑する俺をよそに、部屋の四方八方からひなちと同じく盛りに盛った女が現れた。その数全部で十人はいるだろうか。この狭い部屋に十人はかなりの密度だ。そしてその顔はどの顔も見た事がある顔で……。


「有賀P~、この子たちの事覚えてる? 覚えてないかもしれないよね、クズだもんね♡」

 

 そう言うとひなちは俺の腹に強烈な蹴りを入れた。


「うっ‼ ううっ‼」


 おれは声にならない声で呻く。ビジネスホテルの床に裸で転がっている俺はかなり滑稽に見える事だろう。


「ここにいるみんな、あなたに弄ばれて傷付いた女の子達なの。みんなアイドルとして売れたかっただけなのに、あなたに遊ばれて傷付いて芸能界を去って行った子なの。ねぇ、この子達を見て何も思わないの?」


 ひなちは俺の頬に強烈なびんたを浴びせかける。


 痛い……。か弱いと思っていた女だけど、怒りに狂うとこんな力を出すものなのか。


「みんな夢を壊されて、あなたには怒り心頭なの。だから、ね。その想いを少しでも受け止めてあげて」


 ニナ、レイア、ユズハ……見知った顔が刃物を持って俺ににじり寄って来る。


「うううっ‼ うううううっ‼」


 謝るから! 謝るから殺さないでくれ! 曲ならいくらでも書くから! 何なら一人につき十曲作っても良いから命だけは……!


 でも、俺の口は相変わらず塞がれたままでその意思を発する事も許されない。


「何か言いたそうだけど、あたし達聞く耳は持たないわよ? だって、あなただってあたしたちのお願いをスルーし続けたんだから」


 ひなちは俺の太腿にナイフを振り下ろした。


「う――――‼」


 俺の目からとめどなく涙が溢れる。それと同時に鼻水も出てきたのだが、口が塞がれているから鼻呼吸が出来なくて滅茶苦茶苦しい。


 今、俺の顔は涙と鼻水で酷い事になっているだろう。でも、もうそんな事を考えている場合でもない。


 ひなちを含めた十人の女達は、俺に容赦なくナイフを突きさしていく。


 俺は、遠のく意識の中で今までの己の行動を後悔していた。


 曲なんてすぐに作れたのに、彼女達にそれをしなかっただけで俺は殺されるんだ……。素っ裸で顔もぐちゃぐちゃな状態で、こんなビジネスホテルで遺体として発見されるんだ……。


 こんな人生を送るくらいなら、母親の中の卵子の状態からやり直したい。生まれ変わりたい。作曲家の卵だった時代のあの純粋な気持ちを取り戻したい。必死に曲作りだけに没頭していた駆け出しの自分に、今の惨状を教えてやりたい。


 でももう、全て遅いんだ……。


 俺はまた誰かの中の卵からやり直せるのだろうか。生まれ変われるのだろうか。


 痛い……。痛いよ母さん。息子がこんな死に方をして、ごめんな──。


***


 ×月△日。都内ビジネスホテルで男性作曲家の遺体が発見された。


 その遺体には無数の刺し傷と切り傷があり、さらには何百個という生卵が投げつけられていた酷い状態だったという。


 この状態に何の意味があるのか、犯罪心理学者、精神科医達はこぞってメディアでの分析を展開した。


 なお、犯行グループはその後集団自殺をしており、事件の真相は闇の中である──。



────了

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卵を喰らう人 無雲律人 @moonlit_fables

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