目目連

二ノ前はじめ@ninomaehajime

目目連

 誰も彼も目が欠けていた。

 

 町人の多くは片方の目を失っており、顔面に黒い穴蔵あなぐら穿うがたれていた。不思議なのは、天秤棒を肩に担いだ振売ふりうりも、建設中の町屋で丸太の足場を渡り歩く鳶職とびしょくも、往来で腰に十手と脇差を帯びた同心でさえ、片目でありながら不自由さを感じている様子がない。

 

 父母とてそうだった。左右の違いはあれど、片目が潰れていた。父は左官職人で、母は家事を切り盛りし、時には古着をつくろった。布地に針を通している母親に向かって、尋ねたことがある。


「おっかさん、目ん玉が一つなくて見えるの」

 子供のたわむれだと思ったのだろうか。母は笑いながら顔を近づけた。


「この子ったら、ちゃんとごらんよ。二つあるでしょう?」

 優しい笑みをたたえる顔面に、小さな穴が空いていた。底が見えず、今にも闇がこぼれそうだった。その柔和にゅうわな表情と噛み合わず、怖くなって逃げ出した。

 

 長屋の裏路地にある水道井戸まで駆けた。杉材で組まれたまるい穴の中を覗きこむ。知らず片目を覆い隠していた手を、恐る恐る下ろした。其処そこには両目がある己の顔が映っていた。

 

 自分の方がおかしいのかもしれない。

 

 友達と寄り集まって目隠し鬼で遊んだ。鬼となった子が手拭いで目を覆い隠して、声のした方向へと歩いていく。

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」

 

 手拍子に合わせて、他の子供たちがはやし立てる。両手を彷徨さまよわせていた鬼が、突然走り出した。手が届く長さを見誤ったのか、危うく触れられそうになった男の子が声を上げた。

「お前、見えてるだろ」

 

 見れば、鬼役の子の手拭いが少し斜めがけになり、片目が覗いていた。悪びれず、笑いながら目隠しを取り払う。隠された方の目は、やはり黒々くろぐろとした穴だった。

 

 両のまなこがなければ、物の近さを見誤るのは知っていた。彼らにとっては両目があるのが当たり前であり、片方を隠されれば不自由がともなう。あの黒い穴の底から、こちらを見ている。少しだけ寒気がした。

 

 何年かして、弟が生まれた。母親の腕に抱かれた彼は、まだ開いていない両のまぶたから涙を流していた。道行く人の子もそうだ。幼いほどに目玉が二つあり、物心がつく頃から片方が抜け落ちる。

 

 この子もそうなるのだろうか。その泣き顔を眺めながら、哀れに思った。

 

 ごくまれに、両目がない人間もいる。座頭ではない。彼らにはめしいた眼球がある。両の目が欠けて、二つの真黒まっくろな穴が並んでいるのだ。

 

 岡場所に入りこんだことがある。親に近寄るなと言われていた場所だった。女郎屋が並び、格子窓の奥で遊女が道行く男性に呼びかけていた。彼らは値踏みをして、気に入った相手がいる店へと入っていく。御伽噺おとぎばなしとは程遠い、別の世界に思えた。

 さらに踏みこむと、見すぼらしい切見世きりみせが多い区画に入った。狭い路地に悪臭が満ちている。店先に茣蓙ござが敷かれ、みのまとった女性が座っていた。醜女しこめなのだろう。愛想笑いを張りつけた顔面は薄汚れており、両目が欠けていた。

 

 そのくらい穴蔵と目が合って、心の臓が縮む思いがした。きびすを返して逃げ出した。あの穴の底を思わせる眼差しが背中を追ってくる気がした。

 

 まだ子供だった。目が欠ける理由がわからなかった。町を襲った大火によって、ようやくその意味を知ることになる。

 

 火の見櫓の半鐘はんしょうが鳴り響いた。寺から出火し、木造の家々に燃え移った。町を焦がし、夜空がだいだい色に染まった。父母や弟とともに逃げ出して一家は無事だった。羽織を着た火消がまだ燃えていない家屋を叩き壊して延焼を防いでいた。

 

 大火に照らされて、荒磯と菊柄の振袖姿をした女性を見た。火事場には相応しくない、楚々そそとした佇まいに目を奪われた。島田髷しまだまげ前櫛まえぐしで飾った、うら若い女性の笑みが炎の華に彩られている。

 んだ唇の上で、その両目は抜け落ちていた。

 

 町を見舞った火事は二晩ふたばんほど続いた。焼け野原となり、家々の残骸の前で家族を失った人々がすすり泣いていた。木材と肉が焦げて、臭いが渾然こんぜんとしている。くすぶり、いたるところで細い煙の筋が立ち昇っていた。

 夜空を仰ぐ。満天の星空が広がっているはずだった。広大な天に散りばめられていたのは、無数の瞳だった。血走って、時折ときおりまばたきをしている。

 

 ああ、皆の目は其処にあったんだ。

 

 頬をしずくが濡らした。口に入りこむと、塩辛い味がした。晴れ渡ったまま、焼け落ちた町に雨が降り注いだ。自分の目を両手で覆い、呟く。


「今さら、遅いよ」

 

 この手の下で、自分の両目は抜け落ちていないだろうか。そう思った。

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