第20話:極限の調律、桜雷の発動
「無駄だ。我の『静止』は世界の理(ことわり)そのもの。揺らぎを持つ生命など、この完璧な秩序の前では塵に等しい」
バルバトスの無機質な宣告と共に、広間を埋め尽くす巨大な歯車が一斉に逆回転を始めた。金属が擦れる不快な音が激化し、床の鉄板から凍り付くような鋼鉄の冷たさが這い上がってくる。
「ガハッ……!?」
ナギが吐血し、膝をついた。彼の周囲を展開していた水の防壁は、バルバトスが放つ「静止の波動」に触れた瞬間、分子運動を止められ、ただの重い氷の塊となって彼自身を押し潰していた。
「アラタ……逃げ……なさい……」
ミラの声も、もはや形を成さない。彼女の全身を巡る血流さえもが、帝国の機械的な圧力によってせき止められようとしていた。頬の赤らみは死人のような蒼白へと変わり、自慢の俊足は石像のように固まっている。
アラタもまた、絶望の淵にいた。手にした『桜雷』が、かつてないほど重い。バルバトスが放つ重油の鼻を突く匂いと、圧倒的な「拒絶」の意志が、アラタの精神を摩耗させていく。(……聴こえない。みんなの音が……バルバトスの雑音にかき消されて……!)
バルバトスの連装砲が、無慈悲にアラタの眉間を照準した。内部でエネルギーが充填されるキィィィィンという死の音が、広間の沈黙を切り裂く。だが、その破滅の寸前。
「――おのれ、鉄クズがぁぁぁ!!我が王子の道を、これ以上塞ぐなぁ!!」
叫んだのは、傷だらけのナギだった。
「アラタ、一瞬だ!一瞬だけ、奴の装甲の『継ぎ目』を暴いてやる!」
ナギは折れた角の根元を自ら抉り、自身の生命力そのものを、純度の高い透き通る水の色の魔力へと変換した。
「秘剣……『昇龍・水禍断絶(すいかだんぜつ)』!!」
ナギの命を削る一撃が、バルバトスの足元の「静止」を強引に洗い流し、その巨大な右脚の関節部を露わにした。
「私も、約束を守るわ……!あんたの背中は、私が守るって言ったもの!」
ミラの瞳に、黄金色の野性が再燃した。彼女は神経を焼き切るほどの過負荷を自らに課し、残像さえ残さぬ速度で、バルバトスの頭部装甲の隙間へと肉薄した。
「……砕けろぉぉぉッ!!」
ミラの爪が、バルバトスのセンサーアイを覆う強化ガラスを粉砕した。指先が裂け、鮮血が舞う。だが、彼女は怯まない。その身を盾にして、バルバトスの視界を、そして「静止の演算」を狂わせた。
「貴様ら……死に損ない共がぁぁ!!」
バルバトスが激昂し、蒸気の噴射音(プシューッ!)と共に全砲火を周囲に撒き散らそうとした、その時。
(……サクヤさん……!)
アラタの意識が、塔の深淵へとダイブした。物理的な距離を超え、塔の炉心に囚われているサクヤの魂と、アラタの『桜雷』が共鳴したのだ。暗闇の中で、鎖に繋がれたサクヤが、ゆっくりと目を開ける。
『……アラタさま。聴こえます……あなたの、優しい音が。……さあ、私の全てを、あなたの旋律に……!』
瞬間、塔全体を揺らすほどの逆流が起きた。穿孔塔が各地から吸い上げていた膨大な霊的エネルギーが、サクヤの意志を媒介にして、アラタの『桜雷』へと一気に流れ込んでいく。
――ドクンッ!!ドクンッ!!ドクンッ!!
アラタの心臓の鼓動と、槌の拍動、そしてサクヤの祈りが完璧にシンクロした。
「……バルバトス。聴こえるかい。これが、君が無視し続けた……命の合唱だ!」
アラタの周囲から、重油の匂いが消え失せた。代わりに溢れ出したのは、春の嵐のような花の甘い香りと、視界を埋め尽くす木漏れ日の粒子。バルバトスが築いた「静止の世界」が、アラタの奏でる圧倒的な「共鳴」によって、内側からバリバリと音を立てて剥がれ落ちていく。
「な……馬鹿な!我が秩序を上書きするというのか!?たった一人の人間の、情緒などという不確かなもので!」
「不確かじゃない……。想いは、どんな鋼鉄よりも強いんだ!」
アラタが地を蹴った。空中、ナギが作った隙間と、ミラが抉じ開けた視界の死角を通り、アラタはバルバトスの胸部中央――全ての命令を下す「メイン・プロセッサー」へと到達した。
「――これが、僕たちの……『本当の音』だぁぁぁッ!!」
アラタは全身の力を込め、『桜雷』をバルバトスの核へと叩きつけた。槌の紋様が、かつてないほどの桃色の電光を放ち、周囲の空気を清らかな鈴の音で満たす。
――カァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!
その一撃は、塔の頂上を吹き飛ばし、夜空に巨大な「桜の花」を咲かせた。バルバトスの鈍色の装甲が、一瞬で純白の光に包まれ、内部の不協和音を奏でていた歯車たちが、まるで本来の居場所を見つけたかのように、優しく、穏やかにその回転を止めた。
「……あ……ああ……。この、音は……」
バルバトスのセンサーから赤い光が消え、静かな蒼い光が灯った。彼は最期に、アラタが奏でた穏やかな歌のような旋律に、自らの敗北ではなく「救済」を見たのかもしれない。
轟音と共に、機鋼将軍の巨体が膝をつき、そのまま静かに光の粒子となって霧散していった。崩壊を始めた塔の窓から、朝の光が差し込む。煤煙に煙る空は、いつの間にか、サクヤの森から溢れ出した桃色の霊子によって、美しい夜明けの色に塗り替えられていた。
アラタは、震える手で『桜雷』を握り直した。足元には、傷だらけのミラとナギが、荒い息をつきながらも、清々しい笑顔で彼を見上げていた。
「……やったのね、アラタ」
「……フン。史上最高に、騒々しい音だったぞ」
アラタは、崩れゆく玉座の奥を見据えた。そこには、光の鎖から解放され、ゆっくりと地上へと舞い降りるサクヤの姿があった。調律師アラタの手によって、世界は今、再び「時間」と「音」を取り戻した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。