第16話:鍛冶の共鳴、咲き誇る鉄の華
サクヤとの穏やかなティータイムを終え、再び足を踏み入れたフレアの工房は、先ほどにも増して灼熱の地獄と化していた。炉の中では、最高温度に達したコークスが、直視できないほどの白光を放ちながら唸りを上げている。肌を焦がす蒸気の噴射音(プシューッ!)と、肺腑を焼くような熱気が、ここが「戦場」であることを告げていた。
「いいかい、アラタ。これから打つのは、ただの武器じゃねえ。あんたの魂の形そのものだ」
フレアが、自身の愛槌『プロメテウス』を肩に担ぎ、真剣な眼差しでアラタを見据えた。彼女の赤髪は、吹き荒れる熱風に煽られ、まるで燃え盛る炎そのもののように逆立っている。鍛冶場の祭壇には、三つの素材が並べられていた。
一つは、アラタが父から受け継ぎ、ここまで共に旅をしてきた、使い古した修理槌。
一つは、フレアがこの森の奥深くから掘り出したという、ドワーフの秘宝『剛鉄(ごうてつ)の塊』。それは冷え切っている状態でも、内側からマグマのような赤熱を放っていた。
そして最後の一つは、サクヤが自らの体の一部を差し出した、桜の神木の『結晶化した枝』。それは木漏れ日の粒子を凝縮したように、淡く、しかし力強い桃色の光を放っている。
「あたしの剛鉄を骨格に、あんたの槌を芯にする。そして、その隙間にサクヤの神気を流し込んで定着させる。……並大抵の技術じゃねえ。少しでも気が緩めば、素材が反発し合って、あたしらごと吹き飛ぶぞ」
「……覚悟はできてる。僕の全部を、この一打に乗せる」
アラタは作業着の袖を捲り上げ、自らの槌を握りしめた。掌に滲む汗が、瞬時に蒸発していく。彼は目を閉じ、炉の中で溶け合おうとしている三つの素材の「声」に耳を澄ませた。
(……熱い。……苦しい。……でも、もっと強く、もっと深く繋がりたい……!)
剛鉄の頑固な咆哮。古槌の静かな決意。神木の枝の切なる願い。それらはまだバラバラで、不協和音を奏でている。それを一つの美しい旋律へと導くのが、調律師の仕事だ。
「行くぞ、アラタ!あたしのリズムに遅れるんじゃねえぞ!」
フレアが真っ赤に焼けた剛鉄を金床(かなとこ)に引き出し、全身のバネを使った渾身の一撃を振り下ろした。
――ドォォォォォンッ!!
工房全体が揺れるほどの重低音。飛び散る火花は、まるで夜空を焦がす流星群のように巨大で、熱い。間髪入れず、アラタがその打撃の「隙間」に、自分の槌を叩き込む。
――カァァァンッ!
フレアの音が「破壊と創造の雷鳴」ならば、アラタの音は「調和と導きの鐘」だった。 重厚な低音と、清冽な高音。二つの異なるリズムが、灼熱の空気の中で激しく衝突し、やがて奇跡的な融合を始めていく。
――ドォォン!カァァン!ドォォン!カァァン!
二人の動きは、次第に神がかった連動を見せ始めた。フレアが鋼の形を整え、不純物を叩き出す。その直後、アラタが叩いた場所に、サクヤの神木が溶け込んだ光の粒子が吸い寄せられ、鋼の結晶構造そのものを書き換えていく。
「すげえ……!こいつは、あたしが知ってる鍛冶じゃねえ!鉄が……自分から形を変えたがってやがる!」
フレアの額から滝のような汗が流れ落ち、その瞳が興奮で見開かれる。彼女の職人魂が、目の前で起きている奇跡に打ち震えていた。
だが、仕上げの段階に入り、素材たちの抵抗が頂点に達した。帝国への怒りを宿した剛鉄と、癒やしを求める神木の力が反発し合い、金床の上で激しく暴れ始めたのだ。
――ギギギギィィィィッ!
耳をつんざく金属が擦れる不快な音。鋼の表面に亀裂が走り、そこから制御不能なエネルギーが焦げたゴムの臭いと共に噴き出そうとする。
「いけねえ!アラタ、こいつを抑え込め!あんたの『祈り』で、鉄の悲鳴をねじ伏せるんだ!」
アラタは歯を食いしばり、暴れる鋼に向き合った。熱気で意識が飛びそうになる。腕の筋肉が悲鳴を上げ、皮膚が焼ける匂いがする。だが、彼は引かなかった。
(……思い出せ。奪われた村の井戸を。泣いていたミラの鎖を。泥にまみれたナギの角を。そして……枯れゆく森で震えていた、サクヤの涙を!)
アラタの脳裏に、これまで見てきた帝国の非道と、それに抗おうとする命の輝きが走馬灯のように駆け巡った。怒りではない。悲しみでもない。ただ、「本来あるべき美しい姿に戻したい」という、純粋で強烈な願い。
「……響け。僕たちの、全部を乗せて……響いてくれぇぇぇッ!!」
アラタは、残された全ての精神力と魔力を、右手の槌に注ぎ込んだ。父の形見の槌が、アラタの意志に応えて金色に発光する。彼は渾身の力を込め、暴走する鋼の「核」――最も激しい不協和音を奏でている一点を目掛けて、最後の槌を振り下ろした。
――カァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!
その瞬間、工房の時間すら止まった。音は、光となった。金床を中心に発生した衝撃波が、桃色の雷光となって炸裂し、工房の天井を突き破って夜空へと駆け上がった。飛び散った火花の一粒一粒が、空中で桜の花びらの形へと変化し、燃え尽きる間際に清らかな鈴の音を奏でて消えていく。それは、鉄が咲かせた、刹那の華だった。
「……はぁ、はぁ、はぁ……っ」
アラタはその場に膝から崩れ落ちた。指一本動かせないほどの脱力感。もうもうと立ち込める蒸気が晴れていく中、金床の上には、新たな「命」が産声を上げていた。
それは、以前の武骨な修理槌とは似ても似つかない姿だった。ヘッド部分は、ドワーフの剛鉄が鍛え上げられた深い黒鉄色(くろがねいろ)をしていたが、その表面には、サクヤの神木が宿った証である、血管のような桃色の紋様が脈打っていた。柄は神木の枝がそのまま使われており、握る者の魔力に応じて桜の蕾が膨らむような意匠が施されている。
「……できた。あたしの最高傑作……いや、あたしたち全員の、魂の結晶だ」
フレアが煤だらけの顔で、ニカッと笑った。その目には、職人としての誇りと、達成感の涙が滲んでいた。
アラタは震える手で、その新たな槌を握りしめた。ずしりとした重み。しかし、それ以上に感じるのは、内側から溢れ出してくる心臓の鼓動のような力強い脈動。父の想い、フレアの情熱、サクヤの祈り。全てがこの一振りに宿っていた。
「……名前は、もう決まってるよな?」
フレアの問いに、アラタはゆっくりと立ち上がり、槌を天に掲げた。槌の紋様が呼応し、工房内に花の甘い香りと、雷鳴の予感が満ちた。
「ああ。……これは、凍てついた世界に春の雷を呼ぶ槌。――『共鳴砕槌(きょうめいさいつい)・桜雷(サクラライ)』だ」
外では、夜明け前の最も深い闇が世界を覆っていた。だが、工房の中で産声を上げたこの小さな光が、やがて帝国の巨大な闇を切り裂くことを、そこにいた全員が確信していた。準備は整った。いざ、決戦の地、『虚無の穿孔塔』へ。
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