第5話:蒼き水刃、虚空の角
「……くっ、よくも『最高級の電池』を台無しにしてくれたな」
神殿の入口に立つ女性士官――帝国神狩り部隊の分隊長、ヴェスタが忌々しげに吐き捨てた。
彼女が腰の機鋼軍刀を引き抜くと、「キィィィィィィン!」という鼓膜を刺すような高周波の音が室内に満ちた。その刀身には、捕らえられた神々の断末魔が「霊的振動」として蓄えられており、触れるもの全ての波長を狂わせ、内部から破壊する凶悪な代物だった。
「ミラ、下がっていろ。……まずはその調律師の少年から、その生意気な腕を叩き斬ってやる」
「させるもんですか!」
ミラが叫び、翠色の光を纏って地を蹴った。解放された「草の神」の力が彼女の脚力を極限まで高める。だが、ヴェスタが軍刀を振るうと、空気が不自然に歪み、ミラが踏み台にしようとした蔦(つた)が、一瞬で黒く腐り落ちた。
「なっ……力が、吸われる!?」
「無駄だ。この『神殺しの刃』の前では、あらゆる精霊の加護は毒に変わる」
ヴェスタの冷酷な追撃が、動揺したミラへと迫る。その背後で、アラタは膝をつき、肩で息をしながらも、檻から這い出したばかりのナギの肩を強く掴んでいた。
「……ナギ、逃げよう。君なら、まだ戦えるはずだ!」
「無理だと言っている……」
ナギは青白い顔で、血の気の失せた己の手を見つめていた。彼の額に触れると、そこにあるはずの「龍の角」の断面は熱を持ち、帝国の呪印によって今なお霊的な「渇き」を強制されていた。
「私の力は、この角と共に帝国に奪われた。水を呼ぶことも、嵐を統べることも……今の私には、泥を啜ることすら叶わない。……私はもう、龍ですらないのだ……」
「そんなこと、誰が決めたんだよ!」
アラタの怒声が、静まり返った神殿に響いた。前方では、ヴェスタの放つ不快な振動にミラが防戦一方となり、じりじりと追い詰められている。彼女の頬からは鮮血が飛び散り、重油の臭いの中に、微かな鉄の匂いが混じり始めた。
「ミラが……あんなにボロボロになってまで、君を助けようとしてるんだぞ! 龍だとか神様だとか、そんなの関係ない。……君は、このままあいつらに魂を磨り潰されて、ただの燃えカスになって終わりたいのか!?」
「……っ!」
「君の中に、まだ『音』は残ってる。僕には聞こえるんだ……。凍てついた氷の下で、春を待ってる澄んだせせらぎが!」
アラタは、自らの修理槌をナギの胸元、ちょうど心臓の鼓動が一番強く響く場所に押し当てた。
そして、己の全神経をその一点に集中させる。
(……聞こえろ。繋がれ。……あいつの冷たい機械の音を、君の誇りで塗り潰してやれ!)
アラタの槌が、ナギの鼓動に合わせて、「トン、トン……」と一定のリズムを刻み始めた。それは、ナギの体内に残された最後の「水の種火」を呼び覚ますための、調律師の祈りだった。
その瞬間。神殿全体の空気が、一変した。
不快な重油の臭いが、一瞬にして「雨上がりの森」のような、清冽な冷気へと浄化されていく。天井のパイプから漏れていた蒸気が、不自然な動きを見せ、ナギの周囲へと集まり始めた。
「……あ……ああ……」
ナギの瞳に、蒼い炎が灯った。彼の額の「折れた角」の断面から、光の粒子が溢れ出す。それは物理的な肉体ではない。透き通るような蒼い水の輝きで形成された、一本の「幻の角」が、王の帰還を告げるように顕現したのだ。
「……私の……水が……満ちていく……」
ナギがゆっくりと立ち上がった。その足元から、波紋が広がるように澄んだ水が溢れ出し、神殿の床を覆う汚れた油を洗い流していく。
「馬鹿な……角を失った龍人族が、これほどの濃度で霊子を固定化させるなど……!」
ヴェスタが驚愕し、攻撃の矛先をナギへと向けた。軍刀が放つ破壊の波長が、ナギを飲み込もうと迫る。
だが、ナギは逃げなかった。彼は右手を虚空に翳(かざ)し、静かに、だが重厚な声でその名を呼んだ。
「――来たれ、忘却の淵より。我が渇きを癒やす、無慈悲なる一滴」
――ゴォォォォォォッ!
神殿内の湿気が一箇所に凝縮され、凄まじい高圧の水流となってナギの手中に集った。 それは、ただの水ではない。アラタの調律によって純度を高められた、「音そのものを切り裂く水の刃」。
ナギがその手を一閃させた。
目に見えぬほどの速度で放たれた水刃が、ヴェスタの軍刀が放つ不快な振動を真っ向から両断し、彼女の背後にあった巨大な鋼鉄の支柱を、バターをナイフで切るかのように音もなく切り裂いた。
「なっ……がはっ……!?」
衝撃波だけでヴェスタは吹き飛ばされ、石壁に激突して気絶した。彼女の手にあった神殺しの軍刀は、その波長をナギの水刃に上書きされ、ガラス細工のように脆く砕け散った。
神殿に、本当の静寂が戻った。降り注ぐ水滴が、アラタとミラの頬を濡らす。
ナギは、自身の手に残る水の余韻を、愛しむように見つめていた。その額にある「蒼い光の角」は、戦いが終わると共に霧のように消えていったが、彼の瞳からは、もう絶望の色は消えていた。
「……アラタと言ったか。……貴方の叩いたあの音、少しばかり騒がしかったが……悪くはなかった」
ナギが不器用に、だが確かに、アラタに向かって僅かに頭を下げた。
「……よかった。……本当によかった」
アラタは安堵のあまり、その場にへたり込んだ。修理槌を持つ手は、極度の集中と共鳴の負荷で痺れ、感覚がなくなっていた。だが、彼の心は、かつてないほど澄み渡っていた。
ミラがふらつきながらも歩み寄り、アラタの肩を支える。
「……凄いわね、二人とも。本当に、世界を変えちゃうかもしれないわ」
だが、安堵も束の間だった。
ヴェスタはただの先兵に過ぎない。機鋼帝国ゼノフィアの真の脅威が、今、深い眠りから呼び覚まされようとしていた。
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