第5話 表裏のその先
「策を弄する」
というのはそういうことで、意外と、策を練って犯行を犯す人間は、潔いのかも知れない。
もっといえば、
「人を殺したい」
ということが目的ではなく、
「策を弄した殺人事件で、警察に挑戦する」
ということを目的にする人もいるだろう。
だから、犯人が捕まった時、刑事が逮捕の時に、
「どうして殺したりしたんだ?」
と聞くと、普通であれば、
「相手に対してお恨み」
などというものを口走るということになるのだろうが、その時の犯人は、
「だって、いい殺し方、思いついたんだもん」
というのだった。
その表情は、きっと、刑事の経験上からも、
「今までに見たこともないような不気味な表情だったのではないか?」
ということであり、本来であれば、警察に看破され、逮捕されることになったのだから、
「犯人の負け」
ということなのだろうが、犯罪計画を披露した時、刑事が呆れたような表情を、
「俺の計画にビックリしているんだ」
と感じたことで、最後はきっと、勝ち誇った気持ちになったということになるのではないだろうか?
その時の刑事の表情が、
「犯罪計画の壮大さに舌を巻いていた」
というわけではなく、単純に、
「こいつ本当に俺たちと同じ人間なのか?」
ということで、
「軽蔑と、汚物を見るような感覚」
ということになったのかも知れない。
そう思うと、
「これほど、警察と犯人というものが、違うものを見ている:
ということも実際にはあるのではないか?
ということであった。
警察というものが、事件解決を、
「被害者のため」
であったり、
「社会の治安を守るため」
さらには、
「自分が事件を解決するんだ」
という思いであるのだろうが、犯人側は、
「自己主張」
というものから犯罪を犯すということである。
もちろん、
「直接的な動機」
というのがあるのは当たり前のことであり、
「犯罪において、自分の知能をあからさまにしたい」
ということで、
「一種の芸術作品」
として作り上げることを目標にする人もいる。
そのようなものを、
「耽美主義」
というもので表現できる。
それは、
「モラルや倫理というものよりも、美というものを最優先させる考え方」
ということである。
つまりは、
「モラルや倫理というものが、本来であれば、一番に優先されるべきもの」
というのが、今の社会の考え方であるが、その最優先事項よりも、もっと大切なものということで、他のものを求めるというのは、最後には、
「広義の意味での耽美主義」
ということになるだろう。
これが、芸術の世界ということであれば、称賛されるものだといってもいいのかも知れないが、これが、
「犯罪」
という、
「悪の代表」
といわれるものであれば、そう簡単に許されるものではない。
ただ、
「美」
というものを
「犯罪」
というものを、紙一重の考え方だと思っている人も少なくはない。
それを考えると、
「正義」
というものがあり、それに対象となる、
「悪」
というものは、そのほとんどが、
「善」
というものとの、表裏の関係にあるといってもいいのではないだろうか?
世の中は、
「善と悪との背中合わせ」
といわれているが、そもそも、何か一つのことに関して、
「すべてもものに裏表がある」
ということであれば、
「善悪というものは、その一つ一つの中にも、裏表がある」
ということで、
「犯罪」
というものを、表裏によって、
「毒にも薬にもなる」
ということなのかも知れない。
そう思うと、この世に存在しているものは、必ず、
「毒にも薬にもなるもの」
ということで、それをいかに、
「薬として使うか?」
ということが、
「善だということだ」
ということになるのだろう。
ただ、世の中には、
「毒にも薬にもならないもの」
というものもある。
それこそが、
「路傍の石」
という考え方ではないだろうか?
「その場にあるのに、誰に意識されることもなく、ただその場に存在している」
というだけのものである。
しかし、それも利用できないわけではなく、実際には、
「毒でもなく、薬でもない、まったく違ったものとして利用されることになるのかも知れない」
という考え方である。
それを思えば。
「裏と表があれば、もう一つ違う世界がある」
といってもいいのではないか?
まるで、
「SFのような発想」
ということで、ミステリーも、このような発想と結びつけば、何か、得体の知れない犯罪であったり、
「本当の意味での完全犯罪」
というものがあってしかるべきといえるのではないだろうか?
このあたりは、そもそも、
「犯罪事件はそんなに起こらない」
といわれているとことであった、
「まさか、第一発見者であっても、事件の当事者」
ということになるなど、想像もしていなかっただろう。
「予期せぬことは突然に」
とはよく言われることだとは思うが、よくよく考えれば、
「今から数時間前に、警察や鑑識の生の捜査」
というものが見れるなど、夢にも思わなかったのである。
読書が好きなので、よくミステリーというのを読んでいたが、まさにこんなことになろうとは、
ただ、今回は、第一発見者ということであることから、警察としても、
「大した情報は得られない」
と思っているに違いない。
ただ、ミステリー好きの水谷としては、
「第一発見者を疑え」
というような、
「ミステリー界の教訓」
のようなものがあることから、若干の不安がないというわけではないだろう。
確かに、ミステリーというのは、映像作品であっても、小説であっても、言われていることが多い。
「犯人は、現状に舞い戻る」
ということであったり、
「一番怪しくないと思われる人物が犯人だった」
などというのは、普通にあることで、
「そろいすぎるトリックも何か怪しい」
ということで、さらに、
「現状で壊れた時の時刻というのが、本当に殺害された時間なのか?」
ということまで言われている。
それこそ、トリックというものを考えて、探偵小説を書いたとしても、
「評論家」
のような人たちが、せっかく考えたトリックをいろいろ調べ、一つのパターンということにしてしまわれては、
「それを今度使う場合は、さらに策を練る必要がある」
ということで、それこそ、
「トリックというものを、特許性のようにして、オリジナルトリックであれば、特許権を取得することで、他の人が使えないようにする」
ということができないものかとも思う。
しかし、そうなると、その人以外にはそのトリックは使えないということにあり、
「無限ではないトリックを使いまわす」
ということになれば、
「トリックをいかに組み合わせても、他の人では使えないとしてしまうと、結局は、ミステリー界の衰退を導くことになる」
ということだ。
「少しでもバリエーションが利いていれば、別作品」
ということにでもしないと、犯罪を抑止できないということになるに違いない。
ただ、そうなると、
「バリエーション」
というものと、
「盗作」
というものの境界線を、
「誰が決めるのか?」
ということになる。
曖昧な状態がいいのかどうか難しいが、これを、
「特許性」
ということにしてしまうと、
「まず、同じトリックは使えない」
とということで、あっという間に、
「ミステリー」
というジャンルは消えてしまうことになるだろう。
それこそ、
「トリックを使わない」
といわれる、
「ヒューマンティックな物語」
にする必要があるということになるだろう。
そうなってしまうと、
「社会派小説」
ということになり、とても、
「ミステリー」
という大きなジャンルで抱えることができなくなり、どこか他のジャンルに組み込まれるというようなことになるだろう。
そもそも、元々のミステリーという形のジャンルから派生したいくつかのジャンルの小説は、
「今小説界を引っ張っている」
といってもいい。
さらに、ミステリーというと、
「一人の作家が、一つのパターンを作り上げ、それがパイオニアとして、一世を風靡する」
ということもあった。
それでも、あくまでもブームということなので、数年から数十年という間流行ったとしても、ブームが去ると、本屋にも置かれないという状況になり、それこそ、
「無限なんてありえない」
ということになるだろう。
水谷は、そんなことを考えながら、実際の事件と、ミステリー小説というものを比較して見ているのであった。
水谷は、それから何度か、刑事の訪問を受けた。
「事件の内情は話せない」
ということで、情報は、新聞記事などで見るしかなかった。
だが、新聞記事を見ていると、ある程度の情報は入ってくるという気持ちになったのは、やはり、
「自分が第一発見者だ」
という自負があるからではないだろうか?
水谷が事件に注目している間、警察署の方では、
「捜査本部」
というものができて、いろいろな情報が集まりつつあったということである。
警察の捜査としては、まず被害者の特定であった。
これはすぐに判明した。
殺害現場での死体の服から、免許証が見つかり、被害者は、
「片桐良治」
という男であった。
暴力団の構成員だということで、前科は、
「さすが」
といわれるほどあった。
「強盗」
「恐喝」
「婦女暴行」
と、実際には、殺人や放火などの本当の凶悪な犯行はしていないが、それ以外は、
「たいていやった」
という犯罪者的には。
「チンピラ」
といってもいいような男であった。
それこそ、
「中途半端な存在」
ということであり、組としても、
「いい加減面倒なやつだ」
と思っていたかも知れないと思うと、
「なるほど、3年前に破門ということになっている」
ということであった。
その頃は、ムショから出てきてすぐのことのようで、
「仕事もない」
ということで、やくざ事務所の預かりというような立場だった。
しかし、これだけのことをやった男が、そう簡単に黙っていられるわけがない。
一応、事務所からは、
「おとなしくしているんだ」
といわれて釘を刺されていたようだが、そもそも、
「悪党」
という血が流れているからか、じっとしているわけもなく、さっそく、
「婦女暴行」
というものを起こした。
しかも、その相手が、
「ヤバい相手」
ということで、組としても
「放っておくことができない」
という状態だったのだ。
それこそ、組の存続を考えるならば、
「よくても、海外追放」
であり、普通であれば、
「バラす」
ということになるのだろう。
ただ。こういう男をバラすのだから、
「こんなに簡単に殺害が分かるようなことはしない」
ということで、警察としても、
「組がかかわっているとしても、簡単に分かるようなことはないだろう」
ということであった。
やはり、
「こんな男をばらして、それが簡単に明るみに出るようなことはしないだろう」
というのが、当たり前の考え方といってもいいだろう。
捜査本部が被害者の身元から、
「彼を殺したいだけの動機を持っている」
という人間を、
「3人絞り込んだ」
というところである。
「こん犯罪のデパートのような男に、殺意を感じている人が3人しかいないのか?」
ということで、疑問に感じるという人も多いだろう。
しかし、やつは、
「犯罪数こそ多いが、そのほとんどは、殺人罪のような重たいものではない」
ということで、
「こんな男を殺したとしても、犯人とすれば、自分の方が損だ」
ということになるのではないだろうか。
それを考えると、
「やはり3人というのは妥当か?」
ということであった。
ただ、実際にやつが犯した犯罪のせいで、いわゆる、
「二次被害を被った人がいるかも知れない」
ということであるが、さすがに、今の時点で、そこまで範囲を広げるとなると、
「時間的にも、人間の手配」
ということでもかなり大掛かりなものになるということで、
「さすがに。そこまではできない」
ということであった。
とりあえず、その三人を当たることにした。
しかし、実際には、
「一人は海外赴任」
ということで、日本にはいないし、帰国した形跡もないということであった。
もう一人は
「犯行時刻に、防犯カメラにうつる場所にいた」
ということで、もし、犯行現場があの場所だということであれば、
「アリバイ成立」
ということになる。
そういう意味ではグレーであった。
さらにもう一人というのは、大学教授であり、その時間帯には、
「かなり離れた土地で、講演を行っていた」
というアリバイがあった。
彼の場合は、車どころか、免許も持っていないということで、
「もし、他で犯行を犯し。その死体を運んだ」
という、
「犯行現場が別」
ということであっても、アリバイはある程度成立したといってもいいだろう。
もちろん、共犯がいれば別ということであるが、少なくとも、
「直接の実行犯ではない」
ということだ。
もし、タクシーを使ったとしても、車に死体を積んで、発見現場に運ぶというのは、不可能だということだからである。
となると、
「もし、犯人がこの中にいる」
ということになると、決定的なのは、
「犯行現場が別だった」
ということであろう。
さらに、
「犯人は意図して、アリバイを作ったということであるが、そのためには、共犯が必要だ」
ということだ。
つまりは、防犯カメラにうつっていた男が一番怪しいということになるが、問題は、
「彼を犯人とした時、共犯になる人間が本当にいるのだろうか?」
ということであった。
もちろん、それを捜索するのは大切だが、
「この男の犯行」
ということであれば、
「もし、自分が彼の立場だったら?」
ということで、その犯行手口というものを、
「容疑者の目線」
というものから、いかに考えるか?
ということであった。
これが、
「小説を書く時のプロットを考える」
というものであれば、
「最初は、まったく想像もつかない内容であっても、何か一つの閃きがあれば、そこからいろいろな発想が出てきて、それを結びつけることで、一つの大きな物語になる」
ということであった。
一つの発想から、二つ目が出てくると、
「その先の延長線上」
ということで考えるか、それとも、
「二つを結んだ線の中にあること」
として考えるかということである。
まだ、点が二つしかない場合は、
「表か中か?」
という二種類しかない。
それが。少しずつ広がっていくと、そこに歪んだ発想が生まれてくるようになり、それが、
「カーブを描く」
ということで、まるで、
「最短距離を描く」
という発想が生まれてくるというものである。
それが、
「ミステリー小説を考える」
つまり。
「プロットを書く」
ということであろう。
ただ、プロットの段階では、あくまでも、
「大まかな内容」
ということで、本文を書き始めると、どんどん発想が膨れることで、幅が広がってくる。
そうなると、もし、
「プロットの段階で、ある程度完璧にものにしてしまうと、書いている時にいいアイデアが浮かんできても、それを組み込むことはできなくなってしまう」
そうなると、
「本来の発想を生かすと考えるあまり、新しい発想を書けないとすれば、それが引っかかってしまい、本来の作品とは少し違ったものになる」
ということもあるだろう。
だから、
「一つの作品を完成させる」
ということであれば、最初から、完璧ということいしてしまうと、
「完成におぼつかない」
ということもあるだろう。
完成前に、挫折」
ということになったり、
「収拾がつかなくなってしまい、途中で頓挫する」
ということになったり、あるいは、
「頓挫するのがいやで、自分から、壊してしまう」
つまりは、
「納得のいかないところで終止符を打つという完結編を作ってしまう」
ということになるだろう。
確かに、
「小説というものは、納得がいかなくても、書き始めれば最後まで書く」
というのも一つであるが、
「プロというものになればなるほど、自分に妥協は許さない」
ということになり、
「納得のいかないものは、妥協を許さない」
ということになってしまうだろう。
刑事の中にも、
「同じような発想」
の人がいて、彼も、学生時代、
「ミステリー小説を書いていた」
ということであった。
ただ、
「ミステリーを書いていたから、刑事になった」
というわけでもなく、
「勧善懲悪の精神から」
というわけでもない。
「それをいうのはおこがましい」
といって、正直誰にも言わないのだったが、さすがに、
「警察官にしか受からなかった」
という理由でもないようだ。
それが、
「F警察署の樋口」
という刑事で、今はベテランとなっていたが、昇進試験にも興味がないようで、いまだに、中年に差し掛かってきたのに、いまだに、
「巡査部長」
という階級だ、
「別に警部補になりたいなんて思わない」
ということで、
「老練刑事」
の立場から、いつも事件を見ていて、最後には、
「ちゃっかり事件を解決に導いた」
ということが、最近は増えてきた。
「そろそろ警部補になってもいいのに」
と、警部クラスの人は思っているようだが、本人は、
「どこ吹く風」
ということのようだった。
今回の事件において、警察の捜査は、暗礁に乗り上げていた。
なんといっても、捜査線上に浮かんだ人たち全員に、
「アリバイが成立してしまった」
ということである。
そうなると、警察は何かを考えるか? そこは、
「通り魔的な犯罪」
というのも、視野に入れて考えることになるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます