第3話 昼と夜の狭間

 風は相変わらず吹いていた。そのあたりは、住宅街からは少し離れていたので、街灯もそれほど明るいものではなかったのだが、廃工場となっているわりに、なぜか奥の方で光を感じたのだ。

「誰かいるのかな?」

 と思ったのは、その光のせいだった。

 その光が見えてくると思わず、寄ってしまうという、

「誘蛾灯」

 というものを感じさせられた。

 昔から、

「気持ち悪いものの代表」

 のように思っていたが、この時は、それ以上に好奇心が勝ったということになるのであろう。

 おそるおそる近づいていくと、その光が織りなす、

「影のコントラスト」

 から、工場の前の、舗装もされていない砂地が、まるで波打っているかのように波打ち際の影というものを映し出していたのだ。

 ゆっくりと中に入ってきた。

 さしがに、途中で、

「辞めればよかった」

 という後悔もあったが、

「ここまできたのだからやめられない」

 と感じたのは、自分が、

「ほぼ中に入り込んだ」

 と考えたからだ。

「百里の道は九十九里を半ばとす」

 という言葉があるように、実際には、まだまだあったのであった。

 それを自覚できなかったという理由は、

「一度も後ろを振り向かなかった」

 ということからで、

「後ろを振り向くと、何かがいるかも知れない」

 ということで振り向かなかった。

 それを後で思い出すと、

「振り向かなかったのは、自分が臆病の境地だったからなのだろう」

 と思ったが、ずっとその思いは消えることはなく、

「これから、また同じことがあったとしても、同じことを繰り返してしまうに違いないだろうな」

 と感じるのであった。

 最初は臆病風からか、耳に音はまったく入ってこず、ただ、

「風が耳の奥を通り抜けるだけ」

 と思っていたが、実際に近づいてくるうちに、音を感じるようになった。

 最初は、

「草木が風でそよぐ音」

 であった。

 しかし、風情のあるというものではなく、

「何も聞こえないという恐怖を、少しだけでも和らげてくれる」

 というだけのことのように感じたのだ。

 完全に腰が曲がり、おじいさんにでもなったかのように前に向かって歩いていたが、気持ちは、

「前のめり」

 ということであった。

 ただの、恐怖心を和らげるためということであったが、歩いているうちに、何やら覚悟がきまってきたかのように感じるのだった。

 覚悟といっても、魑魅魍魎に囲まれるかのような覚悟ではなく、

「何か、想像を絶するものを発見するのではないか?」

 という思いであり、覚悟が定まっていくうちに、

「それが何なのか?」

 ということを想像できるのではないか?

 ということであった。

 実際に、覚悟がきまってくると、前のめりになった足が自然と早くなってくることを感じ、途中から、あっという間に、明かりがする方に近づいたようであった。

 中を覗き込むと、昔の機械が、いくつか放置されていた。

 実際に、稼働して、工場として機能するには、あまりにも少ないのだが、

「廃工場になっている」

 ということで、

「そこには機械という機械は一切ないだろう」

 と思っていたので、意外といえば意外だった。

 だから、機械は光に照らされ、幾種類かの影を作っていたのだ。その影を確認しながら、機械と照らし合わせてみていた。

「恐怖心がハンパない状態で、よく冷静に見れるものだな」

 と感じたのだが、

「何も感情と感覚はいつも比例しているとは限らない」

 と感じた。

 やはり、どこか気持ちは究極に向かっていて、恐怖にも結界があるようで、その血気に近づけば、見ることはできないまでも、感じるということはできるというのではないだろうか?

 そんなことを感じていると、一歩一歩と、前に進んでいる自分を感じさせられたのであった。

 こういう光景を見ると、ホラー小説などでは、

「今にも動き出しそうな機械たち」

 という表現が出てくるのかも知れない。

 しかし、そんなことはなかった。

 どちらかというと、

「空気という海原を感じる」

 という感覚で、相変わらずの湿気の多さが、気圧の濃さのようなものが感じられ、それこそ、

「水中にいる」

 と思わせる。

「逃げようとしても、足が思ったように動かない。全身で泳ごうとしても、まったく前に進まない」

 という感覚である。

 だから、最初は、この不気味な中に前のめりになり、前だけを見て進んでくると、

「次第に、スピードが速くなってきている」

 と感じるようになった。

 それは、別の感覚へのカモフラージュのようなもので、

「歩くスピードが速くなったわけではなく、時間の感覚が想像している以上に、早かったのではないか?」

 と思えるのだ。

 恐怖心があると、実際よりも、

「なかなか時間が過ぎてくれない」

 と感じる。

 それは、恐怖心だけではなく、

「自分がいやだと思ったり、好きではないと感じたりした」

 という時に感じる感覚ではないだろうか。

 しかし、途中からは、感覚が変わってきた。

「覚悟が定まってきた」

 というのもその理由なのだろうが、それ以外に、

「そこに何があるのか?」

 ということが、ある程度定まってきたからであろう。

 ただ、それも、

「いくつかの種類」

 というものがあり、

「最悪でなければいいな」

 という思いからであった。

 しかし、実際に、廃工場で見つけたものは、

「最悪」

 というものであり、少なくとも、その場から、

「見なかったことにしよう」

 ということで立ち去ることができなくなったからである。

 もし、ここで、

「何もなかったこと」

 ということで立ち去ると、それだけで罪になる。

 最悪は、

「警察から最悪の容疑を掛けられ、普通に生活ができなくなる」

 というものであった。

 実際にそれを見た時、腰を抜かしてしまった。

「この場から立ち去りたい」

 という思いはあったが、立ち去ってしまうと、その方が自分に不利だということを、なぜか冷静に感じたのだ。

 手元にあるスマホから、

「110番」

 を掛けた。

「事故ですか? 事件ですか?」

 と言われ、どちらとも分からないので、とりあえず、

「廃工場で、人が死んでいます」

 といって、後は相手に誘導されながら答えたのだが、あまりにも気が動転しているということもあって、ハッキリと答えられたかどうか、自分でもよく分からなかった。

 ただ、ハッキリと覚えているのは、

「短髪で、黒いカッターシャツを着ていた」

 ということから、

「普通の仕事をしている男ではないかも?」

 という思いであった。

 まるで、昔のやくざ映画にでも出てくるような、

「チンピラ風」

 に感じた。

 しかし、冷静に考えれば、

「チンピラというと、昔ならアロハのような派手な服を着ている」

 と思った。

 だから、この男は、

「もう少し上ぼ立場の、何かの構成員かも知れないな」

 と感じた。

 ただ、

「カタギということではなさそうだ」

 と感じた。

 ちなみに、この死体発見という場面の主人公で、警察に通報したという、

「第一発見者」

 という立場の人間は、

「水谷良平」

 という男で、彼は今、

「警察に通報した」

 ということで、警察が来るのを待っている立場だった。

 さっきまで一人であったが、一人であることの恐怖をそこまでは感じなかったのに、警察を呼んでからの一人のこの時間は、

「本当の恐怖を味わっているようだ」

 と感じ、

「早く来てくれないか?」

 という思いから、それまでの時間が、

「果てしなく長く感じさせられるであろう」

 ということを、ずっと考えさせられるという、

「恐怖よりも、気持ち悪さ」

 といった時間帯だったのだ。

 倒れている男は、仰向けに倒れていて、目は開いたままで、まともに見るのは怖いのだが、今までサスペンスドラマでさんざん見てきたという印象があるが、

「やはり、リアルは違う」

 という感覚だった。

 実際には同じなのかも知れないが、それ以上に、まわりの雰囲気ということで、

「鉄分を含んだ異様な臭い」

 というものが一番大きいのだが、

「あるはずがないと思っていた機械が残っていた」

 ということ、

「必要以上に鉄分の臭いがひどい」

 ということ。

 これは、廃工場の錆が混じっているからで、本来であれば、

「血の臭い」

 というものと、

「さび付いた鉄分」

 ということで、その臭いの質が違うということも分かっているので、その気持ち悪いと思われる二つがまじりあうことで、余計に気持ち悪さを演出していた。

 しかし、

「死体の臭い」

 というのは、実際に慣れている刑事でも、吐き気を催すということがあるというではないか。

 今回のこの死体も、おそらくは、

「それだけの吐き気があって、しかるべき」

 ということなのであろうが、実際にはそこまではない。

「感覚がマヒしている」

 といっていいのかも知れないが、それ以上に、

「異様な臭いが混ざり合ったことで、それぞれに、打ち消す相殺作用というものから、吐き気を催すということがなかったのではないか?」

 と思えば、複雑な心境になるのであった。

「きっと、この臭いは、しばらく身体から消えないだろうな」

 と感じ、本当なら、

「早く帰ってシャワーを浴びたい」

 と思った。

 通報した以上、いや、通報は義務なのでしないわけにはいかないが、どちらにしても、そこから逃げ出すわけにはいかない。

 そう思えば、

「死後どれくらい経っているか、素人なので分からない」

 と思うと、

「まさかとは思うが、これが経った今の犯行だった」

 ということであれば、

「犯人が、この付近に潜伏している」

 といえなくもない。

 ということから、恐怖がよみがえってきた。

 しかし冷静に考えれば、

「ここで犯行が行われたのであれば、物音がしてもいいはずだ」

 ということであった。

 これだけ機械があるのだから、もみ合ったとすれば、どこかに当たった可能性がある、ナイフを持っているのだから、金属音が響いてもいいだろう。そんなことを考えると、

「実際の犯行が経った今だった」

 という可能性は低い気がする。

 もちろん、

「死体の保存」

 ということで、警察がやってきて、鑑識作業の邪魔になるのは嫌だし、何よりも、

「指紋を残す」

 ということになると、

「犯人ではないか?」

 ということで、

「疑われないとも限らない」

 というのが一番怖いというものだ。

 だが、気になるのは、

「断末魔の表情」

 というのを証明するかのように、カッと見開いた両目である。

 まるで、この世への未練であるかのようで、そんな目で見つめられれば、身動きなど絶対にできないだろう。

 その目はしっかりと天井を見据えていて、犯人も、

「覚悟の犯行」

 ということであったろうが、さすがに、自分が手を下したというだけに、この恨めしそうな眼を見て、どう感じただろうか?

 それも、これが、

「衝動的な犯行」

 なのか、それとも、

「計画的な犯行なのか」

 によって、変わってくるといってもいいだろう。

 警察が来るまでの恐怖の時間、そんなことを考えながらいると、思ったよりも、時間が経つのが、あっという間のような気がするのであった。

「人間って、究極な場面に遭遇すると、根性が据わってくる」

 と聞くが、

「まさにその通りなのだろうな」

 と感じるのであった。

 そんなことをしている間に、遠くから、サイレンの音が、けたたましく聞こえてきた。

 それこそ、

「臨場感」

 というもので、

「いよいよか?」

 と緊張したものだが、今さら緊張しても仕方がない。

「逃げも隠れもしない」

 という言葉があるが、今の自分は、

「逃げも隠れもできない」

 ということで、

「俎板の鯉」

 というところであろうか。

 このあたりは、民家も少ないので、誰もこの明かりを気にしなかったのだろう。

「そもそも、この廃工場を昼間、誰が気にするというものか?」

 とも感じられたのだった。

 そう思うと、

「普段から、この廃工場は誰に気にされる」

 ということもなく、どちらかというと、

「路傍の石」

 のようなものに思われたのかも知れない。

 ここで、

「石の臭いを感じた」

 というのも、そういう意味では、ただの偶然ではなかったということになるのではないだろうか?

 確かに、自分がこのあたりの住民だったとしても、昼間歩いた時、この廃工場を意識はしなかっただろう。

 それこそ、今日のような臭いに誘われるということでもなければ、まったく無視していたといってもいい。

 それを思えば、

「臭いを感じる時は、ひょっとすると夜の方が多いのかも知れないな」

 と思ったのだ。

 そういえば、血の臭いということでは、昔の西洋の話に、

「ドラキュラ」

 というのがあるが、その正体を、

「コウモリ」

 ということである。

 コウモリというと夜行性で、

「目も見えない状態で、人里に出てくることもなく、ひっそりと、しっかげ漂う、鍾乳洞などの洞窟で暮らしている」

 ということだ。

 その逸話として、

「イソップ寓話」

 に残っている話しとして、

「卑怯なコウモリ」

 という話がある。

 この話は、

「鳥と獣が戦争をしているところに、コウモリが入ってきた」

 ということから始まるのだ。

 その時、コウモリは、獣に対しては、

「自分には体毛が生えているということで、自分は獣だ」

 といい、鳥に対しては、

「自分には羽根があるので、鳥だ」

 といって、都合よく立ち回った。

 ということであった。

 しかし、いずれ、鳥と獣の戦争が終わり、和解した時、コウモリの話が浮上し、双方から、

「あいつは卑怯なやつだ」

 ということで、鳥や獣から相手にされなくなり、結局、

「他の動物がいないところで、ひっそりと生活をするしかなくなった」

 ということになったという逸話だった。

 そもそもの、

「コウモリの生態」

 というものを見た時に考えられたストーリーなのだろうが、

「さすがに寓話」

 ということで、

「実際には、このようなコウモリの行動は、人それぞれの解釈で、毒にも薬にもなる」

 ということになるのだろうが、イソップ寓話においては、

「完全に悪だ」

 ということで糾弾しているといってもいいだろう。

 そんなことを考えると、

「昼と夜」

 というものの間には、人が考えるよりも、さらに違うものが潜んでいるといってもいいのではないだろうか?

 昼と夜の違いということで、考え方がいくつもあるが、数あるおとぎ話なのでは、

「昼と夜の違い」

 というものを、それぞれの神が争っているというような逸話にしているものもあったような気がする。

「ただの天体の宇宙というもののいたずらだ」

 といってしまえばそれまでだが、やはり、昼と夜とでは、明らかな違いがある。

「昼には見えるが夜には見えない」

 あるいは、

「夜には見えるが昼には見えない」

 ということで、まるで、

「月と太陽の関係」

 といってもいいだろう。

 しかし厳密には、

「太陽が出ている時間帯に、月が出ていることもある」

 という。

 本当は、逆もあるのだが、

「太陽の存在」

 というものが偉大だということから、あくまでも、太陽中心に考えると、出てくる結果は同じということで、

「太陽の時間帯に月が見える」

 ということになる。

 となると、同じ現象に見えても、本当は違うものだという考えになるのではないだろうか?


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