十四番目の席
すまげんちゃんねる
十四番目の席
ハッピバースデートゥーユー。
ハッピバースデートゥーユー。
遮光カーテンを閉め切った暗い部屋で、私はその呪文に似た旋律を口ずさむ。
声帯は渇き、音はひび割れている。それは祝福ではない。私が一族の中でただ一人、無意味に生き延びてしまったことへの贖罪の儀式だ。
今日は一月十四日。
あの日からもう干支が一回りしたのか。世間にとってはありふれた平日だが、私にとっては逃れられない
私は部屋の窓に近づき、厚いカーテンを指一本で開く。
眼下には、灰色の都市が墓石群のように広がっている。このマンションの十四階から見下ろす風景だけが、唯一、私に冷たい安らぎを与えてくれる。
私はダイニングへ向かう。
そこにはアンティークの長大なテーブルが鎮座している。
私は物置から、様々な時代や様式の椅子を運び出し、テーブルの周囲に並べていく。
一、二、三……。
不揃いな椅子の数は、全部で十四脚。
上座の一つは私自身の席。残りの十三は、今日、私の元へ帰ってくる「家族たち」のための席だ。
十三年前、一族を襲ったあの凄惨な悲劇。
最後の晩餐になぞらえられた毒殺劇によって、私以外の十三人は全員、泡を吹いて死んだ。
私は食器棚から金縁の皿を取り出す。
冷たい陶器の手触り。それを、誰もいない席の前に一枚ずつ置いていく。十四枚の皿が、闇の中で白い骨のように浮かび上がる。
次に、銀のカトラリー。
父が愛した重厚なナイフ、母が大切にしていたフォーク、幼かった妹のスプーン。形見の品々を、音を立てないように並べる。カチャリと音を立てて十四組目を並べ終えると、準備は整った。
私は思考の沼に沈んでいく。この数字の意味について。
世界は本来、「十二」という聖なる円環で閉じている。
十二の月、十二の星座、時計の文字盤、あるいはオリュンポスの十二神。それは調和であり、秩序であり、完結した宇宙の形だ。
そこに「十三」という異物が加わるとき、円環は砕かれ、物語は「悲劇」へと昇華する。
十三日の金曜日。十三階段。最後の晩餐に座った、十三人目の裏切り者ユダ。タロットカードの死神。
人々は十三を不吉だと忌み嫌うが、私はその数字にこそ憧れる。十三には、「破滅」という役割があるからだ。彼らは、世界を終わらせるためのトリガーとして、物語の中心に座る権利を与えられている。彼らが死ぬことで、悲劇は美しく完結する。
だが、その先にある、忘れられた十四番目とは何なのか?
それは、惨劇が終わった後の、誰もいない舞台だ。
血の海が乾いた後の、生臭い床だ。
観客が去り、照明が落とされた劇場に取り残された、忘れ去られた掃除夫の時間だ。
十三で終わるべきだった物語が、手違いで続いてしまった時に生じる、無意味な余白。それが「十四」という数字の正体だ。
蛇足。余剰。残りカス。
法によれば、人が罪を背負うことができるようになるのは十四歳からだという。
なんと残酷な規定だろうか。神は、「物語(十三)」が終わった後に、さらに「罰」を与えようというのか。
ならば、あの日赤子だった私は無罪なのか。いいや、生き残ったこと自体が、物語を蛇足へと引き延ばした、私の罪なのだ。
あるいは、文学への傾倒。
私が好んで読んだ西洋の定型詩、ソネット。厳格な韻律と構成によって支配された、たったの十四行詩。
無限に広がる宇宙や張り裂けそうな情念を、わずかな行数の中に無理やり押し込める、そのサディスティックなまでの不自由さに私は陶酔した。言葉は制限されることで初めて、結晶のように硬度を増すのだと知った。
私はその空虚な物語を完成させるためだけに、ホールケーキを運んでくる。白いクリームに覆われた美しい円環。慎重に、その上に蝋燭を突き立てる。
一、二、三……。
やがてケーキの表面は、林立する十四本の火柱によって埋め尽くされた。
火を点ける。
揺らめく炎が、無人の席に座る父や母、兄姉たちの顔を照らし出す(ような気がする)。
彼らは皆、美しい悲劇の死者として微笑んでいるが、私だけが、生の泥沼でのたうち回っている。
トランプの王(キング)は十三で終わる。この世には、十四という数字を持つ絵札は存在しない。私はゲームに参加することさえできない、ジョーカーですらない、印刷ミスの白紙のカードだ。
私の胸の内で心臓が早鐘を打つ。
月が満ち、闇に溶けるまでの日数は、およそ十四日。
今日、満月が欠け始めるように、私の命もここで尽きればいいと願う。
蝋が溶け落ち、ケーキの上で赤い模様を描く。
その時、テーブルの上のスマートフォンが震えた。
無機質な通知音。画面に表示されたメッセージが静寂を切り裂く。
『いつまで中二病こじらせてんの。ご飯できたから降りてきなさい』
母からのLINEだ。
階下のキッチンから、味噌汁の匂いとバラエティ番組の笑い声が微かに漏れてくる。
毒殺された父も、首を吊った兄も、この世のどこにもいやしない。
彼らは今も、一階のリビングでのんきにテレビを見て笑っている。
私は、自分が十四年間生きてきたこの世界が、ただの退屈な平和ボケした日常であることを思い知らされる。
ここにあるのは、平凡で、退屈で、吐き気がするほど平和な「サトウ」という一家の、冴えない長男の部屋だけだ。
だが、私は認めない。
私にとっての真実は、私が脳内で緻密に構築した、この美しく呪われた一族の物語だけだ。
そのためになら、私は何度だって、平気で生きている親を脳内で殺そう。
私は、今日十四歳になった自分自身を葬り去るために、高らかに歌い出した。
ハッピバースデートゥーユー。
ハッピバースデートゥーユー。
ハッピバースデー、ディア……、可哀想な、私。
一息に吹き消す。
暗闇が訪れる。
後に残ったのは、鼻孔を突く甘く焦げた煙の匂いと、下の階から響く「早く来なさい」という母の怒鳴り声だけだった。
(了)
十四番目の席 すまげんちゃんねる @gen-nai
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