死後、妻は消えていた(後編)
――解せない。
こんな優男が死者の想いを叶えてくれる〝天使〟だなんて。目の前に立つ青年はただの人間にしか見えないし、想いを叶える力なんて有るようには全く見えない。
「アダマン様、最期の願いを聴かせてください。」
不信に思いながらも家に招き入れてしまったのは、彼が放つ独特の空気感と藁をも掴む最後の希望から。
「……いのか?」
「なんとおっしゃいましたか?」
「お前は、座らないのか。」
アダマンの怒った瞳がリユを射抜き、リユの肩がピクリと反応した。
生前から酪農仕事ばかりで人付き合いなんてろくにしてこなかったアダマン。そう言うことは全て妻であるオリビアに任せっきりにしてきた。明るくて社交的な彼女にピッタリだったし、彼女も嫌いではなさそうだった。
だから余計に分からなかった。
妻以外の他人とテーブルを囲む方法なんて。
「目障りだ。見下されてるようで気分も悪い。」
「失礼しました。ならば……」
リユがアダマンの視界から外れた。
「これでどうでしょう。」
満足気なリユに対してアダマンは絶句していた。
「……なぜ、そうなる。」
彼は床に座り始めたのだ。それも正座で。
これではいじめているようじゃないか。
「違う。」
「どう違うのでしょう?」
座り方ですか、と真顔で聞いてくる青年が体育座りをし始める始末。
「椅子に、座れ。」
「承知しました。」
独特な空気感は天然物か作り物か、それすら分からない。本当に不思議な青年だ。彼は椅子に座ると人形のようにじっとこちらを見つめて黙り込んだ。
「……妻だったオリビアに会いたいんだ。」
先に沈黙に耐えかねたのはアダマンの方。
「死ぬ前の晩。何かを言おうとしていた。」
今も鮮明に覚えている。
いつも同じ笑顔と声で、「おやすみなさい」と口にしたオリビアがいつもと違って立ち止まった。「どうした」と問うと、口篭ってから「なんでもない」と悲しそうな顔をして、寝室で眠りについた。
明日聴けばいい。そう思って軽んじた。
次の朝、彼女が死んでしまうとは思ってなかったんだ。
「どうしてもあの時の顔が忘れられない。だから、会いたい。」
注がれた紅茶が冷めてしまうほどゆっくりと、言葉を探して喋った。
「アダマン様の願いは奥様のオリビア様に会いたいでお間違いないですか?」
「……ああ。」
こんな青年になにが出来る?
アダマンはそう思いながらも期待なく返事をした。
ボードマンが全ての掲示板を探しても見つからなかった妻の行方を、若造が一人来たとて意味はないだろうとため息を吐く。そんなアダマンの前でリユはパンっと音を立てて両手を叩いた。
「最期の願いを一緒に叶えましょう。」
「一緒に?」
「はい。俺一人ではオリビア様の人相も分かりませんから。」
「でもどうやって探すと言うんだ?」
「ご心配には及びません。」
そう言うとリユは旅行かばんの中から大きく分厚い本を取り出した。
「リユ・クロッカスの名において、アダマン様と関係がある者達を見つけ出せ。」
彼の言葉に呼応するように開かれた本は光を放ち、自らページを捲り始めた。ペラペラと音を立てながら動く本を唖然としながら見入っていると、五枚のページがまるでここを読めと言っているように、ピンと立ち上がり止まった。
「五名居るようですね。ほつれた糸を結び直します。」
リユが再度パンッと手を叩くと立ち上がっていた本のページが赤い糸に変わった。
「アダマン様、手をお借りします。」
「何をする気だ?」
驚くアダマンを他所に、リユが触れたアダマンの小指から赤い糸が現れた。たじろぐアダマンを無視して、リユは五本の糸の内の一つをアダマンの小指の赤い糸と丁寧にリボン結びにした。
「これはなんだ!?」
小指にから出る赤い糸は引き抜こうにもびくともしない。慌てるアダマンの腕をリユがそっと抑えた。
「糸の先に貴方様と関係する者が居ます。」
「オリビアがいるのか?」
「それは分かりません。五本の糸のどれかがオリビア様だと願うしかありません。早速ですが、行ってみましょう。」
飄々とするリユに連れられ家を出た。
アダマンは平然を装っているが、家を出る時に愛用していた杖を忘れてくるぐらいには舞い上がっていた。だって今さっき現実とは思えない光景を目の当たりにしたばかりだから。死んでも変わらない世界で魔法のような不思議な出来事を見れば誰でも期待してしまうもの。
「ここに居られるみたいですね。」
「この、中にオリビアがいるのか?」
連れられて来られたのは一軒の牛舎。酪農家の妻ならここに居たっておかしくない。小指からでる赤い糸が緩やかに振動しているのが伝わる。この振動がオリビアだと信じて、アダマンは深呼吸をすると牛舎の扉を手を掛けた。
「オリビア!」
声に反応してくれる女性を期待した。
しかし――、
「マイロ、か?」
返ってきた返事は聞き馴染みある鳴き声だけ。そこにいたのは生前飼育していた雌牛のマイロだった。
「わしと関係した者がいるんじゃなかったのか!?」
「そうですよ。」
「これは牛じゃないか。」
それがどうした、とでも言いたげにこちらを覗き込むリユに苛立ちを覚えながらも、久方ぶりに再会したマイロの額を撫でるとある事を思い出した。
「オリビアはマイロをかなり好いていたな。」
子供の出来ない体質だったオリビア。そんな彼女が嫁いで来て初めて出産に立ち会い、産まれたのがマイロだった。彼女はまるで自分の子のようにマイロを大切にしていた。
『子供を産めない不良品でごめんなさい』と。
あの頃のオリビアは謝罪ばかりしていた。
わしは子供が居なくても、君が居ればそれで良いと心から思っていた。でも彼女は初夜の日からずっと泣いていた。
「そうだった……彼女は、」
ずっと苦しんでいた。だから言ったんだ。
『子供は来世の楽しみにとっておこう』と。
「なんでこんな大切な事を忘れていたんだ……」
胸がざわめきの悲鳴を上げている。
まだ重要な事を忘れてしまっているような感覚が押し寄せた。
「次の糸へ向かいましょうか。」
リユの言葉になんとか頷いて脚を動かす。前を歩くリユは軽快で、老人の歩幅なんて関係なしに進む。こちらはオリビアへの罪悪感と不安で押し潰されそうだと言うのに。
「おい、もっと老人を労わって歩けないのか?」
「老人……?」
振り返るリユはどこに老人がいるのか分からないと言った表情で辺りを見渡す。その姿に流石のアダマンも怒りが湧いた。
「老人のわしに杖ぐらい持って来れんのか!」
「アダマン様が老人? ああ、まだ気づいて居られないのか。」
リユは旅行鞄から手鏡を取り出すとアダマンの顔に近づけた。
「顔が、わしの顔が若返っておる。」
鏡の中には驚く事に四、五十代のアダマンの顔が写っていた。思わず体も確認すると肌も少しハリが戻っていた。
「クレードルは死後の世界。若い記憶を思い出せばその分体だって若返ります。」
そう言えば脚の関節が痛くない。
杖がなくても簡単に歩けている。
「それと失礼しました。アダマン様の要望はしかと聞き入れます。ゆっくり歩く、老人として扱う、ですね?」
これを悪意なく純粋に言っているのだからリユ・クロッカスは掴めない。
「……今のままで結構だ。」
天使の輪はみんながこうなのか?
よく分からないまま、彼の後を駆け足で追った。
「二本目の糸のお相手はこの先のようです。」
次に連れて来られた高原を見てため息が出た。
「犬、しかいないぞ。」
「ですね。」
「と言う事は……、」
アダマンは手で笛を作り息を吹きかけた。すると美しい音色を聴いた犬が一匹、勢いよくこちらへ駆けてくる。
「ハリー。」
小指から伸びる赤い糸の先には、生前飼っていた牧羊犬のハリーがいた。ハリーは道端に捨てられていた所をオリビアが保護して来たんだ。
『この子は絶対に有能は牧羊犬になるわ』と。
オリビアの物事を見抜く目は鋭かった。ハリーは彼女の言った通り、牧羊犬としてこれ以上ない有能な犬に育った。その噂は隣町まで響き、ハリーを買いたいと言い出した者がいたぐらいだ。
『ほら、私の言った通りでしょ?』と笑うオリビアの得意げな表情ときたら。
――そうだ、彼女は本当に美しく笑うんだ。
「次の糸を繋いでくれ。」
残る三本の糸の中に彼女がいると信じて歩みを速める。しかし、次もその次も、待っていたのは生前飼っていた羊にヤギ。オリビアというか、人間ですらない。そのくせ思い出すのはオリビアの事ばかり。体はもうすっかりオリビアと出会った十代の若々しさを取り戻しているというのに。
「次が最後の糸です。この糸の先にオリビア様がいなければ、彼女はもう転生してしまっていると言う事になります。」
「……分かった。この糸なんだかほつれそうじゃないか?」
最後の糸は今までのどの糸より古く、今にも千切れてしまいそうだった。
「これはまずい。この方、転生の時が近づいておられます。」
「なんだって!?」
「急いでアダマン様の糸と繋ぎます。ええーと、糸の伸びる先は……、ダリア畑?」
リユの言葉にドクンと胸が鳴った。
脈が、血液が、早鐘を打つように心臓に流れ戻る。
「ダリアはオリビアが一番好きだった花だ。」
全身の肌が粟立つ。
「お急ぎ下さい!」
次の瞬間、弦から放たれた弓矢の如くスピードでアダマンは駆け出した。小指から伸びる赤い糸に視線を落とすと、わずかに伝わる振動が、この糸の先にまだいると教えてくれる。
「オリビア、そこに居るんだな。」
雪積もる地面を蹴って、何度も転びながら。
赤い糸の先へ。間に合ってくれと心が急く。
その頃、ポンペリの広場では、ボードマンが多く集まり彷徨いていた。理由は夢鉄道から降りて来る天使を見掛けたからだ。
天使が駅員に聞いた住所、それはアダマンのもの。それを聴いたボードマン達が一斉に広場に集まっていたのだ。
アダマンはお世辞にもいい性格ではない。
天使はアダマンを見捨ててしまわないだろうか?
もしそうなら我らが天使を説得しなくては。
そんな焦りと緊張感漂う広場に、一人の青年が走り込んできた。
風変わりな青年だ。
着ている服は老いぼれて、丈も合っていない。
こんな寒空の下、コートも着ずに顔を真っ赤にして駆けてくる。不思議に見つめていると一人のボードマンの前で青年が立ち止まった。
「君、ありがとう。」
「僕が何かしましたか?」
「ああ、君のおかげだ。わしは、僕はっ!」
ボードマンはこんな風変わりな青年に会うのは初めてだった。多分人違いしているだろうと思いながら、息切れて咳き込むする青年の背を撫でると、彼から古びた香りがした。
「オリビアに会いに行ってくる!」
「アダマンさん!?」
「君が背中を押してくれたから、ありがとう。君が勇気をくれたんだ!」
ギュッと握られた右手から伝わる熱と想い。
ボードマンは涙を浮かべ握り返し、声を張り上げた。
「いってらっしゃい!」
その声に、他のボードマン達も歓喜を上げた。
皆の想いが今、繋がったんだ。
「いってきます!」
青年はまた駆けて行く。
その脚は軽く背には美しい翼があるよう。
「まだ行かないでくれ、オリビア。」
小指から伸びる糸の先を追い、その一点を見据えて。
「なんで、忘れていたんだ。」
わしは、僕はっ!
「オリビアと約束したじゃないか。」
永遠を誓ったあの素晴らしい日に。
「来世でも必ず君を迎えに行く。死後の世界があるなら、君を探し出し一緒に転生しよう。だから待っていてくれ。僕が必ず、君を見つけ出すから。そう言ったのは僕じゃないかっ!」
どうか間に合ってくれ。
息が切れ、何度も人とぶつかりながら走る彼の表情に諦めの色はない。小指の先から伸びる赤い糸はどんどん振動が強くなっていく。この角を曲がれば――、
焦るアダマンを待ち受けていたのは、一面に広がる花畑だった。美しく優雅に咲き乱れる、白いダリア。
「……アダマン?」
遠くの方から懐かしい声がした。
思わず涙を溢れてしまうほど優しくて、ずっと聴きたかった女性の声だ。
「オリビア!」
両手に抱えるダリアごと、出会った時と変わらず美しい娘を抱きしめた。
「すまない……」
自然と溢れる涙。
安堵と嬉しさと後悔と、色んな感情が一気に押し寄せてく。それでも彼女に伝えたい事だけははっきりと分かっていた。
「許してくれ。」
「見つけてくれてありがとう。愛しているわ。」
オリビアの穏やかな笑みに、アダマンの頬を大粒の涙が零れ落ちた。
「ねぇ、愛してるって言って?」
「愛してるよ。君を見た瞬間からずっと!」
二人は熱いキスを交わす。
吹く風はダリアを撫で、愛する二人を結んだ。
「私ね、天使の輪にお願いしたのよ。」
「どんなお願いだ?」
「ここに居られる最期まで貴方との思い出と、この姿を保てるようにしてくださいって。」
オリビアから優しい光が上がりゆっくりと包み始めた。
どうやら別れの時が近いらしい。まだなにも上手く伝えられていないのに、時間は待ってくれない。
「オリビア、どうしても聞きたい事があるんだ。」
「なに?」
「君が死ぬ前日、僕に何を言い掛けたんだ?」
その答えを聞きたかった。
あの日の答え合わせを。怒られる覚悟で歯を噛み締めるアダマンにオリビアは小さく笑った。
「死んでもまた私を迎えに来てくれますか? そう聴きたかったの。」
オリビアの脚が徐々に透明になっていくのを見て思わず願った。オリビエが消えるのなら、僕も一緒に連れて行ってくれ、と。
「君はずっと約束を覚えていてくれたんだな。それなのに僕は……」
「私達は多分、言葉が足りなかったのよ。」
アダマンは言葉を返す代わりにオリビアを抱きしめると不思議な事に、アダマンの脚もオリビアと同じ速度で透明になり始めた。
「ねぇ……」
「その先は僕から言わせてくれ。」
二人の腰が、身体が透明に変わる。
それでも心は穏やかで、どこか晴れ渡っていた。
「来世でも僕と結婚してくれる……?」
「ふふ。」
冬の冷たさなんて感じない。
心は雪解けの春に近い。
その時、思ったんだ。
――僕の心はようやく冬を越したんだ、って。
「笑ってるだけじゃ分からないよ。」
「貴方が見つけてくれるなら、何度だって結婚するわ。」
二人は額を合わせ笑い合った。
愛を誓う素晴らしい日の様に。
「幸運が訪れますように。これは天使の輪からの祝福です。」
二人の後ろにはいつの間にか白い天使、リユが立っていた。彼が片手を掲げると、ダリアの花弁がフラワーシャワーのように舞い上がった。
「僕達の願いを叶えに来てくれてありがとう。」
手を取り合う二人をリユは深く綺麗なお辞儀で送り出した。
「君のところにも祝福が訪れますように。」
その言葉を最後に、アダマンとオリビアは消えた。
「俺の罪が許されるのは、まだ先か……。」
リユは舞い踊るダリアの花弁を見つめて呟く。
そうして歩き出した。
彼はまた違う想いを結びに旅に出る。
これはそんな物語――。
天使が繋ぐ最期の約束 山田ねむり @nemuri-yamada
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