天使が繋ぐ最期の約束

山田ねむり

死後、妻は消えていた(前編)

 ――いつの頃からか。


 シワが増え、腰が曲がり、思う様に走れなくなって。それでも変わらないと思っていた。月日の移ろいは季節を変え、色を変え。忙しなく通り過ぎる風はやがて私達をも変えてしまった。


 ――いつの頃からだったのか。


 最愛は戦友に変わり、愛の巣は共同生活に変わった。それは仕方のない事で、当たり前で。皆もそうなんだと言い聞かせている内に、考える事すら止めてしまっていた。


 ――君の最期に見た顔と声が、忘れられないんだ。

 

 この想いを、許しを。

 もう一度だけ、君に伝えたい。

 


 夢を見ていた老夫は登る朝日に目を焼かれ瞳を開いた。

 ふと、周りを見ると自分の家であって知らない場所の様な不思議な違和感を覚える。それもそのはず。

 

 ここは死後の世界、クレードル。

 魂が輪廻転生するまでの休憩所。


 人の想いの数だけ国があり、季節があって、景色がある。そんな変わった場所。けれど死んだ人間は、やはり人間にしかなり得ない。住まう人々は生前と特に変わらない生活を送っていた。


 違いを挙げるなら、食事は娯楽になり、貯金をする必要がないから労働は小遣い稼ぎ程度、朝から晩まで働く者はいない。


 クレードルに長くいると、徐々に身体が若返る。そうして生前の未練や想いが無くなると自然と身体が消え、魂は輪廻の輪に還り、新たな生となって現世に誕生する。


 ここは、そんな変わった世界。

 

 クレードルの入り口にポンペリと呼ばれる街があった。

 死後の役所から最も近く、死者はポンペリから出ている夢鉄道に乗って好きな場所へと旅をする。

 入り口と言うだけあり、現世に一番近い街並みが再現されている為、住み着く死者が多く街はいつも活気に満ちていた。

 

 再現されているのは街並みだけではない。

 人々の生活や常識、職業さえも変わらない。

 街には電波塔が立ち並び、ランプライターという職が消えつつ、電灯が街の夜を照らす、そんな所まで。


 死んだことすら忘れてしまうぐらい現世と似たこの街の象徴となっているのが駅前の広場にある大きな掲示板だ。そこには先に死んだ者から死んで間もない者へのメッセージがぎっしりと書かれていた。

 

 目を向けると『愛しのジュリー 僕はポンペリの3番地川沿いにある赤い屋根に住んでいます。君との再会を心から願う。』なんて愛を捧ぐ文字が彼方此方に貼られていた。


 皆が誰かとの再会を願い、自身の居場所と最後の手紙を貼って行く。

 クレードルに郵便社という職がないのは住所不定の死者が多く、この掲示板がクレードル中あちこちに設置されたことで手紙の役割も果たしているからに違いない。

 

 今日もボードマンと呼ばれる掲示板管理者が太陽に似た光が雲から顔を出すと同時に新しいメッセージを掲示板へ貼っていく。


「オリビア・ブレンダーからのメッセージはあるか?」


 声の主は老人だった。

 杖を持ち、曲がる背中を支えながら辿々しい足取りでやって来た。どこか怒っている様に見えるのは歳と一緒に重ねたシワのせいだろう。白髪に白い髭を蓄え、しゃがれた声と共にボードマンを緑青色の瞳が睨む。


「アダマンさん、ですか。」


 はぁ、とため息を一つ吐くボードマンは手に持った大量のメッセージの山に一瞥する。そして残念そうに首を横に振った。


「残念ですが、アダマン・ブレンダーさん宛てのメッセージはありません。」

「……そうか。」


 声と表情から期待が消え、深い悲しみを感じる。

 挨拶も礼もしない無愛想な老人はボードマンにゆっくりと背を向けた。


 ――このやり取りは今日で何度目だろうか。


 アダマン・ブレンダーという男は少し前にクレードルへやって来たばかりの住人なのだが、ポンペリのボードマンの中ではちょっとした有名人であった。


 前世の詮索をしないのが暗黙の了解であるクレードルでポンペリに脚を踏み入れてすぐ、掲示板の前で大暴れしたのだ。


 『なぜ自分宛てのメッセージが一通もないのだ』と。


 何度もボードマンに詰め寄り、怒鳴り、捲し立てた。流石になぜそんなに暴れるのかと説明を求めると、彼は自身の妻の存在を語り始めた。


 田舎で育ったアダマンとその町に引っ越して来たオリビアはすぐに恋に落ちて、結婚した。平凡な毎日を二人で歳を重ね、オリビアが先に死んだ。


 老衰だった。

 アダマン自身、彼女の死を受け入れていたしすぐに自分もそちら側へ行く。一時の別れだと、そう思っていた。


 ――しかし、そうではなかった。


「オリビアさん宛てにメッセージを書かれてはいかがですか?」


 妻であったオリビアはアダマンに対して、メッセージを一通も残さなかったのだ。


「どこに出したらいいのかも分からない手紙をわしに書けというのか?」


 ボードマンが手分けしてクレードル中の掲示板を確認したが、オリビアの書いたメッセージはどこにもなかった。


「そうですが、毎日ここで待つより――」

「放っておいてくれ。」


 ボードマンが言い終わるより先に、アダマンは強い口調で言葉を制した。そして杖を持ち、立ち上がると辿々しい足取りでポンペリの町へと姿を消して行く。こんなやりとりがポンペリの朝の日常となっていた。


 花達の宴である春も、生命が活気づく夏も、実が熟す秋も。アダマンは変わらぬ姿で毎朝、掲示板の前に現れる。そして言う。


「オリビア・ブレンダーからメッセージはあるか?」と。


 無口で無愛想、ピクリと笑いもしないこの老夫をボードマン達は当初毛嫌いしていた。

 礼も挨拶もしない、声を掛けても「うるさい」の一言。これでは嫌われるのも当然だ。しかし、季節を重ねるに連れてそれは同情へと変わっていった。


 ――妻に捨てられた残念な老人だ、と。


 それでも妻からのメッセージは必ず来ると、健気に毎朝顔を見せるこの老夫に心を寄せずにはいられなかった。いつの頃からか、ボードマンは毎朝届くメッセージの中にアダマン宛てがある事を祈るようになっていた。


 ――しかし、祈りは届かない。

 

 オリビア・ブレンダーという女性は既にクレードルにはおらず、現世に転生してしまったのかもしれない。


 ――ではこの悲しい老人の願いはどうなる?


 白銀で覆われたポンペリの朝、ボードマンは首を横に振り、アダマンは背を向けた。いつもと同じ様に杖を持ち、ゆっくりと踵を返して歩き出す。


 変わらない日常。毎日の光景だ。

 放っておけばいい。だけど……


「あの、差し出がましいのは分かっています。でもこのままじゃ駄目だ。アダマンさんも分かっているのでしょ?」


 一人のボードマンが叫び声に近い想いを吐露した。どうか変わってくれ、そんな気持ちを込めて。

 当の本人は一瞬だけ脚を止め、また何事もなかった様に歩き出してしまった。

 

 哀愁漂う背中は徐々に遠くなる。

 握りしめる拳に力を入れたボードマンが更に叫んだ。


「〝天使の輪〟に頼みませんか?」


 今まで何を言っても聞く耳を持たなかった男が脚を止めたのは好奇心なのか、それとも縋るような想いからだったのか。


「天使の輪?」


 それは一つの職業を指す言葉。

 生前で耳にする事はまず無いだろう。けれど死後の世界ではよく知られている職業の一つ。彼らはネイビーブルーの制服に身を包み、颯爽と何処からともなく現れる。そうして言うんだ。


 『貴方の最期の願いを叶えます』と。


 一人では叶えられない最期の願いを一緒に叶えてくれる。そんな優しい者達はいつしか〝天使の輪〟と呼ばれるようになったらしい。


「これが申請書です。オリビアさんを想うなら彼らの力を借りるのが一番です。ぜひ、検討して下さい。」


 ボードマンは希望を込めた強い瞳でアダマンを射抜くと、用紙を受け取ったアダマンは静かに帰っていった。

 

 一晩明けて、アダマンは変わらず現れた。そんな彼にボードマンは首を横に振る。いつもならこれで会話は終わり。そして背を向けて歩いていくのだが、今日は違っていた。

 

「これを頼む。」


 小さく折り畳まれた用紙をボードマンに手渡したのだ。


「もちろんですとも。」


 返ってきた申請書にボードマン一同がガッツポーズをしたのはアダマンには内緒だ。それから数日後、夢鉄道からポンペリに降り立った一人の青年がいた。服はネイビーブルーで統一されている。

 

 差し色の白で描かれた独特の模様のお陰で少し柔らかい雰囲気に纏まってるが、周囲がこの青年に対して近寄りがたく感じているのはその容姿のせい。


 濃い色の制服のせいで際立つ白い肌。

 長いまつ毛の奥に大きく輝く深緑の瞳。

 白銀の長い髪は一つに束ねて。

 右眼の下のホクロがなんとも色っぽい。


 大人へ成長途中の青年は、あどけなさと色気が混じり合い儚さまでも感じられた。その容姿は他を惹きつけてやまない。しかし、美しいものは時に凛とした冷たさを醸し出すもので、彼もまたどこか近寄り難いオーラを身に纏っていた。


 人々が青年を二度見したり凝視するが当の本人は全く気にしていない。大きな旅行鞄を一つ持った青年は近くにいた駅員の前で脚を止めた。


「この住所に行きたいのですが、」

「それなら駅前の広場に大きな掲示板を背に真っ直ぐだよ。」


 青年は駅員に綺麗なお辞儀をするとその場を後にした。

 

 さまざまな色の屋根が立ち並ぶポンペリの町。

 電波塔を中心に住居や店が点在する都心部から更に歩いて橋を渡った先、郊外にポツンと立つ家があった。

 

 コテージと呼んだ方がしっくりくるその家は、降り注ぐ雪が音を奪ってしまったかと思うほどに静か。人の気配がしない家こそ、青年が手にしている住所で間違いない様だった。


 ――コンコン。

 

 扉を叩くも応答はない。

 青年は首を傾げ立ち尽くす。

 そしてしばらく待ってまた扉を叩いた。


「うるさい。誰だ?」


 やっと開かれた扉から出て来た家主は、あからさまに嫌な顔をした老夫だった。ギロリと睨み青年を捕らえたが一瞬にしてたじろいだ。


 青年はコートをひるがし、老人の視界から消えたからだ。正確に言えば、雪が積もるコテージの玄関先に片膝をついて頭を垂れたのだ。その光景は忠誠を誓う騎士が如く。


「貴方様の最期の願いを叶える天使の輪、リユ・クロッカスと申します。」

 

 天使はゆっくりと立ち上がり、微笑んだ。

 魅入られるとはまさにこの事を言うのだろう。


「貴方様の最期の願いはなんですか?」

 

 

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