第2話 月曜日のメデューサ【出口】

「……会社に行けって、正気です?」


 私はフレンチトーストが刺さったフォークを宙に浮かせたまま固まった。

 せっかく胃袋が溶けて温まったのに、また心臓が凍りつきそうだ。


 魔女は細い煙管きせるをふかしながら(どうやら単なるバニラの香りだ)、カウンターに紙袋をドン、と置いた。


「勘違いするんじゃないよ。丸腰で行けとは言ってない。敵はメデューサだろう? これ、持っていきな」


「……えっ、鏡? そんな、漫画じゃあるまいし。氷室さん、ご自分の怒り狂った顔を直視でき――」


「秘密だよ。さて、ここで、アンタに問題だ。アタシも魂を削る以上、アンタの魂も見たいからねぇ」


 魔女が意地悪そうに目を細め、紫煙バニラを吐き出した。


「メデューサは、なぜ部下を石にするほどにらみつけると思う?」


「それは……私がミスをするから、怒ってて……」


 魔女が突然、腹を抱えて笑った。笑い過ぎて引き笑いになっている。


「ちょっと! 失礼じゃないですか」


「大不正解。人間ってのはねぇ、怒るのにも体力が要るんだ。毎週月曜の朝から、そんな無駄なエネルギーを使う馬鹿はいない」


 魔女が勝手に、私のフレンチトーストの切れ端を奪って食べた。


「ましてや、メデューサは髪の毛が全部『蛇』だろ? 蛇は変温動物、つまり省エネの権化ごんげさ。石化の魔眼を持ってるのに、わざわざ大声を張り上げて威嚇いかくするなんて、そんな非効率なこと本物がするわけないだろう」


 魔女は私のフォークから奪ったトーストを、ペロリと平らげた。


「いいかい? 偽物のメデューサが吠えるのは、獲物を狩る時じゃない。『巣』を守る時だ」


「巣……?」


「会社に行けば分かる。アンタは石になる前に、2つのことだけ観察しな。『彼女が吠え始めたタイミング』と、『その視線の先』だ。そこに本当の敵がいる」


 ***


 午前九時半。


 カフェに寄って遅刻。一応、言い訳の電話はいれたけれど、我ながら、あり得ない。


 いつも以上の罵倒は覚悟しなくちゃ。


 私は、死刑台に向かう囚人の気分で、オフィスのドアを開けた。


 瞬間、フロアの空気が凍りついているのが分かった。


「――遅いッ!!」


 雷が落ちた。


 デスクの奥で、氷室課長が仁王立ちしている。


 そりゃそうだ。


「体調不良で遅れると連絡は受けたけど……今の時期、どれだけ忙しいか分かってるの!?」


 周囲の社員たちが、一斉に私を見て、そしてすぐに目を逸らす。誰も助けてくれない。いつもの光景だ。


 いつもなら、ここで私は「すみません」と縮こまり、石になる。

 でも、今は胃の中に魔女の料理がある。不思議と、足が震えなかった。


 私は魔女の言葉を反芻はんすうする。


(観察しろ。タイミングと、視線の先)


 私は勇気を振り絞り、般若のような課長の顔を直視した。

 怒りに歪んだ眉間。充血した白目。


 ――その視線は、私を見ていなかった。

 私の背後をチラチラ見ながら、わざとフロアに響くような大声を出している。


(……なんで、後ろ?)


 私は、恐る恐る振り返った。

 そこには、腕を組んで不機嫌そうに立つ、営業部長の姿があった。

 パワハラ気質で有名な、『本当の捕食者』。彼が私のミスを咎とがめようと、口を開きかけた瞬間だった。


「部長!!」


 課長が、さらに大きな声で遮さえぎった。


「この件は、私の指導不足です! 彼女には私からきつく言っておきますので! 戻りなさい、席へ!」


 部長は鼻白らんだように舌打ちをし、「……チッ。管理だけは徹底しろよ」と捨て台詞を吐いて去っていった。


 その背中が見えなくなった瞬間。


「……ふぅ」


 課長の身体から、急速に力が抜けていくのが見えた。常に怒り肩だった肩が落ち、強張っていた表情筋が緩む。


(あぁ……そうか)


 魔女のクイズの答え。


 メデューサが石化の魔眼を使わず、大声で吠えていた理由。


 それは、外敵から部下を守るための『威嚇』だったのだ。私が部長に喰われないように、自分が先に噛みつくフリをして。


「……課長」


 私は震える声を抑え、一歩踏み出した。


「喉、痛くないですか?」


「はぁ……?」


 課長が驚いたように私を見た。


「あなた、何を――」


「これ、薬です。……私たちを守るために、叫んでくれたんですよね」


 私は魔女から託された紙袋を差し出した。

 中に入っていたのは、温かい『柚子茶』と、懐かしいコンビニの『たまごサンド』だった。


 課長は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたが、やがて観念したように苦笑した。


「……バレた?」


 その笑顔は、驚くほど人間らしく、そしてどこか寂しげだった

「私もね、昔はあなたみたいだったの。オドオドして、ミスばかりで……。だから見ていて腹が立ったのかもね。昔の、弱かった自分を見ているようで」


 課長はたまごサンドを手に取り、ポツリと漏らす。


「あなたには、私みたいに強がりな可愛げのない女になってほしくなくて……焦ってたのかも」


 それは、鉄の女が見せた、初めての弱音だった。

 メデューサの正体は、不器用で、誰より部下思いな、ただの人間だったのだ。


   ***


 午後。

 

すっかり毒気が抜けた課長のおかげで、オフィスには平和な空気が流れていた。

 給湯室に向かおうと、廊下に出た時だ。

 エレベーターホールに、清掃業者のカートを押す背中が見えた。


 作業着姿の小柄な老婆。

 そのカートの横に、見覚えのある『キモ可愛い魔女のぬいぐるみ』がぶら下がっていた。


 私がハッとして声を上げようとした瞬間――女性が振り返り、ニヤリと唇を吊り上げた気がした。


『お代は要らないよ。その代わりに、次はアンタが、誰かを救う番だ』


 脳内に、魔女の声が蘇る。


 顔を上げると、作業着の老婆はすでに消えていた。


 私はポケットの中の『鍵』を強く握りしめた。


 やるべきことは、もう分かっていた――。

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【魔女Cafe】は完全招待制。人生に絶望したら、お越しください。〜代金不要。次はあなたが救う番〜 冬海 凛 @toshiharu_toukairin

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