【魔女Cafe】は完全招待制。人生に絶望したら、お越しください。〜代金不要。次はあなたが救う番〜

冬海 凛

第1話 月曜日のメデューサ【入口】

 月曜、朝8時。


「はぁ、仕事いきたくない……」


 今週もまた、地獄の蓋が開いた。


 通勤電車という名の鉄の棺桶かんおけに乗り込み、私は呼吸困難に陥りかけていた。


 吊革にしがみつきながら、頭の中ではこれから向かうオフィスの光景が再生されている。


 無機質なフロア。

 鳴り止まない電話。

 何より――フロアの奥から響く、あのヒールの音。


『はぁ? またミス? あなた、給料泥棒なの? というより、会社に損害出てるから強盗じゃん、強盗!』


 営業二課長、氷室玲子れいこ


 社内では誰も、名前なんて呼ばない。影でついたあだ名は『メデューサ』。特に、月曜の朝は、目が合えば確実に石にされる。


 彼女に見据えられただけで、部下は恐怖で石のように萎縮し、動けなくなるからだ。


 私もその一人。


 胃が痛い。

 吐き気がする。

 行きたくない。


 ガタンッ、と電車が揺れ、背後のサラリーマンに突き飛ばされた。


「あっ……」


 床に鞄が落ちる。慌てて拾い上げた拍子に、私の指先は何やら硬く冷たい異物に触れた。

 アンティーク調の、古びた真鍮しんちゅうの鍵だった。


 誰かの落とし物だろうか。けれど、周囲を見渡す余裕などない。とりあえず、ポケットに入れた。


 ドアが開く。私は波にさらわれるようにして、駅のホームへと吐き出された。


 会社に行くには、南口。けれど、私の足は、意志に反して北口の寂れた路地裏へ。


(だめ、戻らなきゃ。遅刻する)

(でも、怖い。あそこに行きたくない)


 思考と本能が乖離かいりし、足がもつれる。


「あっ……出ちゃった、北口に。でもって、駅員さんに落とし物、渡し忘れたじゃん」

 

 次は忘れないようにと、革紐付きの鍵を首にぶら下げ、ビルの隙間の陽も差さないような細い道にふらりと迷い込んだ。


 そこで私は、足を止めた。


 不思議なカフェだ。


 木製の壁を埋め尽くすほどのアイビーと、鮮やかな紫色のクレマチスの花。

 緑の洞窟のようなその場所に、小さな看板が下がっている。


『魔女Café ~Open~』


 ふざけた店名だと思った。でも、緑の香りに惹かれて、私はドアノブに手を掛けた。


 ――開かない。


 看板には『OPEN』とあるのに、鍵がかかっている。


 やっぱり今日はついてない。諦めて立ち去ろうとした時、胸元のアンティークの鍵に目がいった。


「まさか、ね……」


 震える手で鍵穴に差し込む。カチリ、と小気味良い音がして、重厚な扉が音もなく開いた。


 カラン、コロン。

 乾いたベルの音が響く。


「……すみません。鍵、拾いました。勝手に、開けといてなんなんですけど」


 店内は薄暗く、ランタンがぼんやりと灯っていた。


 客は誰もいない。

 奥に人の気配はなく、代わりにカウンター上に、キモ可愛い魔女のぬいぐるみが、ちょこんと座っていた。


 その横に、手書きのメニュー表が置かれている。


『本日のモーニング:アタシ好みのフード&ドリンク』


 勝手すぎる。


『注文方法:アンタの絶望を一つ、吐き出すこと』


 何これ、と乾いた笑いが漏れた。


 けれど、店内に漂う甘いバターの香りが、こわばった私の神経を少しだけ緩ませる。私はぬいぐるみの前の席に座り込んだ。


「……聞いてくれるの?」


 ぬいぐるみの、つぎはぎだらけの顔を見つめる。もちろん、返事はない。


 だからこそ、私は口を開いた。誰にも言えなかった弱音を。


「……怖いの。上司が」


 一度、口にすると、もう止まらなかった。


「彼女と目が合うと、身体が石みたいに固まるの。毎日怒られて、謝って……私が無能だからだって分かってるけど、もう限界でさ」


 涙がテーブルに落ちる。


「会社、行きたくないよぉ……」


 その時だった。

 コトッ、と目の前にマグカップが置かれたのは。


「――随分と溜め込んだもんだねぇ。石になるまで」


 ハッ、として顔を上げる。

 いつの間にかカウンターの中には、一人の女性が立っていた。


 着崩した着物に、モダンなエプロン。

 年齢不詳の美貌と、全てを見透かすような切れ長の瞳。


 まるで、本物の魔女だ。


 彼女は白い湯気の立つマグカップと、黄金色に焼かれた厚切りのフレンチトーストを差し出した。


「食べな。自家製レモネードと、特製クランベリー・フレンチトーストだ。冷えと緊張でガチガチになったアンタの胃袋を、まずは溶かすんだよ」


「あ……ありがとう、ございます」


 一口食べると、じゅわっと甘い卵液が口いっぱいに広がった。それから、追いかけるような上品な酸味。


 美味しい。あまりの優しさに、また涙が溢れる。


「私……もう、会社辞めます。こんなに辛いなら、逃げてもいいですよね?」


 同意を求めた私に、魔女が少し唇を吊り上げた。


「辞めるのは勝手だよ。ただし、それを食ったら、今すぐ会社に行きな」


「……え?」


 耳を疑った。慰めてくれるんじゃないの?

 呆然とする私に、魔女が低い声で告げる。


「勘違いするんじゃない。アタシが魂を削って、アンタを確実に救ってやる。だから、安心しな。お代は、要らない」

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