第8話 第五層の主

 第五層に、妙な静けさが広がり始めていた。


 魔物の気配が、薄い。

 完全に消えたわけではないが、一定の範囲だけが不自然に空いている。


「……いるな」


 ジャンは、拠点を離れながら呟いた。

 魔素の流れが、一点に集まっている。


 これまでの調査で、彼は感覚的に理解していた。

 この層には、支配者がいる。


     ◆


 その空間は、広かった。

 天井は高く、岩肌には淡く光る結晶が埋め込まれている。


 中央に、巨大な影。


 それは魔物だった。

 鎧のような外殻、四肢は太く、動くたびに地面が震える。


「……第五層の主」


 言葉にした瞬間、魔物がこちらを向いた。


 圧。

 これまでとは、明らかに違う。


 だが――。


 ジャンの身体は、震えなかった。


 魔素が濃い。

 息を吸うたび、力が満ちていく。


「行ける……いや、行く」


 逃げる選択肢は、最初からなかった。


     ◆


 初撃。

 魔物の突進は、速く重い。


 ジャンは横に跳び、衝撃波をかわす。

 地面が抉れ、岩が砕ける。


「……直撃したら、終わりだな」


 冷静に判断し、距離を詰める。


 魔物の動きは大きい。

 隙は、ある。


 一撃。

 外殻に刃が弾かれる。


「……硬い」


 だが、想定内だった。


 何度も斬り、観察する。

 動きの癖、力の流れ。


「……ここだ」


 関節部。

 魔素の流れが、わずかに乱れている。


 踏み込み、全力で刃を突き立てた。


 鈍い音。

 だが、確かな手応え。


 魔物が吠え、暴れる。


 ジャンは退かない。

 身体は軽く、判断は冴えている。


 数度の攻防の末、

 巨体はゆっくりと崩れ落ちた。


     ◆


 静寂。


 魔物の身体は、霧のように消えていく。

 残ったのは、濃密な魔素の流れだけだった。


「……終わった」


 息を整え、周囲を確認する。

 負傷は、ない。


 だが――。


「……戻らないと」


 このまま留まれば、地上に帰れなくなる。

 ガドルの忠告が、頭をよぎった。


     ◆


 帰還は、困難だった。


 一歩進むごとに、身体が重くなる。

 魔素が薄れるのが、はっきりとわかる。


「……まだ、倒れない」


 自分に言い聞かせ、歩き続ける。


 地上に出た瞬間、視界が揺れた。


     ◆


「ジャン!」


 ポーリンの声で、意識が戻った。


 ギルドの医務室。

 身体は、鉛のように重い。


「……第五層の主を、討伐しました」


 声は小さかったが、はっきりしていた。


 部屋が、静まり返る。


     ◆


 数日後。

 臨時のギルド会議が開かれた。


「第五層の安定化を確認」


「主の討伐、単独」


 報告が読み上げられるたび、空気が変わっていく。


 ガドルは最後に、こう告げた。


「ジャンを、Aランク昇格候補とする」


 ざわめき。

 だが、反対は出なかった。


「条件は一つ」


 ガドルの視線が、ジャンに向く。


「第六層での成果だ」


     ◆


 夜。

 ジャンは宿の窓から、ダンジョンを見ていた。


 遠い。

 だが、確かに繋がっている。


 地上では弱い。

 だが、地下では――。


「……ここまで来たんだな」


 Aランク。

 かつては、想像もしなかった場所。


 ジャンは、静かに拳を握った。


 次は、第六層。

 魔素は、さらに濃い。


 そこが、

 本当の試練になる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る