第7話 深層に棲む者

 ギルドの空気が、明らかに変わっていた。


 ジャンがカウンターに立つと、視線が集まる。

 好奇でも疑念でもない。

 評価だ。


「おはようございます、ジャンさん」


 ポーリンの声も、どこか誇らしげだった。


「本日ですが……ギルドマスターから直接、お話があります」


「……はい」


 心当たりは、あった。


     ◆


「Dランクに昇格させる」


 ガドルの言葉は、簡潔だった。


「え……?」


 思わず声が漏れる。


「昇格条件は満たしている。実績も十分だ」


 机の上には、ジャンの報告書が積まれている。

 どれも、深層関連のものばかりだ。


「だが――」


 ガドルは一拍置いた。


「地上任務は、今後も免除だ」


 その意味は、はっきりしていた。


「お前は“深層専属”だ」


 ジャンは、ゆっくりと息を吐いた。


「……それで、構いません」


 迷いはなかった。


     ◆


 Dランク冒険者として最初の依頼は、異例の内容だった。


 『第五層・長期調査』


 数日間、地上に戻らず、ダンジョン内で活動する。

 補給は事前に用意され、緊急時のみ撤退。


「……住む、みたいですね」


「実際、そうなる」


 ガドルは淡々と答える。


「魔素が安定している場所を拠点にする。お前にとっては、その方がいい」


 ジャンは頷いた。


     ◆


 第五層。

 そこは、これまでとは別世界だった。


 空気は重く、視界は淡く揺らぐ。

 魔素が、霧のように漂っている。


 だが――。


「……落ち着く」


 ジャンの身体は、完全に馴染んでいた。


 呼吸は自然。

 力の流れが、はっきりとわかる。


 簡易拠点を設営し、調査を始める。

 魔物の行動範囲、魔素の流れ、地形。


 時間が経つほど、集中力は増していった。


「……ここなら」


 彼は気づいていた。

 地上より、地下。

 浅層より、深層。


 ここが、自分の居場所だ。


     ◆


 三日目。

 想定外の事態が起きた。


 別班の冒険者が、第五層で足止めを食っていた。

 救援要請。


 ジャンは迷わず動いた。


「位置は……この先か」


 魔素の流れを頼りに、最短距離を選ぶ。


 遭遇した魔物は、すべて排除。

 動きに無駄はない。


 辿り着いた先で、疲弊した冒険者たちが目を見開いた。


「……一人、だと?」


「ギルドから来ました。動ける人から、出口へ」


 声は落ち着いていた。


 指示は的確。

 撤退は、成功した。


     ◆


 帰還後、報告は即座に上がった。


「第五層での救援、成功」


「しかも単独……」


 もはや、否定の声は少ない。


 ガドルは会議の場で言い切った。


「ジャンは、深層対応の専門冒険者だ」


 異論は、出なかった。


     ◆


 夜。

 第五層の拠点で、ジャンは一人、壁にもたれて座っていた。


 静かだ。

 地上の喧騒は、ここには届かない。


 弱い場所もある。

 できないこともある。


 それでも――。


「……必要とされてる」


 その事実が、胸を温めた。


 深層に棲む者。

 地上では最弱。

 だが、この場所では――。


 ジャンは目を閉じ、次の依頼に思いを巡らせた。


 さらに深く。

 さらに濃い場所へ。


 この世界の“底”が、

 彼を待っている。

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