第3話

「宗貞お兄様が帰ってきたのですか!?」


 思わず立ち上がりかけ、喜色を露わにする少女が居た。


 夜の闇よりも濃く深い黒髪に、燃えるような赤い瞳。


 彼女は蘇芳すおう菖蒲あやめ。蘇芳一族の宗家の血を引く者であり、次期当主。


 そこに居るだけで彼女の苛烈とも言える清浄な気が澱んだ気を消し飛ばす。残滓さえも残すことを許さない。


 彼女の正面に座る現当主の男からも、蘇芳一族の未来を担う次世代として期待されている。


「落ち着け、菖蒲よ。あの子はもう我々の同胞ではない」

「そんなことはありません! 私にとってお兄様は誰よりも大切でかけがえのないお方です!」


 菖蒲は思わず反論した。目の前にいる男が当主であろうとも、聞き逃せなかった。


 彼女にとって宗貞は敬愛する実の兄であり、誰よりも信頼できる相手。如何に無能者と罵られていようとも、彼との間に育まれた絆は決して切れるものではないと今も大切に抱えている。


 菖蒲にとって、未だ健在な両親よりも遥かに大事な存在。当主の男は地雷に触れてしまった自らの迂闊さに内心舌打ちしつつ、諭すような口調で菖蒲へ声をかけた。


「菖蒲の気持ちは分かっておる……だが、皆がそうとは限らん」


 そう言い、肩を竦める。彼としては複雑な心境だった。当主という立場でなければ、菖蒲と同じように喜べただろう。


 しかし、当主である以上、一方に肩入れするわけにはいかない。蘇芳一族という名家に生まれながら、何の力も持たなかった少年。


 それは落ちこぼれの証左であり、誰もが彼を無能者と罵った。一番否定的だったのは宗貞の両親。


 哀れだった。それでも当主の男には成す術もなかった。遠くで見守り、いざという時に駆けつける。それくらいのことしか出来なかった。


 冷静に、正当な判断を下す。それが当主に求められるものだ。いくら哀れだからといって手を差し伸べてはならない。


 それが力こそ全ての家に生まれた者の宿命だ。


「まずはあの子との接触を試みる」

「では、私が────」

「ならん。選出はこちらでする……あまり我儘を言わないでくれ、菖蒲」


 懇願するような眼差しを受け、菖蒲は言葉に詰まる。


 彼女もまた次期当主に選ばれた人間。私情で動く者が、一族の未来を担えるわけがない。


 菖蒲は宗貞の元へ今にも馳せ参じたい衝動に駆られながらも、ぐっと堪える。


「……承知しました」

「すまないな、菖蒲」

「いえ、私も己を見失っていたようです。少し頭を冷やして参ります」


 一礼し、部屋を後にする。菖蒲が消えた後、部屋の中は静まり返る。


「…………生きていてくれて本当に良かったぞ、宗貞」


 当主の男は実の両親が向けなかった親愛を、言葉に乗せてそう呟くのだった。

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