第2話 穴

あの日、大学のラウンジでAが「盆休み、数年ぶりに実家に帰る」と言い出したとき、俺はそれが一生の後悔になるなんて微塵も思っていなかった。


「いいじゃん、Aの地元ってたしか超山奥だろ? 星とか綺麗そうだし、バーベキューセット積んでいこうぜ!」


そう言ってAの肩を叩いたのは、グループのムードメーカーで自他共に認めるチャラ男のBだった。

金髪に近い茶髪をいじりながら、『ついでに村の可愛い子とか紹介してよ』といつもの調子で笑う。


Aは少し困ったように苦笑しながら


「マジで何もないぞ。ネットも繋がんねーし……あんまり面白くないと思う」


と、片耳を塞ぐように頬杖をついた。小さい頃からの癖だという。

しかし、そんなAの言葉とは裏腹に、Cが眼鏡を押し上げながら言った。


「古い集落特有の民話とか祭りには興味があるな。

 何か面白そうなものないのか?」


きっとCの発言は知的好奇心からくる、本当に何気ない一言だったのだろう。

しかし、小さくAの肩が跳ねたことを、俺は見逃さなかった。


「……デカい鐘がある。たぶん、俺の村だけのやつ」

「鐘?どんな」

「黒くてデカい鐘。装飾も凝ってるし、結構な年代物だとおもうよ」

「黒い鐘か…確かにあんま見たことないかも。迷惑じゃなければ僕らも便乗させてくれないか?

ガソリン代と食費は持つからさ」


その後、なぜか歯切れの悪い態度のAを何とか説き伏せ、中古の軽自動車に遊び道具と胸いっぱいの期待、そしてちょっとの下心をぎゅうぎゅうに詰め込んで出発した。

カーステレオからはBが選曲したEDMが爆音で流れて、窓から入る風は熱を帯びている。

一抹の不安はあったけれど、俺たちの心はどこまでも軽かった。


―――――――――――――――――――――――


朝一番で出発したにも関わらず、到着したときにはもう日が沈みかけていた。

途中ほとんど獣道といっていいほど木の枝と砂利に覆われた道を走っていたせいで、腰と背中が死ぬほど痛い。


「やっとついたー!」



意気揚々と車を降り、村の入り口らしき門を背景に大きく伸びをするB。

その後ろで、車酔い寸前の俺と、運転で疲れ切ったCがふらふらと降りた。


「B、お前よくあんな砂利道走ってんのに眠れるな」

「のうのうといびきで寝てるから、ほんとに殺意沸いたわ。」


地の底を這うような俺たちの声音に、Aは苦笑しながら助手席を降りる。


「とりあえずじいちゃんちいこう。今はもうだれも住んでないけど、1泊だけなら大丈夫」


Aの言葉に、俺たちは大量の荷物を抱えて村の敷居をまたいだ。


―――――――――――――――――――――――


「……なぁ、ここ、セミの声聞こえなくないか?」


しばらく歩いているとCがこっそり耳打ちしてきた。確かに、盛夏の盛りだというのに、耳をすませても鳥の声も虫の羽音もしない。ただ、村の中央に鎮座する、高さ10メートルはあろうかという巨大な黒漆塗りの鐘楼が、風もないのにギィ…ギィ…と、軋む音がいやに耳に響く。


「あの鐘か!でっけー!」

「確かに黒い…けど、なんかおかしくね? 血が固まったみたいな色…」

「夕日のせいだろ」


テンションマックスではしゃいでいるBはスマホで写真を撮ろうとしたが、

「あれ、電波死んでるわ。マジかよ」と舌打ちした。

Aはそんな俺らを見ようともせず、ただ足早に実家へ向かった。


道中、和服を着た片目の潰れたじいさんが道端に立っていた。そいつは僕らの顔ををじぃっと見つめ、

ボソリと呟く。


「穴が開きすぎとる。……そんなに開けとると、すぐ埋められるぞ」


俺たちは面食らって、互いの顔を見比べた。

穴ってなんだ?しかも開きすぎてるって…


「……なんだよ」


自然と全員の視線がBに集まる。

言っていなかったが、当時のBはピアスマニアで、耳以外にも口や鼻、眉に至るまでピアスが開いていた。


「いや…該当するの、俺たちの中だとお前だけだよなって」

「俺も確かに思ったけど!」

「どうするよ、村出るころにその穴全部埋められたら」

「やだ怖い!」


そうやってふざけあう二人を見て笑っていたが、ふと気になって先に行ったAのほうを見ると、

Aは無表情で俺たちを見つめながら、一心不乱に耳を搔いていた。

…いや、正確には違う

Aは耳の中に指を入れて、ぐりぐりとほじっていた。

まるで、耳の穴を広げるように


「……A?」


あまりの異様さに声をかけると、Aはハッとしたように俺たちを見て笑う


「お前らほんと仲いいよなぁ。ほんと…」


それはあまりにもいつも通り過ぎる笑い方だった。

苦笑気味の低い笑い声

でも、夕日の逆光のせいでAの顔がちゃんと見えないことが、俺にはひどく恐ろしく思えた。


―――――――――――――――――――――――


その日の夜、僕らはAの家の広い縁側で簡単な飯を食べ、花火をした。

Aの実家は想像以上に古く、家中にカビと土が混ざったような匂いが立ち込めていたが、ビールを飲んでしまえば気にならなかった。


「いやー、不便だけど、たまにはこういうのもアリだな!」


Bが、消えそうな火花を見つめながら少し酔った口調で言う。


「卒業しても、またこうして集まろうぜ。次は海とか」

「……ああ。……そうだな」


Aの返事は重く、どこか遠い場所から聞こえてくるようだった。


ふいに、周りの音が一斉に止んだ


……ゴ、ォォォォォン……


その音は、耳で聞く音じゃなかった。心臓の裏側を、冷たい指で直接なぞられたような感覚。

あまりに聞きなれない音すぎて、村にあったあの黒い鐘が鳴ったのだと、一瞬気づかないほどだった。


「あの鐘、こんな夜遅くにも鳴るんだな、時報的な役割もあるのか?」


Cがのんきにそんなことを言う。しかし、その表情は恐怖に口元が引きつっており、額には脂汗が浮かんでした。

Cも本当はわかっていたはずだ、あれが時報なんかじゃない、得体のしれない何かだということが


ふいに、Bがハッとして顔を上げた


「……母さん? ……うん、今行く、今行くよ」


そういうと手に持っていた花火をその場に残し、ふらふらとした足取りで歩きだす


「B? どうした」


俺が呼びかけるが、Bは俺のほうを見ようともしない。

それどころかその目は濁り、焦点が合っていない


「○○B男…○○B男…」


Bはなぜか壊れたテープレコーダーみたいに自分の名前を繰り返しながら、今度は何かに引っ張られるように、闇の中へ駆け出していく。


「待てよ、B!」 俺とCはパニックになって後を追う。

Aは……Aは涙を流しながら満面の笑みを浮かべ、ただただ立ち尽くしていた。


―――――――――――――――――――――――


錯乱したBを追いかけたどり着いたのは、村外れの断崖だった。

そこには、昼間の片目のじいさんと、なぜか痩せこけた神主風の格好をした男が、松明の火に照らされて立っている


「B! 何やってんだ、戻れ!」


Cの叫びも届かない。

Bは恍惚とした表情で、崖下へと自ら吸い込まれるように身を投げた。


「B!」


俺たちは弾かれたように断崖へと駆け寄り、Bを探そうと下を覗き込んだ。しかし、そこにあったのはこの世のものとは思えないほど悍ましい風景だった。

穴の底には、地肉が剥き出しになったような、赤黒い粘膜が脈打っていた。

そこから、無数の細い肉の管が、蠢きながらBの身体に突き刺さしている。


「あ……が……あ……」


Bの耳の穴が、鼻の穴が、そして目蓋の隙間が、内側から盛り上がってきた滑らかな皮膚で、みるみるうちに塞がれていく。

俺はあまりに冒涜的で現実離れしたその様相に、無様にへたりこむことしかできなかった。


「な、なんだよこれ、何してんだよ!」


Cがじいさんに掴みかかろうとしたが、神主風の男に羽交い締めにされる。


「山はな、腹を空かせとるんじゃ。人間の余計な『穴』を全部吸い取って、

代わりに山の一部として再構築してやるんじゃよ」


五感をすべて吸い尽くされ、目も鼻も口もなくなったBは、もはや人間としての形を留めていなかった。

それは、麻縄で固く縛り上げられ、一本の「肉の柱」に作り変えられていた。

いつの間に集まったのか、村の男たちが、無言でその「Bだったもの」を抱え、村へと引き換えしていく。

笑う膝を奮い立てて村に戻ると、彼らはそれを、あの大鐘を叩くための棒――撞木(しゅもく)として吊るしている最中だった。


二回目の鐘が鳴る。


ゴンッ。


麻縄で固く縛られ、黒漆の鐘に叩きつけられたのは、さっきまで馬鹿みたいに笑っていたBの肉体だ。

鐘が打たれるたび、金属音ではなく、肉が潰れ、骨が砕ける音が響く。 そして、塞がれた皮膚の内側で反響したBの絶叫が耳の中にへばりつく


あまりの光景に信じられなくて、ぼうっとその光景を見ていると、ふいに足元に何か転がってきた

それは、Bのピアスの一部だった。


「……あ、あ、あああああ!」


Cが自分の耳を両手で押さえて叫んだ。


「聞こえる、Bが中で鳴ってる! ……待て、僕の耳、僕の耳が!!」


見ると、Cの耳の穴も、すでに半分以上が滑らかな肉の膜で埋まっていた。

Cはパニックになり、自分のこめかみを狂ったように殴りながら、山の深淵へと走り去っていった。


―――――――――――――――――――――――


それから、俺はどうやって村を逃げ出したのか、断片的にしか覚えていない。

ただ、Aの家の玄関で、自分の顔の穴がすべて塞がり、のっぺらぼうのような顔で「お疲れ様」と

手を振っていたAの姿が、あの村での最後の記憶だった。


大学に戻ってからも、地獄は終わらなかった。

イヤホンを最大音量にしても、外の世界の音はどんどん遠くなる。 毎朝鏡を見るたび、自分の耳の穴が、昨日より数ミリ狭まっているのがわかる。


これで俺の後悔の話は終わり。

あの時、Bを羽交い絞めにしてでも止めていれば、いや、そもそもあの村に行かなければ、

俺は、俺たちはまだ助かったのかもしれない。


一週間前、行方不明だったCから、一通の動画が届いた。 動画には、何も映っていない。ただ真っ暗な画面の中で、「ゴンッ……ゴンッ……」という、肉を叩く音と、何かが滴るような「ピチャリ」という音だけが延々と記録されていた。


今、俺の鼻の穴はもう完全に塞がっている。 鏡の中の俺は、鼻があった場所がただの平らな皮膚になっている。 次は口。 俺が完全に「穴のない人形」になったとき、山が俺を迎えに来る。

あの日、俺たちの青春を奪った鐘を、今度は俺の肉で鳴らすために。


さっき、ポストに麻縄の切れ端が届いていた。


俺の番が、来たんだ。

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不可視のログ:現代怪異の観測記録 高梁澪輝(こうりょう みき) @KouRyou1998

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