第2話 社会的死

 最初に変わったのは、何かが失われたことではなかった。

 世界が、少しだけよそよそしくなった。

 大学の講義には出席できた。席もある。名前も名簿に残っている。

 ただ、隣に座る人間がいなくなっただけだ。

 カケルが教室に入ると、視線が一瞬集まり、すぐに逸らされる。

 露骨な嫌悪はない。罵声もない。あるのは、慎重な回避だ。

「……仲介者なんだって」

 誰かの小さな声が聞こえた気がした。

 その後に続く言葉は、もう聞き取れない。

 昼休み、学食の列で前に並んでいた友人が、気まずそうに振り返った。

「あ、カケル。あのさ……」

 言いかけて、言葉が途切れる。

 彼の視線が、カケルの胸元――学生証に貼られた小さな表示を見た。

《MBTI:仲介者》

「……ごめん。今日はゼミの人たちと食う約束あって」

 嘘ではないのだろう。

 ただ、その約束が、今日生まれたことも確かだった。

 バイト先からの連絡は、もっと分かりやすかった。

《適性再評価の結果、業務との相性を考慮し、契約を終了します》

 理由は丁寧で、言葉は柔らかい。

 人格を否定する一文は、どこにも書かれていなかった。

 だが、その日の夜には、求人アプリからのおすすめ通知が一斉に変わった。

 仲介者向け。低ストレス。対人接触少なめ。成長性不問。

「……便利だな」

 呟いた声は、少しだけ震えていた。

 実家では、父親が新聞を読みながら言った。

「まあ、無理しなくていいんじゃないか。向いてないことは、やらない方がいい」

 正論だった。

 この国では、正論はいつも人を傷つける。

 カケルは反論しなかった。

 できなかった、の方が近い。

 自分が何に向いているのか、もう決められている。

 それを否定する言葉は、すでに「無駄な努力」に分類されている。

 数日後、ゼミのグループワークで役割分担が行われた。

「カケルは……調整役、でいいかな」

 教授が悪気なく言う。

 調整役。仲介者。便利で、評価されない役割。

 意見をまとめ、衝突を避け、全員が納得した形を作る。

 だが成果物の名前に、カケルの名前は残らない。

 誰も不満を言わない。

 それが、彼の仕事だからだ。

 夜、部屋で一人になると、胸の奥に溜まっていたものが、ようやく形を持ち始めた。

 怒りではない。

 悲しみでもない。

 ――透明になっていく感覚。

 社会にとって不都合ではないが、必要でもない。

 存在しても、しなくてもいい人間。

 スマートフォンを開く。

 MBTI法のページ。例外条項。

《上位タイプへの挑戦権》

 そこには、勝率や成功例は書かれていなかった。

 代わりに、失敗した者の記録が小さく添えられている。

《社会的評価:変動なし》

 何度挑んでも、元の場所に戻る。

 それでも挑む者がいる理由は、一つしかない。

 ――このままでは、生きている実感が消える。

 カケルは画面を閉じた。

 もう、透明でいることには耐えられなかった。

 分類されたまま生きるか。

 負けると分かって、勝負に出るか。

 選択肢は二つしかなかった。

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2025年12月30日 00:00

MBTI法 イミハ @imia3341

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