MBTI法
イミハ
第1話 診断の日
二十歳の誕生日は、祝うものではなく測るものになった。
それが当たり前になってから、もう十年以上が経っている。
MBTI法――正式名称を正確に言える者は少ないが、内容を知らない国民はいなかった。二十歳になる年、全国民は同じテストを受け、十六種類に分類される。性格、思考、行動傾向。そのすべてが「社会適性」として数値化され、ランキング化される。
ランキングは努力では変えられない。
それがこの国で最初に教えられる、大人の常識だった。
カケルはその日、スマートフォンを目覚まし代わりに止めた。画面には、自治体からの自動通知が表示されている。
《本日、MBTI適性判定を実施してください》
誕生日おめでとう、の文字はなかった。
リビングでは母親が朝食を用意していた。味噌汁の湯気が立ち上り、いつもと同じ光景なのに、空気だけが少し重い。
「緊張してる?」
そう聞かれて、カケルは首を横に振った。正直に言えば、実感がなかった。分類されることは、昔から決まっていた。驚く余地などない。
「まあ、大丈夫でしょ。あんた、要領は悪くないし」
その言葉が、なぜか引っかかった。
要領がいい、という評価は、どのタイプにも属していない曖昧な褒め方だ。
テストは自室で受ける。カメラとマイクをオンにし、画面の指示に従うだけ。質問は淡々としていて、感情の入り込む余地がない。
《集団の和を乱してでも、正しいと思うことを主張しますか》
《対立が起きた場合、あなたはどちらを優先しますか》
カケルは一つ一つ答えながら、ふと考えた。
この質問に「正解」はあるのだろうか、と。
送信ボタンを押すと、画面が暗転した。解析中の文字が回転し、心拍数を測るような効果音が鳴る。演出だと分かっていても、胸の奥がざわついた。
数秒後、結果が表示された。
《あなたのタイプは――》
一瞬の間。
その短い空白に、これからの人生が詰め込まれている気がした。
《仲介者》
その下に、小さく順位が表示される。
《ランキング:16位》
最下位、という表記はなかった。
だが、それ以上に分かりやすい言葉もない。
同時に、スマートフォンが震えた。家族共有アプリ、学校のグループ、友人とのチャット。祝福のスタンプが、途中で止まる。誰かが何かを言いかけて、消した痕跡だけが残る。
カケルは画面を伏せた。
自分が今、何かに参加させられたことだけは分かった。
そしてその参加が、拒否できないものであることも。
結果画面を閉じても、文字は頭の裏に焼きついたままだった。
仲介者。ランキング十六位。
リビングに戻ると、母親がカケルの顔を見て一瞬だけ言葉を失った。すぐに作り笑いを貼り付ける。その速さが、この国で生きてきた年数を物語っていた。
「……出た?」
「うん」
「どれ?」
カケルは答えなかった。代わりにスマートフォンをテーブルに置く。画面に表示された文字を、母親は一度見て、それからもう一度見た。
「ああ……そう」
それだけだった。慰めも叱責もない。
最下位のタイプに対して用意されている感情は、同情ではなく処理なのだ。
「役所には自動で送られるから。今日はもう、外出しない方がいいかもね」
外出しない方がいい理由は聞かなかった。聞かなくても分かる。
今日は、同じ誕生日を迎えた誰かが、上位タイプとして祝福される日でもある。
昼過ぎ、スマートフォンが再び震えた。今度は公式通知だった。
《MBTI法に基づき、あなたの社会適性情報が更新されました》
そこには、進学・就職・居住区分・推奨交友タイプまでが一覧で表示されている。推奨、という言葉は柔らかいが、実質は制限だ。仲介者に推奨される選択肢は、驚くほど少ない。
「……選べって言われてもな」
呟きは、誰にも届かない。
夕方、大学の友人から一件だけメッセージが来た。
《結果どうだった?》
既読をつけるか迷って、カケルは画面を伏せた。
返事をすれば、会話はそこで終わる。返事をしなければ、関係が終わる。どちらにしても同じだ。
夜、テレビではMBTI法特集が流れていた。
上位タイプの若者が、理想的なキャリアプランを語っている。
「自分の適性が早く分かって、よかったです。無駄な努力をしなくて済むので」
コメンテーターが頷き、スタジオは穏やかな笑いに包まれる。
そこに、最下位のタイプは存在しない。
カケルはテレビを消した。
静かになった部屋で、自分の心臓の音だけがやけに大きい。
――無駄な努力。
その言葉が、胸の奥に引っかかっていた。
努力すること自体が、すでに無駄だと決められている人生。なら、自分がこれまでやってきたことは何だったのか。
スマートフォンを手に取る。
MBTI法の詳細ページ。普段は見ない、法律文書へのリンク。
スクロールの途中、カケルの指が止まった。
《例外条項:社会適性順位に異議を申し立てる権利》
内容は簡素だった。条件は厳しく、実行者はほとんどいない。
だが、そこには確かに「参加しない」という選択肢とは別の、もう一つの道が書かれていた。
「……勝負、ね」
呟いた声は、期待よりも反射に近かった。
それが何を意味するのか、この時のカケルはまだ分かっていない。
ただ一つ、はっきりしていたことがある。
分類されたまま黙って生きることだけは、
今日、この誕生日で終わった。
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