第7話…【少し年上だった、あの夏のこと】
北海道の牧場で働いていた、あの夏のことを、私は今でもときどき思い出す。
特別な出来事があったわけではない。
ドラマのような恋も、劇的な別れもなかった。
それでも、思い出すたびに胸の奥が少し温かくなる夏だった。
理由は、たぶん――
あの夏、私は「見送る側」にいたからだと思う。
■ 私は、牧場で働く側だった
当時、私は二十一歳。
高校を出て、進学もせず、この牧場で働き始めて三年目だった。
理由は単純で、
実家に戻るより、ここにいた方が楽だったから。
牧場の仕事はきつい。
朝は四時半起き、夜は八時過ぎまで働く。
休日という休日は、ほとんどない。
でも、
「今日も牛が元気だった」
それだけで一日が終わる生活は、案外、心をすり減らさなかった。夢とか将来とか、そういう言葉から、少し距離を置いていた時期だった。
■ 研修生が来る季節
夏になると、研修生が来る。
高校生や大学生が、全国からやってくる。
毎年のことだったから、
最初は特別な感情はなかった。
「今年も来るのね」
それくらいの気持ち。
でも、実際に彼らが到着すると、
牧場の空気は、確かに変わった。
声が増える。笑い声が増える。失敗も増える。
そして、こちらが忘れていた感情を、彼らは無邪気に持ち込んでくる。
■ 静かな研修生
その年の研修生の中に、ひとり、妙に静かな子がいた。真面目で、前に出るタイプではなく、
でも、よく周りを見ている。注意されると、必ず「はい」と返事をする。
午後三時の休憩で牛乳を渡すと、
必ず「ありがとうございます」と言う。
それだけのことなのに、
なぜか印象に残った。人は、派手な言動より、
小さな丁寧さで覚えられるものだ。
■ 年上であるという距離
私は彼より三つ年上だった。たった三つ。
でも、その三つは、当時の私にとっては大きかった。彼は「これから」を持っていて、私は「今」を生きていた。彼は「可能性」の中にいて、私は「選ばなかった道」の上にいた。だから、近づきすぎないようにしていた。それは優しさでもあり、自分を守るためでもあった。
■ 夜の時間は、彼らのもの
仕事が終わった夜、研修生たちはよく外で集まっていた。花火をしたり、ギターを弾いたり、
取り留めのない話をしたり。私は、少し離れた場所から、それを眺めていた。混ざろうと思えば、混ざれた。でも、そうしなかった。
理由は簡単で、あの時間は、彼らの青春だったから。私はもう、そこに全身で飛び込む年齢ではなかった。
■ 線香花火の夜
ある夜、線香花火をする輪に誘われた。断る理由もなくて、一本だけ受け取った。火をつけると、小さな光が揺れた。「落ちるまでですね」
誰かが言った。その言葉を聞いたとき、
私は少しだけ、胸が痛くなった。
終わると分かっているから、今がきれいに見える。青春というものを、私はすでに、そういう目で見ていた。
■ 話した夜
夜、牛舎の外で、彼と少し話をしたことがある。将来のこと。学校のこと。まだ形のない夢。私は、何も言わなかった。助言もしなかったし、現実も突きつけなかった。
ただ、聞いていた。あれは、私の人生ではなく、彼の人生の話だったから。
■ 見送るという役割
研修は、必ず終わる。彼らは帰り、私は翌日も、同じ時間に起きる。それを、私は何度も経験していた。
ジンギスカンの夜、
皆が笑っているのを見ながら、私は少しだけ思った。「ああ、今年も終わるな」寂しさはあった。でも、それ以上に、見送ることに慣れてしまった自分がいた。
■ 別れの朝
彼らが帰る朝、私は牛舎で作業をしていた。
見送りには行かなかった。冷たいわけでも、
忙しいわけでもない。ただ、別れを日常にしないためだった。遠くで、彼が小さく手を振った。私は、ほんの少しだけ、手を振り返した。
■ 今、思うこと
あの研修生たちは、もう立派な大人になっているだろう。あの夏を、覚えているかどうかは分からない。でも、私は覚えている四時半の朝の匂い。午後三時の甘い牛乳。夜の笑い声。
そして、
青春を生きる人たちを、少し年上の場所から見ていた自分。あの夏、私は少し年上だった。
だからこそ、あの夏は、今でも静かに、輝いている。
……あとがき…
このお話は僕が研修に行った先で出会った3才年上のお姉さんが居て色々とやり取りしているうちに仲良くなり僕がときめいて居た時のお姉さん目線で書いてみました。35年以上前の淡い出会いのお話です。
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