第6話…【あの夏、私は少し年上だった】
あの夏のことを思い出すと、
決まって朝の匂いが先に来る。
牧草と牛の体温と、まだ冷たい空気が混じった匂い。四時半。空は薄く青くなり始めていて、
牛舎から低い声が聞こえてくる。
私はその時間が、嫌いじゃなかった。
1 研修生が来る夏
その年の夏も、研修生が来ると聞いていた。
高校生が何人か。
「若い子が来ると、牧場が明るくなる」
親父さんはそう言っていたけれど、
正直、私は少しだけ身構えていた。
高校生。まだ何者でもない年齢。
私は二十一歳。この牧場で働き始めて、三年目だった。夢らしい夢は、もう口にしなくなっていた。
2 最初の印象
彼らが着いた日のことは、よく覚えている。
長旅で疲れているはずなのに、
妙にきちんとしていて、少し緊張した顔。
その中に、ひときわ静かな子がいた。派手ではない。でも、周りをよく見ている。
「よろしくお願いします」
そう言って深く頭を下げた姿が、
少しだけ、大人びて見えた。
3 仕事は平等にきつい
酪農の仕事は、誰にとってもきつい。
年齢も、立場も関係ない。朝は早く、作業は単調で、身体はすぐに悲鳴を上げる。
それでも研修生たちは、文句を言わなかった。
言えなかっただけかもしれない。でも、
黙って続ける姿は、嫌いじゃなかった。
4 少しだけ、気になる
午後三時の休憩。搾りたての牛乳を配る時間。
紙コップを渡すと、その子は必ず、
「ありがとうございます」と言った。
毎回、忘れずに。たったそれだけのことなのに、なぜか印象に残った。人は、小さな癖で覚えられる。
5 夜の時間
仕事が終わると、
牧場は別の顔を見せる。研修生たちは、
花火をしたり、ギターを弾いたりしていた。
私は、少し離れたところで見ていた。
混ざらなかったのは、大人だったからじゃない。ただ、もう「その側」には戻れないと
分かっていたからだ。
6 線香花火の夜
ある夜、線香花火をしている輪に呼ばれた。
「一緒にやりましょうよ」
断る理由もなくて、輪の中に入った。火をつけて、小さな光を見る。
「落ちるまでですね」
誰かが言った。私は、その言葉が少し怖かった。落ちると分かっているからこそ、
きれいなのだと知っていたから。
7 話す時間
夜、牛舎の外で彼と話したことがある。
将来の話。学校の話。まだ輪郭のない未来を、
恥ずかしそうに話す姿。私は、ただ聞いていた。助言もしなかったし、現実も言わなかった。それは、彼の夏だったから。
8 私は、見送る側
研修は、あっという間に終わる。彼らにとっては、人生の一ページ。私にとっては、日常の延長。ジンギスカンの夜、皆が笑っているのを見て、少しだけ胸が痛んだ。
「また来いよ」
親父さんの声。私は、何も言わなかった。
9 別れの朝
彼らが帰る朝、私はいつも通り作業をしていた。見送りに行かなかったのは、冷たいからじゃない。別れに慣れてしまったからだ。
でも、牛舎の向こうで軽く手を振る彼を見て、
少しだけ、手を振り返した。
10 今、思うこと
あの子たちは、もう中年になっている頃だろう。それぞれの場所で、それぞれの人生を生きている。あの夏を覚えているかは、
分からない。でも、私は覚えている。
四時半の朝。午後三時の牛乳。
夜の笑い声。私は、少し年上だった。
だからこそ!!あの夏が、とても眩しかった。
……あとがき……
この話は私たちが研修に行った牧場で勤めて居た3才年上のお姉さんから見た目線で描きました。今の時代だと60歳の還暦を迎えて居るでしょう!!あの時のお姉さんにもう一度会ってお礼が言いたいです。
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