第4話…あの夏、牧場は笑っていた
北海道の空は、どこまでも高かった。
見上げるたびに、「ここまで来たんだな」と思わせる空だった。
香川から丸二日かけて辿り着いた亀●牧場。
長旅の疲れよりも、胸の高鳴りの方が勝っていた。
「一ヶ月、よろしくお願いします!」
そう頭を下げた僕たちに、農家のお父さんは笑って言った。
「まあ、無理せずやれ。牛は逃げんからな」
その言葉で、少しだけ肩の力が抜けた。
1 朝より早い笑い声
酪農家の朝は早い。
四時半起床、五時作業開始。
最初は眠くて仕方なかったが、数日もすると不思議と慣れた。
いや、正確には「慣れた」というより、「考える前に身体が動く」ようになった。
牛舎に入ると、牛たちが一斉にこちらを見る。
その光景が、毎朝少し可笑しかった。
「おはようございます」
誰かが真面目に言うと、
「牛は返事せんぞ」
と、すぐに誰かが突っ込む。
そんな他愛ないやり取りが、朝の始まりだった。
搾乳の準備をしながら、先輩が教えてくれる。
「力入れすぎるな。牛も嫌がる」
「はい!」
真剣に返事をするが、すぐに忘れてしまう。すると、
「ほら、そうなる」と笑われる。
叱られているはずなのに、なぜか楽しかった。
2 広すぎる畑と終わらない冗談
午前の作業は畑。
地平線まで続く草原を初めて見たとき、言葉が出なかった。
「……でかすぎません?」
僕が呟くと、
「だから北海道なんだろ」
と、同じ研修生が笑う。
草抜きは地味で、きつい。
でも、誰かと並んでやると、不思議と苦じゃなかった。
「この列終わったらゴールな」
「嘘つけ、まだ半分やろ」
そんな会話をしながら、黙々と手を動かす。
遠くに見える地平線が、なぜかゴールテープみたいに見えた。
午前中だけで、汗だく。でも、空気は爽やかで、風が気持ちいい。
「暑いけど、香川よりマシやな」
誰かが言うと、全員が頷いた。
3 子牛と昼休みと空の色
十一時半、子牛へのほ乳。
小さな牛が必死に乳を飲む姿は、何度見ても飽きなかった。
「かわいいな」思わず言うと、
「でも、すぐデカくなるぞ」
と現実を突きつけられる。昼食は、いつも楽しみだった。とにかく量が多くて、美味しい。
「これで午後も頑張れ」
農家のお母さんの言葉が、嬉しかった。
昼休みは一時間。草の上に寝転がり、空を見る。雲がゆっくり流れていく。
時間まで、ゆっくり流れている気がした。
4 午後三時の特別な時間
午後三時十分。たった十分の休憩。
でも、その十分が特別だった。
搾りたての牛乳を火にかけ、冷やす。
パンと一緒に配られる。
一口飲んだ瞬間、疲れが抜けていく。
「これ、反則やろ」
誰かが言い、笑いが起きる。この牛乳を飲むために、午後を頑張っているような気さえした。
5 牧草運びと仲間意識
大学時代の研修では一番きつかったという牧草運び。高校生の僕たちにとっても、もちろん大変だった。十キロのキューブを、ひたすら運ぶ。握力がなくなり、腕が笑う。それでも、
「あと五個!」
「次で終わり!」
そんな声が飛び交うと、自然と力が出た。
終わった日は、ご馳走だった。
みんなで食べると、何でも美味しかった。
6 夜の牧場は青春の時間
仕事が終わると、夜が来る。花火をした日もあった。線香花火の小さな光を、皆で囲む。
三つ上のお姉さんが、静かに笑う。
「落ちるまでな」
誰も喋らず、火を見つめる。
落ちた瞬間、なぜか拍手が起きた。
別の日は、ギターの音。
上手くはないけど、気にしない。
歌い、笑い、将来の話をする。
「俺、何になるんやろな」
「まあ、なんとかなるやろ」
その言葉が、やけに心強かった。
7 ジンギスカンと別れの予感
最後の夜。
ジンギスカンパーティー。
煙の向こうで、皆が笑っている。
「一ヶ月、早かったな」
誰かが言うと、全員が黙った。
楽しい時間ほど、終わりが早い。
「また来いよ」
農家のお父さんの言葉が、胸に残る。
8 帰り道、揺れる身体と心
長い帰り道。列車と船に揺られ、身体がまだ揺れている。でも、不思議と寂しさはなかった。
あの夏は、ちゃんと胸に残っていたから
四時半の朝。午後三時の牛乳。夜の花火と笑い声、北海道の牧場で過ごした一ヶ月は、間違いなく、僕の青春だった。
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