第10話 幼なじみは、踏み出す準備をする




 ――文芸部のドアは、今日も閉まっている。


 中に誰がいるかなんて、

 分かりきっているのに。


 私は、廊下の端で立ち止まった。


「……また、いるよね」


 独り言みたいに呟いて、

 耳を澄ます。


 聞こえてくるのは、

 小さな声。


 男の声と、

 女の声。


 ……楽しそうだ。


 胸の奥が、

 ちくっと痛む。


 *


 私は、幼なじみだ。


 クラスも同じ。

 家も近い。

 昔から、一緒にいる。


 だから。


 「友達」でいられる。


 それが、

 強みで、

 弱みだった。


 *


「おーい、何してんだ?」


 後ろから声をかけられて、

 肩が跳ねる。


「あ、いや、なんでもない!」


 振り返ると、

 そこにいたのは、彼だった。


 いつも通りの、

 間の抜けた顔。


「なんでもない、って顔じゃないだろ」


「気のせい!」


 そう言って、

 笑ってみせる。


 ……ちゃんと笑えてる?


「文芸部?」


 彼は、ドアを見る。


「うん」


「今日も来てるよな、桜庭」


 名前を出された瞬間、

 心臓が、きゅっと縮む。


「……そだね」


「入る?」


「……今日は、いい」


 即答できなかった。


 入ったら。


 二人の空気の中に、

 割り込むことになる。


 それが、

 怖かった。


「そっか」


 彼は、あっさり頷く。


 その反応が、

 少しだけ、寂しい。


「じゃ、俺は行くけど」


「あ、待って!」


 気づいたら、

 声を出していた。


「ん?」


 彼が振り返る。


 ……言わなきゃ。


 今、言わなきゃ。


「……帰り、一緒に帰らない?」


 一瞬の沈黙。


「珍しいな」


 そう言って、

 彼は笑った。


「いいよ」


 その一言に、

 胸の奥が、少しだけ軽くなる。


 *


 帰り道。


 夕焼けが、

 やけに眩しい。


「最近さ」


 私から話題を振る。


「文芸部、楽しい?」


「まあな」


 即答。


「……そう」


 分かってた答え。


 でも、

 聞かずにはいられなかった。


「桜庭さん、どう?」


 なるべく、

 軽い感じで。


「真面目だし、

 一生懸命だよ」


 褒め言葉。


 胸が、ちくっとする。


「……ふーん」


「気になる?」


 何気ない一言。


 でも、

 心臓が跳ねる。


「べ、別に!」


 声が、少し上ずる。


「ただの転校生だし」


「ふーん」


 彼は、

 それ以上、何も言わない。


 その沈黙が、

 怖かった。


 *


 家が近づく。


 別れ道。


 いつもなら、

 「じゃーね」で終わる場所。


 でも。


「……ねえ」


 足を止める。


「ん?」


 彼も、立ち止まる。


 夕焼けの中で、

 影が伸びる。


「私さ」


 言葉が、喉につかえる。


「昔から、

 一緒にいるじゃん」


「そうだな」


「それってさ」


 勇気を、

 少しだけ、絞り出す。


「……当たり前、じゃないよね」


 彼は、驚いたように目を瞬かせる。


「急にどうした?」


「どうしても、

 聞きたくなっただけ」


 心臓が、

 うるさい。


「……私が、いなくなったら」


 一瞬、言葉を選ぶ。


「寂しい?」


 沈黙。


 長く感じる、数秒。


「……寂しいよ」


 彼は、そう答えた。


 即答じゃない。

 でも、嘘でもない。


 胸の奥が、

 じんわり熱くなる。


「……そっか」


 それだけで、

 十分だった。


 *


「ねえ」


 もう一度、声を出す。


「これからさ」


 彼を見る。


「文芸部、覗く回数、

 増やしてもいい?」


「別に、構わないけど」


「じゃあ」


 少しだけ、

 笑顔に力を入れる。


「私も、

 ちゃんと、関わる」


 それは。


 宣言だった。


 恋の告白じゃない。

 でも。


 「何もしない」選択を、

 やめる宣言。


「……うん」


 彼は、少し困ったように笑った。


 その顔を見て、

 胸が、また少し痛む。


 でも。


 痛いだけじゃない。


 確かに、

 一歩、踏み出した。


 *


 家に帰って、

 ベッドに倒れ込む。


「……よし」


 小さく、拳を握る。


 まだ、勝ってない。


 でも。


 負ける前に、

 戦いには参加できた。


 文芸部のドアは、

 まだ、閉まっている。


 でも。


 次に開くとき、

 私は、ただの「幼なじみ」じゃない。


 そう、

 心の中で、決めた。






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