第9話 転校生は、強いふりをしていた
放課後の文芸部。
今日は、俺が一番最後だった。
ドアを開けると、
すでに桜庭しおりが来ていた。
いつも通り、窓際の席。
ノートを開いている。
……けれど。
「こんにちは、先輩」
声は落ち着いている。
でも、視線が合わなかった。
「こんにちは」
違和感。
はっきりとは分からない。
でも、いつもと何かが違う。
俺は席に着き、
原稿を取り出すふりをする。
桜庭は、書いていない。
ペンを持ったまま、
何も書かずに止まっている。
「……今日は、書かないのか?」
「……少し、考え事を」
それだけ言って、
視線をノートに落とす。
沈黙。
最近は、
この静けさが心地よかった。
でも、今日は違う。
何かを隠している沈黙だ。
「……無理に話さなくていいけど」
俺は、そう前置きしてから言った。
「元気、ないように見える」
桜庭は、少しだけ肩を震わせた。
「……そんなこと、ありません」
即答。
でも、声が少しだけ硬い。
「そうか」
それ以上、踏み込まない。
踏み込みすぎると、
壊れそうな気がした。
*
しばらくして。
「……先輩」
桜庭のほうから、声をかけてきた。
「はい」
「もし」
言葉を探すように、
少し間を置いて。
「もし、文芸部が……
なくなったら」
その言葉に、胸が跳ねた。
「なくなったら?」
「はい」
桜庭は、視線を上げない。
「先輩は……
どうしますか?」
その質問は、
文芸部の話に見せかけて、
違うものを含んでいた。
「……考えたことないな」
正直に答える。
「でも」
続ける。
「なくしたくない」
「……どうしてですか?」
「理由は、もう話しただろ」
久遠先輩のこと。
守り続けてきたこと。
「それだけじゃない」
言葉が、自然と出てきた。
「今は」
少しだけ、間を置く。
「今は、ここに来る理由が、
増えたから」
桜庭の指が、
ノートの端を強く掴む。
「……私、ですか?」
小さな声。
逃げ道を残す聞き方。
「……そうだな」
否定しなかった。
桜庭は、しばらく黙っていた。
そして。
「……ありがとうございます」
そう言ったが、
声は、少しだけ震えていた。
*
「……先輩」
桜庭は、意を決したように、
深呼吸をする。
「私、転校してきた理由、
詳しく話したこと、ありませんよね」
「……そうだな」
「言わなくていいですか?」
「無理なら、いい」
それが本音だった。
「……少しだけ」
桜庭は、そう言って、
ようやく顔を上げた。
「前の学校では……
文芸部、なかったんです」
「え?」
「正確には、
途中で、なくなりました」
その言葉が、静かに落ちる。
「部員が、減って」
淡々とした口調。
「最後は、
私一人でした」
胸の奥が、嫌な形で締めつけられる。
「一人で、
続けていたんですけど」
視線が、少し揺れる。
「……意味がないって、
言われました」
その言葉は、
とても静かだった。
「先生にも、
友達にも」
桜庭は、無理に笑おうとする。
「だから、
なくなるのも仕方ない、って」
俺は、何も言えなかった。
言葉が、出てこない。
「それで」
桜庭は、続ける。
「転校してきて、
この学校に文芸部があるって聞いて」
そこで、ようやく俺を見る。
「しかも、一人で続けている先輩がいるって」
視線が、少しだけ潤む。
「……羨ましかったんです」
その一言が、
胸に、深く刺さった。
「強い人だと思いました」
「……」
「だから」
声が、少しだけ小さくなる。
「ここでも、
なくなったらどうしようって」
それが。
彼女の弱さだった。
完璧そうに見えた転校生。
礼儀正しくて、落ち着いていて。
でも。
失うことを、
一度、経験していた。
「……桜庭」
俺は、静かに言った。
「この文芸部は、
簡単には、なくならない」
自分に言い聞かせるみたいに。
「俺が、いる」
そして。
「君も、いる」
桜庭は、目を見開いた。
「……でも」
「でもじゃない」
珍しく、少しだけ強い口調になる。
「一人じゃない」
それだけで、
十分な理由だった。
桜庭は、しばらく黙っていた。
そして、
小さく、息を吐く。
「……先輩」
「うん」
「私、強いふり、
してました」
その告白は、
とても小さくて、
でも、確かだった。
「大丈夫そうに見えるように」
「……そうか」
「でも」
桜庭は、微笑む。
今までで、一番、力の抜けた笑顔。
「ここでは……
少し、弱くてもいいですか?」
「……ああ」
即答だった。
「それが、部活だろ」
その言葉に。
桜庭の目から、
涙は、こぼれなかった。
でも。
肩の力が、
確かに、抜けたのが分かった。
*
帰り際。
桜庭は、いつもより少しだけ、
軽い足取りだった。
「……今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ」
部室のドアを閉める。
一人になると、
胸の奥に、重たいものが残る。
守りたい場所が、
また一つ、増えてしまった。
でも。
それを、
負担だとは思わなかった。
むしろ。
「一人じゃない」ことが、
こんなにも、心強いなんて。
俺は、ノートを開き、
新しい一文を書く。
――彼女は、弱さを見せることで、
初めて、この場所の一部になった。
文芸部は、
静かに、確かに、
三人の物語を抱え始めていた。
第9話 転校生は、強いふりをしていた
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