第5話 幼なじみは、変わっていく背中を見ていた




 正直に言えば。


 あの日から、ずっと落ち着かなかった。


 相沢悠斗の背中が、少しだけ遠くなった気がして。


「……気のせい、だよね」


 佐倉ひなたは、自分の部屋のベッドに仰向けになって、天井を見つめていた。


 何があったわけでもない。

 悠斗が冷たくなったわけでもない。


 ただ。


 文芸部。


 その言葉が、頭から離れなかった。


 悠斗が一人で続けていた部活。

 誰も来なかった部室。

 そこに、転校生が入った。


 それだけのこと。


 ――それだけ、のはずなのに。


「……文芸部、か」


 ひなたは起き上がり、スマホを手に取った。


 悠斗とのトーク画面。

 最後のやり取りは、数日前。


 用事もないのに、送る理由もない。


「送る理由、ないよね」


 そう呟いて、画面を伏せた。


 *


 翌日の昼休み。


 ひなたは、いつものメンバーと机を囲んでいた。


「佐倉、最近ぼーっとしてない?」


「そう?」


「恋?」


「は!?」


 思わず声が裏返る。


「ち、違うし!」


「その反応が怪しいんだけど」


 クラスメイトたちが笑う。


 ひなたは、頬が熱くなるのを感じながら、視線を逸らした。


「……幼なじみでしょ?」


 誰かが、何気なく言った。


 その一言が、妙に刺さった。


 幼なじみ。


 便利で、安全で、

 でも、どこか線を引く言葉。


「そうだけど」


 ひなたは、そう答えながら、

 なぜか、胸の奥がざわついた。


 *


 放課後。


 ひなたは、用事もないのに校舎をぶらついていた。


 足が向かうのは、自然と文芸部のある階。


「……覗くだけ」


 自分に言い訳をしながら、廊下を歩く。


 部室の前まで来て、立ち止まる。


 中から、話し声が聞こえる。


 悠斗の声。

 そして、女の子の声。


 昨日より、距離が近い気がした。


「……」


 ドアノブに手を伸ばして、止める。


 昨日みたいに、勢いで入る気にはなれなかった。


 代わりに、壁にもたれて、耳を澄ます。


「……それ、好きです」


 聞こえたのは、桜庭しおりの声だった。


 はっきりとした、迷いのない声。


 ひなたの胸が、きゅっと縮む。


「主人公の気持ち、分かる気がします」


 続く言葉。


 文脈が分からない。

 でも、笑っているのは分かった。


 ――楽しそう。


 その事実が、一番つらかった。


 ひなたは、ゆっくりとその場を離れた。


 逃げるみたいに。


 *


 帰り道。


 一人で歩きながら、考える。


 自分は、何に焦っているのか。


「……取られる、とか?」


 思わず口に出して、すぐに首を振る。


「ないない」


 悠斗は、幼なじみ。

 昔から一緒。

 当たり前の存在。


 ……当たり前?


 ひなたは立ち止まる。


「当たり前、って何?」


 いつから、

 隣にいるのが前提だと思っていたんだろう。


 告白したこともない。

 約束したこともない。


 なのに。


「……ずるいな」


 小さく呟く。


 自分は、何も言ってこなかったくせに。


 *


 家に帰ると、リビングから母親の声がした。


「ひなた、悠斗くん、今日も部活?」


「……たぶん」


「頑張ってるわねえ。

 あの子、昔から真面目だもの」


 その言葉を聞いて、胸がちくりとする。


「……文芸部、だよ」


「あら、まだ続けてるの?」


「……うん」


 ひなたは、自分でも驚くほど、

 その言葉を大事にするみたいに言っていた。


 *


 夜。


 ベッドに横になり、天井を見る。


 頭に浮かぶのは、

 文芸部のドアの向こうの光景。


 悠斗と、桜庭しおり。


 楽しそうに話していた、あの空気。


「……嫌だな」


 正直な気持ちが、ようやく言葉になる。


 独占したい、とか。

 奪いたい、とか。


 そこまで強くはない。


 でも。


「知らないところで、変わっていくのは……」


 嫌だ。


 それだけは、はっきりしていた。


 ひなたは、スマホを手に取る。


 トーク画面を開く。


 指が止まる。


 何て送る?


 ――用事、ないし。


 でも。


 画面に文字を打つ。


『今日も部活?』


 送信。


 すぐに、後悔しかけた。


「……重くないよね」


 数秒後。


『うん。今終わった』


 返事が来る。


 胸が、少しだけ軽くなる。


『そっか。お疲れ』


 それだけ送って、スマホを閉じた。


 たったそれだけなのに。


 ひなたは、自分の心臓が、

 少しだけ早くなっていることに気づいてしまった。


「……私」


 呟く。


「焦ってるんだ」


 それは、

 初めて自覚した感情だった。


 そして同時に。


 何かを、変えなきゃいけない気がしていた。






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