第3話 幼なじみは、文芸部のドアをノックしない




 放課後。


 文芸部の活動時間が、いつの間にか「当たり前」になりつつあることに、俺は少し戸惑っていた。


 昨日までは、部室に向かう足取りも適当だった。

 今日は違う。


 桜庭しおりが、もう来ているかもしれない。

 そんなことを考えている時点で、意識してしまっている。


「……俺、何やってんだ」


 自分で自分に突っ込みを入れながら、部室のドアを開けた。


「こんにちは、相沢先輩」


 中には、すでに彼女がいた。


 机の上にはノートと文庫本。

 椅子に座って、何かを書いていたらしい。


「早いな」


「少しだけ、早く来てみました」


 そう言って微笑む。

 それだけで、部室が明るくなった気がする。


 昨日、俺の書いた作品を真剣に読んでくれたことを思い出し、少しだけ居心地が悪くなる。


「今日は……何する?」


「昨日の続き、読んでもいいですか?」


「……どうぞ」


 俺が答えると、桜庭は嬉しそうに頷いた。


 昨日より、距離が近い。

 向かい合って座るのが、もう自然になっている。


 そんなふうに感じてしまう自分が、少し怖かった。


 *


 部室の外。


 そのドアの前で、立ち止まっている人物がいた。


 佐倉ひなたである。


「……」


 彼女は、ドアノブに手を伸ばしかけて、止めた。


 中から聞こえる声。

 聞き慣れない、女の子の声。


 ――ああ、いるんだ。


 昨日聞いた「転校生」。

 悠斗の言っていた、その子。


 ひなたは深呼吸をひとつして、何事もなかったような顔を作った。


 ノックはしない。


 ただ、ドアを開ける。


「やっほー」


 間延びした声と一緒に、部室の空気が一気に変わった。


「……ひなた?」


 俺は驚いて顔を上げた。


「偶然通りかかったら、まだ電気ついてたからさ」


 そう言って、ひなたは中に入ってくる。


 視線が、自然と桜庭に向いた。


「この子が、転校生?」


「は、はい」


 桜庭は立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。


「一年の、桜庭しおりです」


「へえー」


 ひなたは、じっと彼女を見る。


 上から下まで、遠慮のない視線。


 その視線に悪意はない。

 でも、評価しているのは明らかだった。


「私は佐倉ひなた。

 こいつとは幼なじみ」


 こいつ、という言い方はいつも通りだ。


「よろしくお願いします」


 桜庭は丁寧に頭を下げる。


 その所作があまりにもきれいで、ひなたは一瞬だけ言葉に詰まった。


「……よろしく」


 返事はしたが、声が少しだけ遅れた。


 俺は二人の間に流れる、説明しにくい空気を感じ取っていた。


 仲良くなれそうで、なれなさそうな距離。


「文芸部、見学?」


 俺がそう聞くと、ひなたは肩をすくめた。


「ううん。ただの冷やかし」


「冷やかしで来るな」


「いいじゃん。暇だったんだから」


 そう言いながら、ひなたは部室を見回す。


「相変わらず、静かだね。

 本当に活動してるの?」


「してるって」


 俺が答えるより先に、桜庭が口を開いた。


「原稿を読んだり、書いたり……

 とても、落ち着く場所だと思います」


 その言葉に、ひなたの視線が一瞬だけ鋭くなった。


「……ふーん」


 ひなたは俺を見る。


「悠斗、ちゃんと部活してるんだ」


「そりゃな」


「一人のときは、適当だったのに」


「余計なお世話だ」


 軽口を叩き合いながらも、ひなたの視線は、何度も桜庭に向かっていた。


 桜庭はそれに気づいているのか、いないのか。

 少しだけ居心地が悪そうに、椅子に座り直す。


「ねえ」


 ひなたが言った。


「転校生ちゃんは、なんで文芸部に?」


 唐突な質問だった。


「……それは」


 桜庭は少し考えてから、正直に答えた。


「相沢先輩が、一人で続けていたって聞いて……

 それが、すごいなって思って」


「へえ」


 ひなたは、俺のほうを見る。


「そうなんだ」


 その言葉には、何か含みがあった。


「……何だよ」


「別に」


 ひなたは笑う。


 でも、その笑顔は、どこか固い。


「悠斗ってさ」


 ひなたは、何気ないふりをして続けた。


「昔から、変なところで意地っ張りだよね」


「は?」


「やめてもいいこと、やめない」


 それは、図星だった。


 文芸部も。

 きっと、それ以外のことも。


「……悪かったな」


「悪いとは言ってない」


 ひなたはそう言って、視線を逸らした。


 桜庭は、そのやり取りを黙って見ていた。


「……あの」


 彼女が、遠慮がちに口を開く。


「私、邪魔でしたら……」


「邪魔じゃない!」


 ひなたが、思ったより強い声で言った。


 一瞬、部室が静まる。


「あ……」


 ひなた自身も、驚いたようだった。


「ごめん。

 そういう意味じゃなくて」


 慌てて取り繕う。


「私、そろそろ帰るね」


「もう?」


「うん」


 ひなたは、部室のドアに手をかけた。


 振り返って、俺を見る。


「ちゃんと、部活しなよ」


「……してるって」


 そう言って、ひなたは出ていった。


 ドアが閉まる。


 残されたのは、俺と桜庭だけ。


「……幼なじみ、なんですね」


 桜庭が静かに言った。


「まあ……長い付き合いで」


「仲がいいんですね」


「……どうだろうな」


 俺がそう答えると、桜庭は少しだけ微笑んだ。


「でも」


 そう前置きしてから、続ける。


「相沢先輩のこと、よく見ている人だと思います」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。


 その夜。


 ひなたは、自分の部屋で天井を見つめていた。


「……何なのよ」


 小さく呟く。


 知らない顔。

 知らない声。

 知らない距離。


 悠斗の隣に、いつの間にかいた女の子。


「……文芸部、ね」


 ひなたは目を閉じる。


 焦っている、と言われたら否定できない。


 でも、

 自分が何に焦っているのか、

 まだ、はっきりとは分からなかった。






第3話 幼なじみは、文芸部のドアをノックしない

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