第2話 二人きりの文芸部は、思ったより静かじゃない




 放課後の文芸部は、相変わらず静かだった。


 ――正確に言えば、静かだった「はず」だ。


 昨日まで、俺ひとりだったときは、

 時計の秒針の音と、外から聞こえる運動部の掛け声だけが、この部室のBGMだった。


 けれど今日は違う。


 俺の正面の机に、桜庭しおりが座っている。


 文芸部の机は、二人並ぶには少し狭い。

 向かい合って座ると、自然と距離が近くなる。


「……」


「……」


 会話がないわけじゃない。

 でも、沈黙が長い。


 気まずい、というほどではない。

 ただ、どちらから話しかければいいのか、分からないだけだ。


 俺は手元の文庫本に視線を落としながら、意識の端で彼女の存在を感じていた。


 髪が、少しだけ揺れる。

 ページをめくる音が、小さく響く。


 それだけで、部室の空気が変わってしまうのだから不思議だ。


「……相沢先輩」


 不意に名前を呼ばれて、俺はびくっと肩を揺らした。


「は、はい」


 返事が少し裏返ってしまった気がする。


「先輩って、普段は何を書いているんですか?」


「え?」


 質問の内容に、一瞬言葉を失った。


「い、いや……その……」


 正直に言えば、胸を張って言えるものじゃない。


「短編、というか……

 気が向いたときに、ちょっと書くくらいで……」


「小説、ですよね?」


 そう聞かれて、俺は小さく頷いた。


「……はい」


 桜庭は、それだけで満足したように微笑んだ。


「すごいです」


「いや、全然すごくないから」


 反射的に否定する。


「部誌に載せるほどのものでもないし……

 大会に出したこともないし……」


 自分で言っていて、少し情けなくなる。


 文芸部に残っているとはいえ、

 俺は「結果」を出したことがない。


 ただ、続けているだけだ。


 そんな俺の言葉を聞いて、桜庭は首を横に振った。


「それでも、続けているんですよね」


「……まあ」


「それって、簡単なことじゃないと思います」


 静かな声だった。

 でも、適当な慰めには聞こえなかった。


「私、前の学校でも文芸部だったんですけど……

 途中で辞めちゃいました」


「え……?」


 意外な告白だった。


「楽しくなかったわけじゃないんです。

 でも、周りと比べてしまって……

 書けなくなってしまって」


 そう言って、桜庭は視線を落とす。


「だから、相沢先輩が一人でも部活を続けてるって聞いて……

 ちょっと、羨ましかったんです」


 羨ましい。


 その言葉が、胸の奥に残った。


「……そんな大した理由じゃないよ」


 俺は照れ隠しにそう言った。


「やめるタイミングが、なかっただけで……」


「それでも、残っていたんですよね」


 桜庭は、はっきりと言った。


「ここに」


 その一言で、なぜか誤魔化せなくなった。


「……まあ」


 曖昧に答えると、彼女はにこっと笑った。


「じゃあ、よかったです」


「何が?」


「ここに来て」


 その言葉に、胸が少しだけざわついた。


 ――この部活を選んだ理由。

 それを、こんなふうに言われるとは思っていなかった。


「……あの」


 少し間を置いて、桜庭が言った。


「もしよかったら、先輩の書いたもの、読ませてもらえませんか?」


「えっ」


 完全に予想外だった。


「い、いや、それは……」


 反射的に拒否しかけて、言葉に詰まる。


 自分の書いたものを、人に読まれるのは、正直怖い。

 ましてや、入ったばかりの後輩に、だ。


「無理なら、いいです」


 桜庭は慌てて言った。


「いきなりですし……」


 その様子を見て、俺は息を吐いた。


「……ちょっと待って」


 鞄を開き、クリアファイルを取り出す。


「これ、去年の部誌に載せたやつだけど……

 それでもよければ」


 そう言って差し出すと、桜庭は目を丸くした。


「いいんですか?」


「……どうせ、誰も読まないし」


 自嘲気味に言うと、彼女は少しだけ眉をひそめた。


 そして、両手で大事そうに受け取る。


「読ませてください」


 それからしばらく、部室は再び静かになった。


 ただ、昨日までとは違う。


 誰かが自分の書いた文章を、すぐ目の前で読んでいる。

 その事実だけで、落ち着かない。


 視線のやり場に困り、俺は窓の外を眺めた。


 ――そのとき。


「……」


 桜庭の手が、少し止まった。


 ページの端を、指で押さえたまま、動かない。


「……どうかした?」


 恐る恐る聞くと、彼女は顔を上げた。


「いえ」


 でも、その表情は、さっきまでと少し違っていた。


「……好きです」


「……は?」


 一瞬、頭が真っ白になった。


「い、今のは、その……」


 慌てる俺を見て、桜庭は小さく笑った。


「作品の話です」


「……っ」


 心臓に悪い。


「この主人公、好きです」


 真面目な目で、そう言った。


「不器用で、遠回りばかりで……

 でも、ちゃんと大事なものを手放さないところが」


 俺は何も言えなかった。


 自分が書いた主人公を、

 こんなふうに真剣に語られるのは、初めてだったからだ。


「……ありがとうございます」


 やっと、それだけ言えた。


 桜庭は、またページに視線を戻す。


 その横顔を見ながら、俺は思った。


 ――この部活は、

 本当に、昨日までと同じ場所なのだろうか。


 放課後、部室を出るとき。


 廊下の先に、見慣れたポニーテールが見えた。


「あ」


 佐倉ひなただ。


 偶然にしては、タイミングが良すぎる。


「お疲れー」


 ひなたはいつもの調子で手を振った。


「文芸部、今日も活動?」


「……まあ」


 そう答えると、ひなたは部室のドアをちらっと見た。


「へえ」


 それだけ言って、笑う。


 でも、その視線は、さっきより少しだけ長く部室に向けられていた。


 まるで、

 中に誰がいるのか、確かめるみたいに。






第2話 二人きりの文芸部は、思ったより静かじゃない

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