第三章 はじめはなんとも情けない形だとしても③
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新しいクラスが少しずつ落ち着き始めた四月の下旬。最初にあった新しいクラスに浮き立った雰囲気も、今ではすっかり日常になってしまったようだ。クラスのグループも最初に見た目や入っている部活だったりで中心メンバーが決まっていき、見えないヒエラルキーに導かれるように他のグループも自然と固まっていた。
どこにも属そうとしない賢人のことを、最初こそグループ同士がお前のところに入れろと牽制しあっていたけれど、ありがたいことに最近は、こいつはそう言う奴なんだなと放って置かれるようになった。ただ、それなのにクラスの中心メンバーのそのまた中心にいる光輝と仲が良いせいで、若干一目置かれている気がしないでもないが。
去年は高校に入ってすぐ、急性胃腸炎で入院するわ、母親が脳の手術で緊急入院するわで、四月からいきなり欠席や遅刻が目立ってしまったことで、最初から全てのグループから排他されていたから楽だったけれど、今頃まで賢人のことでグループ同士が牽制し合っているのは久しぶりの感覚だ。
「――へ、へぶしっ!」
我慢したつもりだったが、思っていたよりも大きなくしゃみが出てしまう。花に水をやる手を止めて、ポケットから取り出したティッシュで勢いよく鼻をかむ。この時期は花粉症にはつらすぎる。薬を飲んでいるはずなのに、くしゃみが止まらないし目は痒いしで朝から散々だ。
空を見上げると、早朝の青い空の間を、雲が気持ち良さげに泳いでいる。気温も暑すぎず寒すぎず、ちょうど良いくらいだ。こんな役得があるなら美化委員になって良かったと少し思うけれど、いかんせんこの花粉の量だ。去年の十倍だとニュースで言っていたが、去年よりも遥かにしんどいし、十倍どころか百倍は飛んでる気がしてならない。
そんなことを考えながら、またくしゃみを一つ。下を向いてずるっと鼻を啜ると、突然目の前にポケットティッシュが差し出される。驚いて顔を上げると、五十嵐さんがいつも通りの無表情な顔でこちらを見ていた。緩く吹いた風に煽られて、彼女の茶色い髪の毛と一緒に花がゆらゆらと揺れる。
「大丈夫?」
「えっ? あ、あぁ、平気」
花粉症の人にとって、この時期のティッシュは黄金よりも価値があるけれど、それでも丁重にお断りする。そこまで深い仲ではないからと言うのもあるが、いつも一緒にいる秋山さんも花粉症らしく、ここ数日は毎日くしゅんくしゅんとくしゃみをしている姿を知っているからだ。どうせならそこまで仲良くないクラスメイトより、そちらを大切にするべきだと思う。
「私の方は終わったよ」
そう言って指差された奥の花壇の花々は、五十嵐さんに水をかけてもらったからか、先程見たよりもイキイキしているように見えた。それに比べてこちらがどんよりしているのは、花の色が暗いからだと信じたい。
「こっちももうすぐ終わるから、先戻っててもいいよ。先生からも報告は一人で良いって言われてるし」
「……わかった」
こんなところにいても退屈なだけだしと気を遣ったつもりだったが、機嫌を損ねてしまったようだ。彼女はわかったとは言ったものの、眉間に皺を寄せてスマホに何やら物凄い勢いで文字を打ち込んでいる姿に、賢人はインスタだか何だかに、自分の悪口を書き込まれてるような気がしてしまう。五十嵐さんをギャルと呼んで良いのかは分からないが、とにかくこの手の派手な見た目の人はすぐに情報を何かしらで伝達するようなイメージがある。賢人のようにひっそりと過ごしている身からすれば、もうそれだけで恐怖でしかない。
「そしたら、そろそろ友達が来るから、先戻るね」
賢人がジョウロに残った水を花にかけていると、五十嵐さんがそれだけ言い残して去ってしまう。友達、と言うのはおそらく秋山さんのことだろうか。そんなことを考えている間に、五十嵐さんの後ろ姿は遥か遠くになってしまっていた。
賢人のクラスのスクールカーストは、少しだけ変わっている。賢人がボッチを貫いているにも関わらず、中心メンバーの光輝と仲が良いこともだが、それ以上に不思議なのは五十嵐さんと秋山さんだ。
秋山さんはどちらかと言えば外交的な性格をしているためか、賢人と光輝を除いて全てのグループに分け隔てなく接するができている。別にどのクラスにもそんな子はいたから、そこは特別不思議ではない。不思議なのは言うまでもなく五十嵐さんだ。五十嵐さんはその派手な見た目から中心グループにいるように見えて、実は賢人と同じような立ち位置にいる。
どこのグループにも属さず、心を許しているのは秋山さんただ一人。ペアで何かをする時やお昼はいつも一緒にいるし、なんなら登下校も一緒にしているようだった。噂によると小学生からずっと一緒らしいし、相当仲が良いのだろう。秋山さんがいない時は先程のようにスマホを触っているか、本を読んでいるかのどちらかだ。
最初こそそんな彼女に言い寄る人も多かったけれど、そのあまりにも徹底した姿に、今では〈少し触れにくい人〉ぐらいにまでなっているのだから凄い。
それでも彼女のことを悪く言う人がいないのは、誰に対しても同じ態度を貫いているからで、ある意味スクールカーストではダントツのトップにいると言っても過言ではないかもしれない。
もし今文化祭の役割決めをしたなら、誰も彼女にお化け役を頼むことはなかっただろう。
一際強い風が吹いて、ドシャっと何かが地面に落ちる音が聞こえた。見るとベンチの上に置いていた賢人のリュックが、風に煽られて落下してしまっていた。幸いにも地面は乾いていたから、軽く土を払えば問題ないだろうと安堵する。ジョウロを所定の位置に戻して、先程地面に落ちてしまったリュックを拾った時、ベンチの上に四角い何かがあることに気がついた。
「文庫本?」
予定よりも早い時間に学校に着いてしまった賢人は、五十嵐さんが登校するより先に水やりを始めてしまうのも変かと思い、ベンチに座って本を読んでいた。それに、賢人と同じ学校の最寄駅にある本屋のブックカバーだったこともあり、もしかするとリュックに入れ忘れていたのだろうか、なんてことを考えながら表紙を捲る。
「『面白いほど小説が書けるようになる本』……?」
知らなかったが、世の中にはこんな本もあるのかと勝手に中をパラパラと捲る。どうやらこの本の持ち主は本気で小説の勉強をしているらしく、ところどころページの端が折られていたり、丁寧な字で書かれたメモや、真っ直ぐに引かれた線が見て取れる。ここまで真剣に小説と向き合っているのなら、どうせなら報われて欲しいと思ってしまうのはしょうがないことではないだろうか。それにしても、朝来た時にこんな本あっただろうか? と首を捻った時、友達が来るからと先に戻っていた五十嵐さんが珍しく慌てた様子で走ってくるのが見えた。何か忘れ物だろうか。
「そ、それ……それ!」
賢人の持っているものを指差しながら、五十嵐さんは先程から何かを訴えている。しかし息も絶え絶えのせいで彼女が何を訴えているのかが全く分からない。
「中、見た?」
「あぁ、うん。自分のかなって思って見たけど……それがどうかした?」
単語だけで言われたことに少し気圧されつつも、賢人は正直に答える。彼女の見た目から小説を書いているとは考え難いし、もしかすると誰かから預かっていたものかもしれないと気が付いて、初めて自分が不可抗力とは言え、如何に失礼なことをしたのかを自覚する。
「ご、ごめん! 良くなかったよな、本当にごめん!」
急いで平謝りしながら本を差し出す。五十嵐さんは明らかに気まずそうな顔をしてそれを受け取ると、何か言いたげにもごもごと口を動かしている。その様子に先程の軽率な行動が思い出され、罵詈雑言を言われても仕方がないと覚悟を決める。
「――今日の放課後、駅前の紅茶館に来てくれる?」
「キャットウォーク?」
キャットウォークと言えば、老夫婦が営む個人経営のお店で、その古風な外観に、賢人を含め多くの睦川校生は一度は訪れてみたいと思いながらも中々入れないことで有名だった。
「そこで待ってるから。一人で来て」
「待ってるって……」
賢人の返事も聞かず、五十嵐さんは逃げるようにその場から立ち去ってしまう。まだ夏は先のはずなのに、賢人の背中は汗でぐっしょりと濡れていた。
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