第三章 はじめはなんとも情けない形だとしても②
◇
――最悪。
五十嵐桜子は帰りの電車の中で、誰にも気付かれないように唇を噛んだ。
桜子が学校から家に帰るために乗っている都電荒川線は、帰宅ラッシュにはまだ早い時間だからか人もまばらで、そんな桜子の様子に気が付いている人はいなかった。
こんなことなら今日学校なんかに行かなければ良かった。日和ちゃんにも迷惑をかけてしまったし、最後まで意思を貫けなかった自分に嫌気がさす。そう考えてから、いやいやと首を振る。今年のクラス表を見て、今年こそ頑張ると決めたじゃないかと自分に言い聞かせる。日和ちゃんが同じクラスだし、何より彼女が傷付けてしまった元カレがいる。
自分のせいで日和ちゃんの周りには人が集まって来ないのに、もし自分が休もうなら……と考えて、桜子は項垂れた。いや、それだって言い訳に過ぎないことは自分が一番良く分かっている。私が学校に通う理由は他にあるんだから。
ただ、それでも今日のことは少し予想外だった。放課後だけでどっと疲れてしまった。元から体が丈夫な方ではないし、今日は早く寝なければ明日は熱が出るかもしれない。
桜子がお化け役を渋ったのには二つ理由がある。一つは体がそこまで強くないこと。内装係は最低限の働きをすれば当日は受付などをするだけで済むが、お化け役となると一日出ずっぱりになる。それに、文化祭は何を血迷ったか三日もあるのだ。体が保つか今から不安で仕方がない。
それからもう一つ。桜子は人と関わるのが幼い頃から苦手だった。人と触れ合えば、いや、触れ合わなくともその人の中で作り出されてしまう、私の知らない私。他人の中で作り上げられた知らない誰かを、私だと思って話しかけられているようで、気味が悪かった。
それでも、世間一般から見て幼い頃より容姿が整っていた桜子の周りには、様々な人が集まってきた。そして、勝手に彼女に期待し、勝手に失望していく。桜子は容姿が整ってるからいいね。そう言われる度、知ったこっちゃないと思った。その〈整ってる〉って基準を作ったやつに言えよ、とも。自分の容姿のせいで様々なことを思われ、勝手なことを言われてきた。
小学校の時は髪を伸ばして俯いて生きていたからまだ良かったけれど、中学校に上がる頃にはそれでもダメだった。やれ誰々は桜子が好きだの、やれ誰々先輩が、後輩の誰々が桜子を狙っているだの。桜子が誰々の彼氏を取った、だの。
もう少し親しみやすければ。もう少し身長が低ければ。もう少し胸が大きければ。もう少し可愛げがあれば。どれも知ったこっちゃない。別にアナタのために生きているわけではないのだから。ただ、皆が容姿で人を判断し、中身を見ようとしてくれないことが、桜子はただただ悲しかった。
そうやって人の勝手な感情に傷付けられていく内に、ただでさえ出なかった表情は更に出なくなった。しかし、それで良いこともあった。こうして誰にでも壁を作っていれば、人は遠巻きからこちらを見るだけで、誰も近寄っては来ない。最初に壁を作れば、人と必要以上に関わらないで済む。
周りと壁を作るために、化粧を学んだ。壁を高くするために、ファッションを勉強した。自分の容姿が他より優れていると言うのなら、それは武器になる。誰かを虜にするためではなく、誰かを寄せ付けないための、自分だけの武器。
それでも、桜子が高く高く積み上げた壁を乗り越えてまでやってきてくれたのが小学生の時に出会った日和ちゃんだった。容姿などではなく、さくちゃんだから友達なんだと笑ってくれた、春の陽射しのような彼女を、心から大切にしたいと思った。
あぁ、それからもう一人。特別な偏見を持たず、接してくれた男の子が一人。ただ、そうすることが彼にとって当たり前だったから取ってくれた行動。それなのに、あの時は酷いなんて言葉では済まないことをしてしまった。
どうしてあの時、君は特に仲良くもない、私を守ってくれたんだろう。
――胸を焼くのは、いつだって後悔ばかりだ。
スマホのメモ帳にそう打ち込んでから、確かめるように一字一字削除していく。桜子が顔を上げると、窓の外はすっかり暗くなっていた。
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