第三章 はじめはなんとも情けない形だとしても①

「けんけんさあー昨日全然返事くれなかったじゃん。何してたんよ」


 翌日、教室に到着するなり先に来ていた光輝が、賢人の机までやって来て訊ねた。そう言えば人を信じれなくなった賢人が、もう一度だけ誰かを信じてみたいと思えたのは光輝のおかげだった。光輝は中学の時にたまたま同じクラスになったのだが――いや、この話は別にいいか。


「あー……ごめん。昨日は眠かったから寝てた」


 昨日は過去のことを思い出して憂鬱になっていたなんて言えるはずもなく、賢人は曖昧に笑って続ける。


「ほら、昨日は低気圧ヤバかっただろ?」


 なるほどねーと光輝は大きく欠伸を一つする。昨日で空は雨を降らすことに満足したのか、今日の空は雲一つない快晴。空が晴れているおかげか、昨日に比べるといくらか気分も軽い。


「そう言えば聞いた?」

「何が?」


 光輝の質問の意図が分からず、思わず聞き返してしまう。今来たばかりなのに、何を聞くと言うのだろう。


「ウチのクラス、文化祭はお化け屋敷だって! 俺一回やってみたかったんだよねー」


 頭に浮かんでくるのはこの前観た映画のワンシーンで、流石にないとは思うが一応訊いておくことにする。


「お化け屋敷ってこの前観た映画みたいなのじゃないよな?」

「何言ってんの?」


 今まで見た中で、一番冷ややかな視線だった。

 その日の放課後、早速お化け屋敷をやるに当たって配役が決められることとなった。正直文化祭は九月の初旬だし、今からそんなにやることはないのではないかとは思うけれど、鉄は熱いうちに打てとも言うし、だらだら先延ばしにするよりかは良いのかもしれない。鈴木先生もやる気があることは良いことだと何度も頷いて、教室を出て行ってしまったし。


 お化け役、内装係、衣装係の中で、黒板の決められた枠内へ各自やりたいものに名前を書いていく。お化け役はクラスの中心メンバーが勝手にやってくれるだろうと、内装係に立候補する。案の定光輝を始めクラスの早くも中心メンバーになりつつある生徒達がお化け役に立候補していた。

 内装係については自分と同じように目立たない人間か、最初からやる気がないであろう人達で溢れてしまっている。秋山さんもどうやらこちら側らしく、内装係の文字のすぐ下に整った字で秋山と書いているのが見えた。しかし、そのすぐ隣に書かれていた名前に、思わず釘付けになってしまう。いつ書かれていたのか全く気が付かなかったけれど、そこにはハッキリと五十嵐と書かれていた。


「えー? なんで五十嵐さんが内装係なん?」


 どうやら賢人と同じことに気がついたのであろうクラスメイトの一人が、驚きのあまりそんな悲鳴を上げた。その一言でクラスが別の意味でざわつき始める。


「え、五十嵐さんってお化けやるんじゃないの?」

「私もそう思ってたけど……」

「っーか五十嵐さんあり気でお化け屋敷考えてるって言ってなかった?」


 そんな会話が辺りで聞こえ始める。それについては完全に同意だ。あれだけ目立つ容姿をしているのだから、勝手にお化け役に立候補するとばかり思っていた。


「あのー、五十嵐さんは……」


 秋山さんが何か言いたげだったけれど、クラスメイト達はどうしても五十嵐さんにお化け役をやって欲しいらしく、何人もが五十嵐さんの元で説得を続けているせいで秋山さんの言葉は誰の耳にも届いていない。

 本人も首を横に振るばかりで頑として首を縦に振ろうとしないこともあり、逆に説得を続ける人達にも熱が入ってしまっている。説得している人の中には、本当に五十嵐さんにお化け役をやって欲しい人もいれば、早く部活に行きたい人や早く帰りたい人もいそうだった。光輝はどうだろうと教室を見渡すが、トイレに行っているのか見当たらない。


「五十嵐さんがお化けしないと始まらないって!」


 そう言ったのが誰かは分からなかったけれど、その一言でクラスは更に一致団結してしまう。秋山さんもずっと周りに何かを訴えているようだが、全く聞く耳を持たれていない。そこまで嫌がっている人に無理矢理やれと言うのはおかしいのではないかと思うも、自分なんかが言ったところでと、尻込みしてしまう。

 第一、賢人が何か言ったところでお前は彼女の何なんだと言われてしまって終わりだろう。だが、彼女の顔が遠目からでもどこか青ざめているように見えたから、賢人は無意識に立ち上がっていた。ガタンと椅子が大きな音を立てて、前の席で友人と談笑していた山川さんが驚いた表情で賢人を見る。


 立ち上がったは良いが、口から言葉は出ない。どうせ俺が何か言ったところで。あいつは前に俺を馬鹿にしたんだぞ。そんな言い訳がいくつも頭に浮かぶ。それでも、声を絞り出そうとしたところで、こくりと五十嵐さんが頷いたのが見え、周りが安堵したのが分かった。

 徐々に消えていく輪に、取り残されたのは俯いたままの五十嵐さんと、その側に寄り添う秋山さんだけ。今更自分なんかが彼女の元に行くのは変だ。だって、五十嵐さんと自分はただのクラスメイトでしかないのだから。


 変に立ち上がってしまった恥ずかしさから、そのまま座るわけにも行かず、誤魔化すように咳払いを一つして教室を後にする。隣のクラスはもう帰ってしまったようで、数人が談笑している姿が見えるだけだ。


「けんけーん。もう終わったの?」


 前から楽しげに口笛を吹きながら光輝が歩いて来る。


「まあ……一応」

「どしたん?」


 賢人の様子に、彼は心配そうに訊ねる。でも、何と言って良いか分からず、賢人は「トイレに行きたかったけど抜け出せなかっただけ」と返すことで精一杯だった。

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