第33話 専門職にされた正論
リスク管理室・午前。
午前10時。
新設された部署は、
まだ匂いがない。
人の匂いも、
現場の音も、
ない。
机と椅子と、
新品のパーティション。
佐伯ミナは、
指定された席に座っていた。
端末を起動する。
メールが一件、届いている。
件名:
【相談申請】ハラスメント該当性確認
本文は、
定型フォーマットだった。
・発生日時
・関係者
・概要
・希望対応
感情欄は、
存在しない。
佐伯は、
画面を見つめる。
佐伯・心の声
(……短い)
(だが、
要件は足りている)
キーボードを打つ。
「確認します。
追加資料を提出してください」
送信。
数分後、
別の申請が来る。
件名:
【是正可否判断依頼】
内容は、
さらに無機質だった。
数字。
日時。
規程番号。
人名は、
伏せられている。
佐伯・心の声
(……温度がない)
(だが、
判断はできる)
淡々と、
処理する。
昼前。
田中が、
リスク管理室の前で
立ち止まっている。
ドアは、
半透明。
中が見えない。
田中・心の声
(……入っていいのかな)
意を決して、
ノックする。
佐伯
「どうぞ」
田中が入る。
田中
「……その、
今いいですか」
佐伯
「要件をどうぞ」
田中
「えっと……」
言葉を探す。
田中
「前なら、
ちょっと聞けたじゃないですか」
佐伯
「はい」
田中
「でも今は……」
佐伯
「申請が必要です」
即答。
田中
「……ですよね」
田中・心の声
(正しい)
(でも……)
田中
「正直に言います」
佐伯
「はい」
田中
「話しにくいです」
佐伯
「理由をどうぞ」
田中
「……ここ」
周囲を見る。
静かすぎる部屋。
田中
「病院みたいで」
佐伯
「無菌です」
田中
「……はい」
佐伯
「正論は、
混ざると
変質します」
佐伯
「だから、
隔離されます」
田中
「……じゃあ、
これで
いいんですか」
佐伯
「制度としては、
最適です」
田中
「……人としては?」
一拍。
佐伯
「人は、
制度の外で
傷つきます」
田中
「……ですよね」
沈黙。
田中
「じゃあ……
申請、
出します」
佐伯
「お願いします」
田中は、
軽く頭を下げて
出ていった。
午後。
申請は、
次々と届く。
だが、
誰も顔を出さない。
誰も、
声をかけない。
佐伯の仕事は、
効率的だった。
誤りは、
減った。
再発防止率は、
上がった。
だが――
佐伯・心の声
(相談は、
減った)
(恐れている)
(正しいから)
画面を閉じる。
無音。
ナレーション
正論は、
専門職になると
無菌化される。
混ざらない。
染み込まない。
だから、
安全だ。
だが同時に、
触れられなくなる。
ここは、コミュニケーション許可局。
佐伯ミナは今日、
正論を磨いた。
そして、
人の温度から
切り離された。
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