第32話 空気を壊す人材の配置転換


オフィス・午前。

午前9時15分。

企画部フロアは、

いつもより静かだった。

人はいる。

仕事も動いている。

だが、

視線だけが合わない。

田中の席。

田中は、

モニターを見ながら

何度か周囲を気にしていた。

田中・心の声

(……朝礼、

 なかったな)

(いや、

 あったけど……)

(呼ばれてない?)

フロアの奥。

会議室。

扉の前に、

佐伯ミナが立っている。

一人。

資料は、

薄いファイル一冊だけ。

中に入る。

会議室には、

部長と人事担当者が

並んで座っていた。

部長

「佐伯さん、

 お忙しいところ

 すみません」

佐伯

「要件をどうぞ」

人事担当

「ええと……」

部長が、

先に口を開く。

部長

「今回ですね、

 佐伯さんの業務内容を

 再整理しようという話で」

佐伯

「再整理、

 というのは」

部長

「コンプライアンス案件を、

 専門部署に

 集約します」

佐伯

「専門部署、

 新設ですか」

人事担当

「はい。

 “リスク管理室”という形で」

部長

「佐伯さんには、

 そこの中核を

 担ってもらいたい」

一拍。

部長

「評価しています」

佐伯

「ありがとうございます」

声は、

平坦。

人事担当

「現場対応が減る分、

 負担も軽くなりますし」

部長

「より、

 佐伯さんの強みを

 活かせる配置です」

佐伯

「確認します」

部長

「はい」

佐伯

「現場からの

 直接相談は」

部長

「基本、

 書面経由になります」

佐伯

「口頭相談は」

人事担当

「原則、

 なしで」

佐伯

「……承知しました」

沈黙。

部長は、

少し言いにくそうに

続ける。

部長

「正直に言います」

部長

「佐伯さんが現場にいると、

 空気が張る」

部長

「悪い意味じゃない」

部長

「でも……

 現場には、

 現場の回り方がある」

佐伯

「回り方、

 とは」

部長

「柔らかさ、

 というか」

人事担当

「佐伯さんが悪い、

 という話ではありません」

佐伯

「理解しています」

それは、

事実だった。

悪いとは、

誰も言っていない。

否定も、

されていない。

だが――

佐伯

「この配置で、

 私の権限は

 変わりますか」

人事担当

「いえ、

 むしろ明確になります」

佐伯

「現場判断から

 切り離される、

 という意味で」

部長

「……そうなりますね」

佐伯

「承知しました」

会議は、

それで終わった。

午後。

佐伯の席。

周囲の机は、

いつも通りだ。

だが、

佐伯の席だけが

浮いている。

田中が、

近づいてくる。

田中

「……聞きました」

佐伯

「何を」

田中

「配置転換」

佐伯

「はい」

田中

「……評価、

 なんですよね?」

佐伯

「表向きは」

田中

「……ですよね」

一拍。

田中

「隔離、

 ですよね」

佐伯は、

否定しない。

佐伯

「機能分離です」

田中

「……言い換え、

 上手いですね」

佐伯

「業務用語です」

田中・心の声

(……逃げ道が、

 ない)

(守られてるようで、

 遠ざけられてる)

周囲を見る。

誰も、

こちらを見ていない。

見ていないふりを

している。

佐伯・心の声

(正しさは、

 混ざると

 濁る)

(だから、

 分離される)

資料を閉じる。

机の上は、

整理されている。

完璧に。

ナレーション

排除は、

必ずしも

追い出す形を取らない。

評価という言葉で包み、

専門性という箱に入れ、

静かに遠ざける。

それは、

最も摩擦の少ない排除だ。

ここは、コミュニケーション許可局。

佐伯ミナは今日、

評価された。

そして同時に、

現場から切り離された。

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