第31話 誰にも触れられない食卓
休日。
昼過ぎ。
小さな定食屋。
駅から二本外れた通りにある。
昼のピークは過ぎ、
客はまばらだった。
佐伯ミナは、
一人用の席に座っている。
カウンターの端。
隣の席は、空いている。
店内には、
包丁の音と
換気扇の低い唸りだけがある。
注文した定食が、
静かに置かれる。
店員
「どうぞ」
佐伯
「ありがとうございます」
声は、
必要な分だけ。
箸を取る。
一口目を、口に運ぶ。
温かい。
味は、ちょうどいい。
佐伯・心の声
(問題なし)
(距離、
十分)
(干渉、
なし)
周囲を見る。
二人連れの客が、
小さな声で話している。
客A
「それでさ、
上司がさ……」
客B
「また?
大変だね」
佐伯は、
視線を戻す。
聞かない。
介入しない。
(今日は、
止めない)
(誰の線にも、
触れない)
そう決めている。
数分後。
隣の席に、
高齢の男性が座る。
一人客。
距離は、肘一つ分。
問題ない。
だが――
男性
「今日は、
暑いですね」
唐突。
佐伯は、
一拍置く。
佐伯
「……そうですね」
最低限。
男性
「この店、
よく来られるんですか」
佐伯
「いいえ」
会話は、
そこで切れる。
男性は、
少しだけ驚いた顔をするが、
それ以上は続けない。
沈黙が戻る。
佐伯・心の声
(拒否ではない)
(応答した)
(それ以上、
更新していない)
料理を食べ進める。
音は、
箸と器だけ。
静か。
安全。
だが――
胸の奥に、
薄い冷えがある。
暖房のせいではない。
料理の温度でもない。
(……寒い)
(数値化できない)
(原因不明)
佐伯は、
湯呑みに手を添える。
温度を確認するように。
男性
「……お一人だと、
静かでいいですね」
また、
一言。
佐伯は、
少しだけ考える。
佐伯
「はい」
男性
「家だと、
どうしても
話しかけられて」
佐伯
「……」
男性
「静かすぎるのも、
寂しいですけど」
佐伯は、
答えない。
男性も、
それ以上は言わない。
沈黙。
二人の間に、
不可侵の空間が戻る。
佐伯・心の声
(安全)
(だが、
孤独)
(重なっている)
食事を終える。
会計。
佐伯
「ごちそうさまでした」
店員
「ありがとうございました」
店を出る。
外は、
冬に近い風。
佐伯は、
コートの前を閉じる。
歩きながら、
考える。
(誰にも触れられない食卓)
(安全)
(しかし)
(温度は、
自己管理)
足を止める。
ショーウィンドウに映る、
自分の姿。
誰とも
線が重なっていない。
完璧な距離。
(……問題なし)
そう、
結論づける。
歩き出す。
ナレーション
安全な距離は、
誰にも触れられない。
干渉もない。
侵入もない。
だが同時に、
温度も共有されない。
ここは、コミュニケーション許可局。
佐伯ミナは今日、
誰とも食事をしなかった。
それは、
最も安全で、
少しだけ寒い選択だった。
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