第30話 線を引いた結果、誰も近づかなくなる


オフィス・午後。

午後15時。

フロアは、

妙に静かだった。

忙しくないわけではない。

キーボードは鳴っている。

電話も鳴っている。

だが、

“相談の声”だけが、ない。

田中の席。

田中は、

マグカップを持ったまま、

視線を泳がせていた。

田中・心の声

(……来ないな)

(前なら、

 この時間帯、

 誰かしら

 「ちょっといい?」って

 来てたのに)

通路。

二人の社員が、

小声で話している。

社員A

「……佐伯さんに

 聞けば早いんだけどさ」

社員B

「やめとこ」

社員A

「だよな」

社員B

「相談したら、

 正式案件になるじゃん」

社員A

「うん……」

「ちょっと愚痴りたいだけ

 だったのに」

二人は、

視線を佐伯の席に向け、

すぐ逸らした。

佐伯ミナは、

資料を読んでいる。

顔を上げない。

耳は、拾っている。

佐伯・心の声

(相談件数、

 今週ゼロ)

(未然防止案件も、

 申告なし)

(……境界線が、

 効きすぎている)

午後16時。

田中は、

意を決して立ち上がる。

田中

「……佐伯さん」

佐伯

「はい」

田中

「最近……」

「誰も、来ませんね」

佐伯

「事実です」

即答。

田中

「前は……」

「もっと、

 相談多かったのに」

佐伯

「はい」

田中

「……俺」

「ちょっと、怖がられてる

 気がして」

佐伯

「“正しい人に相談すると

 大事になる”」

佐伯

「その認識が

 共有されています」

田中

「……やっぱり」

田中・心の声

(言葉にされると、

 余計、重い……)

田中

「それって……」

「いいことなんですか」

佐伯

「良否は」

「判断していません」

田中

「……え」

佐伯

「結果です」

佐伯

「境界線を明確にすると」

「雑音は消えます」

佐伯

「同時に」

「軽い相談も消えます」

田中

「……じゃあ」

「このままだと」

佐伯

「孤立します」

断定。

田中

「……佐伯さんは」

「それで、いいんですか」

佐伯は、

一拍置いた。

佐伯

「私は」

「相談件数を

 評価指標にしていません」

田中

「……」

佐伯

「来ないなら」

「来ない、という

 状態を扱います」

田中

「……冷静すぎません?」

佐伯

「職務です」

田中は、

言葉を探す。

田中

「でも……」

「誰も来なくなったら」

田中

「本当に、

 手遅れになる

 問題も……」

佐伯

「その可能性は」

「あります」

田中

「……!」

佐伯

「境界線には」

「孤立効果があります」

佐伯

「私は」

「それを、承知で

 引いています」

沈黙。

フロアの空気が、

少しだけ張る。

田中

「……佐伯さん」

「それ、

 しんどくないですか」

佐伯

「感情の話ですか」

田中

「……はい」

佐伯

「未評価です」

田中

「……」

田中・心の声

(強い、

 とかじゃない)

(最初から、

 この結果まで

 含めて

 選んでるだけだ……)

そのとき。

通路の向こうで、

社員Cが立ち止まる。

佐伯の席を見る。

一歩、踏み出しかける。

――止まる。

踵を返す。

田中は、

それを見た。

田中

「……今の」

佐伯

「見ています」

田中

「……」

佐伯

「恐れは」

「境界線の

 副産物です」

佐伯

「線を引く以上」

「避けられません」

田中

「……俺」

「それでも……」

田中

「誰かが

 引かないと

 ダメだって、

 分かってます」

佐伯

「はい」

佐伯

「だから」

「あなたが、

 ここにいます」

田中

「……え?」

佐伯

「孤立は」

「単独で

 引き受ける

 必要はありません」

田中

「……」

田中の背筋が、

少し伸びた。

ナレーション

境界線は、

人を守る。

だが同時に、

人を遠ざける。

線を引いた者の周囲から、

相談は消える。

雑音も、

温度も、

一緒に消える。

ここは、コミュニケーション許可局。

佐伯ミナは今日、

孤立を恐れなかった。

それが

境界線の

正確な効果だと、

最初から知っていたからだ。

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