第27話 正しい通報は、歓迎されない


午前。

第一企画部フロア。

空調の音だけが、一定のリズムを刻んでいる。

キーボードの音はある。

会話は、ない。

田中は、席に着いたまま、画面を見つめていた。

メールの件名が、まだ頭に残っている。

【内部通報に関する是正完了のご報告】

田中・心の声

(……終わった、はずなんだけどな)

問題は、確かに是正された。

当該の上司は、正式に注意を受け、

配置転換も決まった。

書面も出た。

再発防止策も共有された。

制度としては、完全勝利だった。

それなのに――。

田中の周囲には、

誰もいない。

正確には、

「誰も近づいてこない」。

挨拶はされる。

業務連絡も来る。

だが、それ以上はない。

雑談が消えた。

昼食の誘いもない。

避けられている、というほど露骨ではない。

ただ、距離がある。

田中・心の声

(……責められては、いない)

(でも……)

フロアの端。

佐伯ミナは、淡々と書類を確認している。

田中は、迷った末に声をかけた。

田中

「……佐伯さん」

佐伯

「はい」

即答だった。

そこに、感情はない。

田中

「……通報の件」

「終わりましたよね」

佐伯

「是正は、完了しています」

田中

「ですよね」

一拍。

「……でも」

言葉が、続かない。

佐伯は、田中を見る。

促さない。

遮らない。

田中

「……誰も、何も言わないんです」

「責められてないのに……」

「近づいても、来ない」

田中・心の声

(これ、俺が悪いのか?)

佐伯は、少し考える。

佐伯

「確認します」

田中

「……はい」

佐伯

「通報内容は、事実でしたか」

田中

「……はい」

佐伯

「手続きは、規程通りでしたか」

田中

「……はい」

佐伯

「結果として、是正は行われましたか」

田中

「……はい」

佐伯

「では」

一拍。

佐伯

「制度は、正しく機能しました」

田中

「……ですよね」

声が、少しだけ落ちる。

田中

「……でも」

「これって……」

佐伯

「人間関係の話ですね」

田中は、黙って頷く。

佐伯

「制度は、問題を解決します」

佐伯

「しかし」

佐伯

「人間関係を修復する機能は、持っていません」

田中・心の声

(……あ)

佐伯

「通報者は、正しい行為をしました」

佐伯

「ですが」

佐伯

「周囲にとっては、“安全な沈黙”を破った存在になります」

田中

「……裏切り、みたいな?」

佐伯

「評価ではありません」

佐伯

「構造です」

佐伯

「誰も、あなたを責めていない」

佐伯

「同時に、誰も“自分が次にならない保証”を持っていない」

佐伯

「だから、距離を取る」

田中・心の声

(……正しいのに)

田中

「……じゃあ」

「どうすればよかったんですか」

佐伯

「別の正解は、ありません」

即答だった。

佐伯

「沈黙すれば、問題は継続していた」

佐伯

「通報すれば、是正はされる」

佐伯

「その代わり、関係は変わる」

佐伯

「どちらも、結果です」

田中は、目を伏せる。

田中

「……歓迎されると思ってました」

佐伯

「制度は、歓迎しません」

佐伯

「感情を持たないからです」

佐伯

「歓迎されるかどうかは、制度の評価軸ではありません」

沈黙。

フロアでは、誰かが椅子を引く音がした。

それでも、会話は生まれない。

田中

「……じゃあ」

「俺は、間違ってないですか」

佐伯

「間違っていません」

短く、明確に。

佐伯

「ただし」

佐伯

「“孤立しない”保証は、ありません」

田中は、小さく笑った。

田中

「……きついですね」

佐伯

「はい」

否定しない。

佐伯

「それが、制度を使った人間が支払う、現実的なコストです」

田中

「……それでも」

「やってよかった、って思っていいですか」

佐伯は、一拍置いた。

佐伯

「判断は、あなたのものです」

田中は、ゆっくり息を吐く。

田中・心の声

(……孤立しても)

(黙るよりは、よかった)

佐伯は、何も言わなかった。

それ以上の評価を、与えなかった。

ただ、

同じ空間に、立っていた。

ナレーション

制度は、問題を解決する。

だが、空気までは救わない。

正しい通報は、

拍手される行為ではない。

静かに、距離を生む行為だ。

ここは、コミュニケーション許可局。

佐伯ミナは今日、

通報者を慰めなかった。

ただ、

正しさの代償を、

事実として置いただけだった。

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