第25話 “問題を起こさない人”という不在評価


オフィス・午前

午前9時半。

週次の業務共有ミーティングが始まる直前。

フロアには、どこか緩んだ空気が流れている。

プロジェクターに映る、各部署の評価サマリー。

第一企画部:

「今週も大きなトラブルなし」

「進行は順調」

「特記事項なし」

会議室の空気が、わずかに明るくなる。

部長

「いいですね」

「何も起きていない、理想的です」

数名が頷く。

“問題がない”ことが、そのまま成果として扱われている。

少し離れた席。

佐伯ミナは、資料をめくりながら聞いている。

表情は変わらない。

次のスライド。

コンプライアンス対応報告。

「是正案件:3件」

「調査対応:5件」

「内部調整:多数」

部長

「……ふむ」

空気が、少しだけ重くなる。

部長

「まあ」

「問題が起きた、ということですよね」

誰も否定しない。

誰も補足しない。

田中・心の声

(……え)

(それ、逆じゃ……?)

会議後・フロア

人が散っていく。

雑談が始まり、コーヒーを取りに行く人もいる。

田中は、佐伯の席の横で立ち止まる。

田中

「……さっきの」

「あれ、なんか納得いかなくて」

佐伯

「どの点でしょうか」

田中

「“何も起きていない部署が優秀”って」

「それ、起きる前に止めた人の仕事」

「全部、消えてませんか」

佐伯

「はい」

田中

「……はい、って」

佐伯

「正確です」

田中

「……正確?」

佐伯

「予防は」

「起きなかった事象を、証明できません」

田中は、言葉に詰まる。

田中

「……でも」

「是正したから、今は起きてないんですよね」

佐伯

「はい」

田中

「じゃあ……」

佐伯

「評価上は」

「“何も起きていない”が結果です」

田中・心の声

(……なんだそれ)

田中

「じゃあ」

「佐伯さんの仕事って」

「問題が起きてる時しか」

「存在しない扱いなんですか」

佐伯

「評価制度上は、そうなります」

田中

「……ひどくないですか」

佐伯

「不合理ではありません」

田中

「え?」

佐伯

「制度は」

「結果を測ります」

「過程は、参考情報です」

田中

「……でも」

「佐伯さんが何もしなかったら」

「もっと問題、起きてましたよね」

佐伯

「可能性はあります」

田中

「……じゃあ」

佐伯

「ですが」

一拍。

「“起きたかもしれない”は、評価対象になりません」

田中は、椅子に腰掛ける。

少し、力が抜ける。

田中

「……じゃあ」

「一番評価高いのって」

佐伯

「はい」

田中

「最初から」

「問題が起きない場所にいる人?」

佐伯

「あるいは」

「問題を、問題として扱わなかった人です」

田中

「……」

田中は、天井を見る。

田中

「……“問題を起こさない人”って」

「何もしない人でも」

「なれるんですね」

佐伯

「はい」

田中

「……じゃあ」

「佐伯さんは」

佐伯

「“問題が起きた人”として」

「記録されます」

田中

「……」

田中の喉が鳴る。

田中

「……それ」

「悔しくないですか」

佐伯は、少しだけ考える。

ほんの一瞬。

佐伯

「評価されないことは」

「想定内です」

田中

「……」

佐伯

「私は」

「評価を上げるために」

「止めているわけではありません」

田中

「……じゃあ、何のために」

佐伯

「問題が」

「“起きなかった理由”を」

「自分が知っていれば、それで十分です」

田中

「……それだけ?」

佐伯

「はい」

田中

「……孤独じゃないですか」

佐伯

「孤独と」

「静かは、違います」

田中

「……」

田中は、少し笑う。

苦笑いだが、どこか納得した顔。

田中

「……正直」

「何も起きてない部署、羨ましいって」

「思ってました」

佐伯

「自然です」

田中

「……でも」

「今日の会議」

「なんか」

「“起きなかった”って言葉が」

「怖くなりました」

佐伯

「はい」

田中

「……起きなかった理由」

「誰も、聞かないんですね」

佐伯

「評価対象ではありませんから」

田中は、深く息を吐く。

田中

「……佐伯さんの仕事」

「消える仕事ですね」

佐伯

「はい」

即答。

田中

「……それでも」

佐伯

「それでも、やります」

田中

「……」

佐伯

「起きてからでは」

「遅いことがあるからです」

オフィス・夕方

日が傾き、フロアがオレンジ色になる。

佐伯は、今日の記録を閉じる。

そこには、

「問題なし」

という一文だけが残っている。

(それでいい)

(起きなかったのなら)

ナレーション

予防の仕事は、成果が見えない。

問題が起きなければ、存在しなかったことになる。

評価されるのは、

「何も起きていない」という結果だけだ。

ここは、コミュニケーション許可局。

佐伯ミナは今日、

消える仕事を、いつも通り完了させた。

誰にも気づかれず、

だが確実に、線を一本、引いたまま。

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