第23話 是正されたのに、評価が下がる
オフィス・午後
午後3時。
日差しが少し傾き、
フロアに「終業前のだるさ」が滲み始める時間。
佐伯ミナのデスク。
画面には、カレンダー通知。
15:00 評価面談(人事)
場所:第3会議室
佐伯は、通知を閉じる。
表情は変わらない。
ただ、
ペンを一本、机の右端に揃える。
田中の席。
第一企画部のフロアに、田中はいる。
異動の話は、誰もしない。
田中は、ちらりと佐伯を見る。
田中
「……佐伯さん、面談ですか」
佐伯
「はい」
田中
「……あの是正の件、ちゃんと処理されたのに」
「評価、上がりそうですよね」
佐伯
「因果関係は不明です」
田中・心の声
(……因果関係)
(普通、そこは“上がる”って言うとこだろ……)
佐伯は立ち上がる。
歩き方はいつもと同じ。
“面談に向かう足”にならない。
第3会議室・午後
小さな会議室。
机が一つ。
椅子が二つ。
壁には「理念ポスター」。
薄い色で、共創とか対話とか書いてある。
人事担当(係長)が座っている。
資料が一式。
評価シート。
面談メモ。
“調整用”の言葉が並んでいる紙。
人事担当
「佐伯さん、ありがとうございます」
「座ってください」
佐伯
「はい」
人事担当
「まず、結論から」
「業務遂行能力は高いです」
佐伯
「承知しました」
人事担当
「是正案件、あれも」
「手続きとしては非常に適切でした」
佐伯
「はい」
人事担当は、一拍置く。
そこで、声色だけが“柔らかく”なる。
人事担当
「ただ……」
「周囲との摩擦が多い、という声があります」
佐伯
「確認します」
人事担当
「はい?」
佐伯
「“摩擦”の定義を共有してください」
人事担当
「えーと……」
「こう、場が固くなるとか」
「空気が重くなるとか」
佐伯
「それは結果です」
「原因は何ですか」
人事担当
「原因……」
「佐伯さんが、言うことが正しすぎる、というか」
佐伯
「“正しい”ことは否定されていませんね」
人事担当
「否定してません」
即答。
「むしろ正しいです」
佐伯
「では、何が評価減の理由ですか」
人事担当は、資料に目を落とす。
言葉を選ぶというより、
角が立たない順に並べ替えている。
人事担当
「……コスト、です」
佐伯
「何のコストですか」
人事担当
「コミュニケーション」
「調整」
「周囲が、疲れる」
佐伯
「私は、疲れさせることを目的にしていません」
人事担当
「分かってます」
「悪気がないのも」
言いかけて、止まる。
相手が佐伯だと思い出した顔になる。
人事担当
「……いや」
「意図じゃなくて、影響の話です」
佐伯
「是正案件は減りましたか」
人事担当
「減ってます」
佐伯
「業務トラブルは減りましたか」
人事担当
「減ってます」
佐伯
「離職の兆候は」
人事担当
「……一部、止まりました」
佐伯
「では、効果は出ています」
人事担当
「出てます」
苦笑い。
「だから困ってるんです」
佐伯
「困っている理由を確認します」
人事担当
「……佐伯さんが動くと」
「周囲が“自分も正しくしなきゃ”ってなる」
「それが、窮屈なんです」
佐伯
「窮屈であれば、手続きを整えるべきです」
人事担当
「そこが、まさに……摩擦です」
沈黙。
空調の音が、やけに大きい。
人事担当
「佐伯さん」
「もっと、柔らかくできませんか」
佐伯
「“柔らかく”とは、どの要件ですか」
人事担当
「……言い方」
「言葉の選び方」
「相手の気持ちを……」
佐伯
「相手の気持ちを推測することは、業務要件ですか」
人事担当
「いや、要件では……」
佐伯
「では、評価項目に含めるのは適切ではありません」
人事担当
「……うーん」
「でも、現実として」
「一緒に働くって、そういう部分も——」
佐伯
「確認します」
「評価は“業務遂行”に対して行われますか」
「それとも“好感度”に対して行われますか」
人事担当は、息を止める。
答えが分かっている顔をする。
けれど、言う。
人事担当
「業務遂行です」
佐伯
「では、評価減の根拠は不足しています」
人事担当
「……佐伯さん」
「正論すぎます」
佐伯
「はい」
「私はそれで業務をしています」
人事担当
「だから……」
「それがコストなんです」
言葉が戻ってくる。
結局そこに戻る。
正しさは、
組織の中で“経費”になる。
会議室・午後(面談終盤)
人事担当
「まとめますね」
「能力は評価」
「ただ、摩擦がある」
「総合で、評価は据え置き……ではなく」
一拍。
「一段、下がります」
佐伯
「理由は“摩擦”ですね」
人事担当
「……はい」
佐伯
「摩擦の発生は、私の是正行為の副作用です」
「是正行為の必要性は、組織が認めています」
「副作用のみを理由に評価を下げるのは、整合しません」
人事担当
「……分かります」
本当に分かっている声。
「分かるんですけど」
「現場の声も、無視できないんです」
佐伯
「“現場の声”の主語を明確にしてください」
人事担当
「……それは」
「言えません」
佐伯
「承知しました」
「では、この評価は」
「責任主体不明の意見を根拠にした調整です」
人事担当
「……そう言われると、そうです」
佐伯
「記録します」
人事担当
「え」
佐伯
「面談記録として」
「評価減理由:主語不明の“摩擦”」
「業務否定:なし」
「是正成果:あり」
「以上」
人事担当
「……いや、そこまで書かなくても」
佐伯
「これは、私の業務履歴です」
人事担当は、諦めたように笑う。
笑うしかない、という表情だ。
人事担当
「……佐伯さんって」
「生きづらくないですか」
佐伯
「いいえ」
一拍。
佐伯
「“評価で線が揺れる”方が、危険です」
オフィス・夕方
午後5時40分。
佐伯が席に戻ると、田中が小声で聞く。
田中
「……どうでした」
佐伯
「評価は下がりました」
田中
「え」
「なんで……」
「是正、成功したのに」
佐伯
「成功しました」
「ただ、成功は利益で」
「正論はコストとして計上されました」
田中
「……意味わかんない」
本音が漏れる。
佐伯
「理解は不要です」
「構造です」
田中は、言葉を失う。
悔しいのか、怖いのか、
自分でも分からない顔。
田中
「……誰も否定してないのに」
「下がるって」
「一番きついですね」
佐伯
「はい」
「否定されていないから、反論できません」
田中
「……じゃあ、どうすれば」
佐伯
「次の是正をします」
田中
「……え」
佐伯
「評価ではなく、業務を」
淡々。
だが、そこにだけ“揺れない核”がある。
佐伯は、面談記録をフォルダに保存する。
ファイル名は短い。
評価面談_結果記録_2025xxxx
そして、
いつも通り、
ペンを右端に揃える。
ナレーション
正しさは、勝ち負けではない。
だが組織は、
正しさを「利益」ではなく
「コスト」として扱うことがある。
内容を否定せず、
成果も認める。
それでも評価を下げる。
それが一番、冷たい。
ここは、コミュニケーション許可局。
佐伯ミナは今日、
是正したのに評価が下がる現実を受け取った。
正論は通った。
ただ、
値札がついただけだった。
必要であれば、
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