第21話 恐れを知らない者は、線を知らない——佐伯、陽を遮断する
オフィス・午前
午前10時半。
フロアの空気が、どこか落ち着かない。
視線が、
一方向に集まり、
そして逸らされる。
噂は、
音を立てずに広がっていた。
コピー機前
社員A
「ねえ、聞いた?」
社員B
「……佐伯さんのこと?」
社員A
「課長が、
“普通は”使えなくなったらしいよ」
社員B
「暗黙の了解も
否定されたって」
社員A
「やばくない?」
社員B
「近づかない方がいい人、
確定じゃん」
別フロア・営業部
そこに、
“恐れ”という概念を
持たない男がいた。
無双陽キャ・登場。
名は、神谷(かみや)。
営業部エース。
社内表彰常連。
笑顔、声量、距離感——
すべて最大値。
神谷
「え?佐伯さん?」
神谷
「なんか、
めっちゃ怖い人でしょ?」
後輩
「はい……」
神谷
「いやいや」
神谷
「そういうの、
俺が一番得意なやつじゃん」
神谷・心の声
(理屈っぽいタイプ?)
(じゃあ逆に、
フラットに行けばいい)
(空気で包めば、
だいたい落ちる)
神谷は歩き出す。
誰も止めない。
止められない。
企画部フロア
佐伯ミナは、
席で資料を読んでいる。
視線は、
画面から一切離れない。
神谷、接近。
神谷
「どーもー!」
声が、
フロアに明るく跳ねる。
神谷
「営業部の神谷です!」
周囲が、息を止める。
佐伯
「……はい」
顔を上げる。
表情は、
一切変わらない。
神谷
「いやー、
噂になってますよ!」
佐伯
「どのような噂でしょうか」
神谷、笑う。
神谷
「堅い!
でもそれも含めて、
キャラ立ってますよね!」
佐伯
「業務要件でしょうか」
神谷、止まらない。
神谷
「いやいや、
ちょっと挨拶!」
神谷
「部署超えても、
仲良くしといた方が
楽じゃないですか!」
田中・心の声(遠くから)
(……終わった)
(完全に、
地雷原ダッシュ……)
佐伯は、
静かに問いを投げる。
佐伯
「確認します」
神谷
「はい?」
佐伯
「あなたは、
私と
どの業務で
関係がありますか」
神谷
「え?」
神谷
「いや、
今後あるかも?」
佐伯
「未定ですね」
神谷、
笑顔で押す。
神谷
「まあまあ!」
神谷
「人脈は広い方が
得ですよ!」
決定的瞬間
佐伯
「“得”とは、
誰にとってですか」
神谷、
言葉に詰まる。
神谷
「……え?」
佐伯
「私は、
現時点で
利益を受けていません」
佐伯
「また、
雑談の必要性も
確認できていません」
フロアが、
完全に静止する。
神谷
「……冗談じゃないですか」
佐伯
「冗談は、
相互合意が
前提です」
神谷、
初めて一歩下がる。
神谷
「……悪気はないんで」
佐伯
「意図の話は
していません」
完全玉砕
佐伯
「無目的な接近」
佐伯
「一方的な距離短縮」
佐伯
「業務外の関係要請」
佐伯
「以上は、
すべて
拒否可能です」
神谷
「……」
神谷・心の声
(……効かない)
(空気が、
一切……)
神谷、
乾いた笑い。
神谷
「……なるほど」
神谷
「理屈で
人を見る人か」
佐伯
「誤解です」
一拍。
佐伯
「私は、
“誰にでも”
同じです」
神谷は、
退却する。
背中が、
少しだけ小さくなる。
フロア、ざわめき
社員A
「……陽キャ、
死んだ……」
社員B
「無双型が……」
田中・心の声
(……無双じゃなかった)
(仕様外だっただけだ……)
田中・ナレーション
この日、
僕は悟った。
空気で勝てる場所と、
空気が無効な場所は、
確かに存在する。
そして——
佐伯ミナは、
後者だった。
ナレーション
恐れを知らない者は、
時に、強く見える。
声が大きく、
距離が近く、
空気を読まずに踏み込める者は、
多くの場所で
「通れてしまう」。
だがそれは、
境界線が
まだ引かれていない場所に
限られる。
ここは、
コミュニケーション許可局。
佐伯ミナは今日、
誰かを拒絶したわけではない。
排除も、断罪も、対立もしなかった。
ただ、
目的のない接近を
“業務外”として処理し、
許可のない距離短縮を
無効にした。
明るさも、
勢いも、
善意も、
ここでは
通行証にならない。
境界線は、
恐れを知らない者にも
例外なく適用される。
佐伯ミナは今日、
空気を壊したのではない。
空気が
判断主体になろうとした瞬間を、
止めただけだった。
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