第20話 争点は、店員に返却される


境界線は、正論にも適用される

休日。

夕方。

近所のスーパー。

レジ前には、

五人ほどの列ができている。

佐伯ミナは、

買い物かごを腕にかけ、

列の三番目に立っていた。

前方で、

子どもが菓子棚を見ている。

その後ろに、

母親。

列が一つ進んだ瞬間──

母親

「ほら、先に行きなさい」

子どもが、

すっと前に出る。

ミナの前に、

割り込む形になる。

母親は、

当然のように

その後ろについた。

ミナの位置は、

一つ後ろへ下がった。

一瞬の静寂。

老人

「おい」

低い声。

振り返ると、

白髪の老人が

腕を組んで立っていた。

老人

「順番ってもんが

 あるだろう」

母親

「は?」

母親

「子どもですよ?」

老人

「子どもでも、

 ルールは同じだ」

老人

「親が教えなきゃ

 どうする」

母親

「今どき、

 そんな言い方します?」

母親

「これだから

 昭和の人は」

老人

「なんだと」

声が、

少しだけ大きくなる。

子どもは、

二人の顔を

交互に見ている。

列の空気が、

重くなる。

佐伯ミナは、

一歩も動かない。

表情も、

変えない。

ただ、

状況を見ている。

老人

「俺たちは

 ちゃんと並んでた」

母親

「でも、

 ちょっと前に

 入っただけでしょ」

母親

「それに、

 あの人」

母親は、

ミナを指さしかける。

母親

「一つ下がった

 だけですよね?」

ミナは、

視線を上げない。

肯定もしない。

否定もしない。

老人

「被害者が

 黙ってるからって

 いいと思うな」

母親

「被害者って……」

母親

「大げさすぎ」

老人

「大げさじゃない」

老人

「こういうのが

 積み重なるんだ」

声が、

説教の形になる。

そのとき。

佐伯ミナが、

静かに口を開いた。

佐伯ミナ

「すみません」

全員の視線が、

一瞬だけ集まる。

佐伯ミナ

「私、

 どなたの味方でも

 ありません」

老人

「……?」

母親

「は?」

佐伯ミナ

「確認したいのは、

 一点だけです」

ミナは、

レジ担当を見る。

佐伯ミナ

「このレジは、

 並んだ順で

 処理されますか」

レジ担当

「……はい、

 その通りです」

佐伯ミナ

「承知しました」

一拍。

佐伯ミナ

「今、

 順序が

 一つ前後しています」

それだけ。

主語も、

評価も、

責任追及もない。

沈黙。

老人は、

口を閉じる。

母親は、

一瞬だけ言葉に詰まる。

レジ担当は、

画面から目を上げ、

穏やかに言った。

レジ担当

「恐れ入りますが、

 順番通りに

 お並びください」

母親

「……」

母親は、

子どもの肩に

手を置く。

母親

「ほら、

 戻るよ」

子どもは、

何も言わず、

列の後ろへ向かう。

老人は、

それ以上、

何も言わなかった。

列は、

静かに戻る。

ミナの位置も、

元に戻った。

誰も、

勝っていない。

誰も、

謝っていない。

レジが進む。

ミナの番。

レジ担当

「……ありがとうございました」

佐伯ミナ

「こちらこそ」

袋を受け取り、

ミナはその場を離れる。

店を出て、

夕暮れ。

(正論は、

 人を動かさない)

(処理できる場所に

 戻すだけでいい)

(私は、

 裁かない)

彼女は、

第三者のままだった。

 

ナレーション

正論は、

正しい。

だが、

正しい言葉ほど、

人をその場に縫い止める。

ここは、

コミュニケーション許可局。

佐伯ミナは今日、

誰かを守らなかった。

誰かを裁かなかった。

正義を振りかざすこともしなかった。

ただ、

争点を

本来処理される場所へ

返却した。

役割を越えないこと。

評価を持ち込まないこと。

正しさを、

自分の所有物にしないこと。

境界線は、

正論にも適用される。

佐伯ミナは今日も、

静かに、

第三者であり続けた。

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