第14話 “察してよ”は業務外——佐伯、空気を無効化する
オフィス・午前
午前9時40分。
フロアは、静かに回り始めている。
キーボードの音。
スクロールのかすかなホイール音。
誰も、声を出さない。
会議室前・通路
田中は、
ノートを抱えたまま立ち止まっていた。
田中・心の声
(……あれ?)
(会議、
10時からだよな……)
会議室の中。
ドアは開いている。
だが、
人がいない。
数分後
佐藤課長が、
通路の奥から歩いてくる。
佐藤課長
「……あれ?」
佐藤課長
「田中、
もう来てたの?」
田中
「はい。
10時からだと……」
佐藤課長
「ああ、
今日はちょっと」
佐藤課長
「空気的に、
早めかなって」
田中・心の声
(……空気的に?)
(通知は……?
連絡は……?)
佐藤課長
「まあ、
察して動くのも
仕事だからさ」
一拍
通路の端で、
佐伯ミナが足を止めた。
佐伯
「確認させてください」
佐藤課長
「……何?」
佐伯
「会議開始時刻の
正式な変更通知は、
ありましたか」
佐藤課長
「いや」
佐伯
「メール、
チャット、
口頭での全体共有は」
佐藤課長
「……してない」
佐伯、淡々
佐伯
「では、
会議は10時開始です」
佐藤課長
「いや、
そうなんだけどさ」
佐藤課長
「雰囲気ってあるだろ」
佐伯
「雰囲気は、
業務指示ではありません」
田中・心の声
(……出た)
(でも、
言ってくれてる……)
佐藤課長
「でもさ」
佐藤課長
「気づける人と
気づけない人で、
差が出るよ?」
佐伯
「その“差”は、
業務評価の対象ですか」
佐藤課長
「……いや」
佐伯
「では、
求めるべきではありません」
静寂
通路の空気が、
少しだけ張り詰める。
佐藤課長
「……堅いな」
佐伯
「いいえ」
佐伯
「“察して”は、
責任の移譲です」
決定的な一言
佐伯
「伝えなかった側の不足を、
受け手の能力不足に
すり替えています」
佐藤課長、言葉を失う
会議室・10時ちょうど
参加者が、
ぽつぽつと集まる。
全員、
時間通り。
佐藤課長
「……じゃあ、
始めよう」
会議中
議題は、
滞りなく進む。
早すぎも、
遅すぎもない。
会議後・通路
田中は、
佐伯に並んで歩く。
田中
「……正直」
田中
「俺、
察せないタイプです」
佐伯
「問題ありません」
田中
「……え?」
佐伯
「業務は、
察するものではなく
共有するものです」
田中
「……でも」
田中
「察せないと、
評価下がる気がして」
佐伯
「評価基準に
含まれていないなら、
恐れる必要はありません」
田中・心の声
(……楽だ)
(初めて、
“空気”を
考えなくていい……)
佐藤課長、後ろから
佐藤課長
「……佐伯さん」
佐伯
「はい」
佐藤課長
「次からは、
ちゃんと連絡する」
佐伯
「ありがとうございます」
佐藤課長
「……それって」
佐藤課長
「空気、
壊した?」
佐伯
「いいえ」
一拍。
佐伯
「“曖昧”を、
無効化しただけです」
田中・ナレーション
この日、
僕は知った。
察せない自分が、
欠陥なんじゃない。
伝えない文化が、
欠陥だったんだ。
ナレーション
――ここは、コミュニケーション許可局。
「察してよ」は、
説明を省略するための言葉だ。
言わない。
書かない。
共有しない。
それでも、
伝えたことにしたいときに使われる。
察せた人は、評価される。
察せなかった人は、置き去りにされる。
だがその差は、
能力ではない。
伝えなかった側の不足を、
受け手の資質に
すり替えているだけだ。
佐伯ミナは、
空気を読まなかった。
理由は単純だ。
空気は、業務指示ではない。
開始時刻は決まっている。
変更するなら、通知が必要だ。
それがなければ、
“早めに始めた”という事実は存在しない。
あるのは、
曖昧な期待だけだ。
佐伯ミナは、
雰囲気を否定しない。
ただ、
雰囲気に責任を持たせない。
ここは、コミュニケーション許可局。
佐伯ミナは今日、
空気を壊したのではない。
業務に持ち込まれた
“察して”を、
静かに無効化しただけだった。
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